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後ろ向きに、走り出す

午前7時。隣でスヤスヤと眠る夫を起こさないよう、慎重にベッドから抜け出す。寝室のふすまを静かに閉めて、キッチンで常温の水を1杯飲む。まだ10月だというのに朝の空気はひんやりと冷たい。薄手のパジャマがそろそろ厳しい季節になってきたなぁと、覚醒しきらない頭でぼんやりと思う。

ボーッとしたまま、着替えるために玄関へ向かう。なぜ玄関で着替えるのかというと、昨晩、他でもない私自身がランニングウェア一式を玄関に用意しておいたからだ。今日から週に4日、ランニングをすると心に誓ったのである。

肌寒さに震えながら、Tシャツに袖を通す。パーカーを着る。ランニングスパッツを履く。短パンを履く。靴下を履く。日焼け対策のつばの広い帽子をかぶってマスクを装着し、準備完了だ。ウォーキング用のスニーカーのひもを雑に結び、玄関のドアノブに手をかける。

あぁ眠い。眠すぎる。11時就寝・8時半起床で生活する私にとって、7時起床は十分すぎるくらいの早起きだ。ちょっと気を抜くと、まぶたが下まつげ目がけて落下してくる。この眠さと週4日、闘わなければならないのか……。早くも不安になってきた。

私の精神および肉体には、“根性”というものが備わっていない。
中学時代、越前リョーマばりのツイストサーブが打てることを期待して入ったテニス部は、手首が痛いのと筋トレが辛くて3ヵ月で辞めた。

高校時代、桜木花道ばりの目覚ましい成長を期待して入ったバスケットボール部は、体力のなさと人間関係が辛くて1年ちょっとで辞めた。

それ以来、運動らしい運動はほとんどしていない。年に数回、お腹周りの贅肉が気になった時に、筋トレをちょっと頑張るくらいだ。
31歳になった今では、主婦をしながら在宅ワークで小金を稼ぐといった、引きこもりのお手本のような生活をしている。
スマホの万歩計アプリによると、平日の私の平均歩数は50歩らしい。30年後の足腰が心配になるレベルの運動量だ。

そんな私が、眠い目をこすりながらランニングをしようと玄関のドアを開けるのには、ある理由があった。

1ヵ月以内に10キロ走れる体にならなければ、人に迷惑がかかるという恐怖

私は半年ほど前から、PLANETS CLUBというオンラインコミュニティの「ランニング部」に所属している。走ることは大の苦手だが、運動不足による体力の低下をひしひしと感じていたし、コミュニティ内の人と交流ができるいい機会だと思って入ってみたのだ。

PLANETS CLUBのランニング部(以下、ランニング部)は、「さぁ今日もガッツリ走り込むぜ!」といったマッチョな精神を持つ人の集まりではなく、「今日走ったルートでこんなもの見つけました~」とFacebookに投稿するようなゆるいコミュニティだ(もちろん、ガッツリ走り込んでいる人もいる)。
そんなゆるい雰囲気に安心した私は、“意識低い系ランナー”を自称し、「月に1度だけ走って、そのとき起こった出来事をエッセイという形でnoteに書く」といった独自のスタイルで参加していた。

そんなある日、ランニング部のFacebookページにて、私がランニング部に入って以来初めてのオフラインイベントが発表された。その名も「飯能でトレランを齧るオフ会」だ。トレランとはトレイルランの略称で、山道などを走るランニングのことらしい。よくわからないが楽しそうだ。山なんてもう10年以上は登っていない。

胸が高鳴ったが、イベントの詳細を読み進めていくと、こんな一文が目に留まる。

“<必要な体力の目安>休み休みで良いので、一度に10km走れる程度。”

10キロなんて、生まれてこのかた走ったことがない距離だ。一番長く走ったのはあれだ、高校2年生のマラソン大会。あれは何キロだったっけかな……と、パソコンの検索窓に「○○高校 マラソン大会 女子 距離」と入力してみる。見事母校の公式サイトにヒット。どうやら女子のマラソンコースの距離は4キロらしい。17歳の私がゼイゼイ言いながら走ったマラソン大会の2倍以上……。走れる気がしない。

不安でいっぱいになった私の頭の中では、こんな光景が浮かんでいた。

― スタイリッシュなランニングウェアに身を包んだ、引き締まったボディのランニング部のメンバー。皆、規則正しいフォームで颯爽と走っている。顔には爽やかな笑顔を浮かべ、余裕そのものだ。

その数十メートル後を、ヨロヨロ歩きながら必死でついていく私。息は上がり、体温の上昇と羞恥心とで顔が燃えるように熱い。

そんな私を、心配そうな顔で振り返るメンバー。走る歩みを止め、私が追い付くのを辛抱強く待ってくれている。

なんとか追い付こうともがくが、足が言うことを聞いてくれず、しまいには地べたを這って進む。手のひらが土で汚れ、小石も食い込んで痛い。そして涙ながらに、心の中でこう叫ぶのだ。

(なぜ……なぜ私というやつは、前もって走る練習をしてこなかったんだ……!!!)

― という恐ろしい妄想に憑りつかれた私は、翌朝からランニングの特訓をすると、固く心に誓ったのだった。

イベントの開催日は、発表された日から約1ヵ月後の11月14日。徐々に距離を伸ばしていく作戦が無難だと判断した私は、このようなルールを設けてみた。

1週目:1.5キロ走る
2週目:3キロ走る
3週目:6.5キロ走る
4週目:8キロ走る

8キロまで走れたら、最終日あたりには10キロくらい走れるようになってるかな、というどんぶり勘定である。あとは自分を信じてひたすら走るのみ。特訓スタートだ。

特訓1週目:目標1.5キロ

そんなわけで、冒頭に記した通り、私は眠い目をこすりながら玄関のドアを開けたのである。

ランニングコースは、極度の方向音痴の私でも道に迷わないよう、一本道の大通りをチョイスした。

とりあえずの目標として設定した1.5キロだが、これがまぁしんどい。100メートルほど進んだところで、すでに息が切れてきた。そしてとにかく体が重い。地面を蹴って着地するたびに、体中の贅肉(おもに尻)がぶるんと振動し、鬱陶しいことこのうえない。膝もなