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情報過多の固い道を、ふた駅分走る【池袋~高田馬場】

※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです。

ある火曜日の午後三時、私は西武池袋本店の前に立っていた。
足元には、つい今しがた買ったばかりのランニングシューズを履いている。
神奈川県在住で、東京には三カ月に一度行けばいい方の私がなぜここにいるかというと、ずばりこのシューズを買うためだ。

来月、仲間内で開催される「トレイルラン」なるものに参加してみることを決意した。ゆるやかな初心者向けのコースで、距離は十キロほどだそうだ。しかし、それまで「月に一度ひと駅だけ走れば十分」と思っていた私からしたら、十キロなんてとんでもない長距離走である。とりあえず週四日の特訓ランニングを始めたが、さすがに走る用の靴を一足は調達しないとまずい。そんなわけで、知り合いの方が働く池袋の靴屋さんに向かい、どんなシューズがいいか選んでもらったのだ。

東京には20年以上住んでいたが、池袋には数回しか訪れたことがない。実家が国分寺・中学と高校が荻窪・遊ぶ場所といえば吉祥寺、といった“中央線の申し子”だった私にとって、池袋は縁遠い街だったのだ。普段なかなか来ることのない街なので、せっかくならシューズを購入したその足で“ひと駅ラン”をやってみようと思い、お店で購入したシューズをその場で履いて帰ることにした。

生まれて初めて足を通したランニングシューズは、今まで履いてきたどのスニーカーとも違う。とにかく軽い。こんなに軽くて大丈夫なのかと不安になるくらい軽く、柔らかい。何メートルか歩いてみた感想は、「なんか、赤ちゃんみたい」だ(この話は別のエッセイで詳細に書こうと思っている)。

池袋駅をスタート地点とした場合、ゴールは山手線でひと駅となりの「目白駅」か「大塚駅」だ。新宿で小田急線に乗り換えて帰りたいので、いつもならば目白駅をゴールにするところだが、今週はトレイルランに向けての特訓として「週に四日・三キロ以上走る」という目標を立てている。そこで、ちょうど池袋から三キロほどの距離にあるふた駅隣の「高田馬場駅」をゴールにすることにした。

私の現在地である西武池袋本店は、線路にぴったり沿うように建っている(前日にGoogleマップで見て予習した)。これならば、いくら方向音痴の私でも楽勝だ。今見えている線路をたどって、ただ三キロ無心で走ればいい。

自らの勝利を確信した私は、自信に満ち溢れた表情で手首にかけていたゴムを外し、髪をキュッと一つに束ねる。「久々の都会だ~」と浮かれ気分で着込んできたトレンチコートを雑に丸め、背負っていたリュックに入れる。そして足には買ったばかりのピカピカのランニングシューズ。これで準備は万端だ。タートルネックの薄手のニットを着てきたのはミスチョイスだったかもしれないが、着替えを持って来てないのでもうどうしようもない。軽く足首をブラブラさせた後、私は走り出した。

建物沿いをゆったりと走り始める。十歩ほど進んだところで、向かい側から通話中の男性がやってきた。すれ違ったとき、男性の声が耳に入る。

「うん、今目白方向に歩いてるとこ~。」

しまった。方向音痴の人間に与えられし特殊能力、「二択で間違える」を発動してしまった。どうやら逆方向に進んでいたらしい。慌ててポケットからスマホを取り出しGoogleマップで確認すると、確かに男性が進んでいる方向が正しい。

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彼とすれ違わなかったら逆方向に進んでいた。自分がどこに向かっているか話しながら歩く人とすれ違うなんて、めちゃくちゃツイてる。今日は運が私に味方してる。

気を取り直して方向転換し、再び走り始める。それにしても人が多い。平日の15時だというのに、人が切れ目なく行き交っている。いつもは人通りがなくなったタイミングでマスクをずらして息が切れるのをやり過ごすのだが、なかなかマスクを外すタイミングがない。く、苦しい。
人通りが多いなか私服でランニングをしていると結構目立つのでは、と思っていたが、私に視線を向ける人はほとんどいない。そういえば私も東京に住んでいた頃は、ちょっと変わったことをしている人がいてもあまり気にならなかった。初めて新宿や原宿に遊びに行ったときは、ピンクのランドセルを背負ったおじさんや、雨に打たれながらオリジナルソングをアカペラで熱唱する青年に衝撃をうけたものだが、いつの日からか「まぁそういう人もいるよね」と受け流すようになったのだ。「本来こうあるべき」という幻想は、一定数の例外を目の当たりにすることで破壊されるのかもしれない。

最初の交差点に差し掛かったところで、「明治通り」と書かれた標識を発見。私はどうやら「明治通り」を走っているらしい。幾度となく見聞きしてきたことがある名前なので、きっとすごく有名な通りなんだろう。しかし、なんとなく雰囲気で31年間生きてきた私にとって、あまりピンくるものではなかった。今回も、私の脳に「池袋駅の横っちょを通っている、そこそこ広い通りが明治通り」というざっくりとした情報が加わっただけだ。

それにしても、予想はしていたが、都会のランニングはとても「硬質」だ。走る自分の両サイドにはビル・ビル・コンビニ・ビル・たまに飲食店。地面はどこもきれいに舗装されたブロックの歩道。普段走っている自宅の周辺をのどかな田舎だと感じたことはなかったが、ガードレールの隙間に歩行の邪魔になるほど雑草がぼうぼう生えていたり、何の脈絡もなく突然畑が広がっていたりと、ここよりは多少なりとも「やらかい」部分があることに気が付いた。

しばらく明治通りを走ったところで、一度立ち止まって現在地を確認する。どうやらこのまま進むと線路からどんどん離れてしまうようだ。なんとなーく右へ、右へ、と軌道修正していく。住宅街を通り抜けると、「目白通り」と書かれた標識が現れた。例によってピンとこないが、わざわざ通りの名前に”目白”と付けるからには、ここを通れば目白駅に着くはずだ。よくわからない確信のもと、迷わず前進する。すると案の定、駅らしきものが見えてきた。

目白はなんというか、ハイソな街だった。きれいに整備され広々とした駅前、そしてその左手にドーンとそびえ立つ学習院大学。石の塀に囲まれ、門の両サイドには日の丸の国旗が掲げられている。私が通っていた大学は、収穫した野菜を抱えた学生・カルガモの親子・散歩中の地元のおばさんといったなんとも「やらかい」存在が日常的にウロウロしているような場所だったので、学習院大学のスキのない雰囲気にはやや気圧されてしまった。地面も、池袋以上にスキのない、きれいな正方形の石畳だ。

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新品のシューズのソールが、堅い地面に当たってパタパタと鳴る。走りやすいが、特に心地よさのようなものは感じなかった。私が「やらかい街」から来たよそ者だからだろうか。

周りの景色を観察することに飽きてきた私は、リュックの振動が体に伝わりづらい走り方を発明したり、汗だくになったタートルネックをびよんびよん伸ばして空気を送り込んだり、十メートル進むごとにGoogleマップを起動したりした。そんなこんなで走ったり歩いたりを繰り返していると、無事に高田馬場駅に到着した。病的なほどGoogleマップで現在地をチェックしていたので、道に迷わずに済んだ。膝に軽い痛みを感じたが、初めての“ふた駅ラン”完走に、辛さよりも達成感を味わうことができた。タートルネックを伸ばしていた手を首元から離し、足を止める。

息を整えながら、初めて訪れる高田馬場駅をぐるっと見渡す。どこもかしこも看板・看板・看板……なんだか、文字酔いしてしまいそうだ。すべての空間を文字や記号で埋め尽くしてやろう、と言わんばかりの情報量。沈黙が苦手でマシンガントークをする人みたい、と思った。隙間がないものというのは、もれなく私を疲弊させるのだ。

今回走った池袋~高田馬場間には、「硬質・情報過多・スキがない」という印象を受けた。はっきり言って、第一印象はあまりよくない。しかし、じっくりと練り歩いたら、また印象は変わってくるはずだ。このエリアにも、「家の前の道を寝巻のままホウキで掃くおばちゃん」や「赤ちゃんがベビーカーから片方だけ落とした靴」みたいな、やらかくて・余白があって・スキだらけな部分がきっとある。そう考えると、慣れない街をランニングするというのは、その街の表面だけをさらっとなぞる行為なのかもしれない。

一度走っただけではカチカチな固さにしか感じられない道でも、何度も何度も繰り返し走ってみたら、足に馴染んでやらかくなっていく。そんなものなのかもしれない。

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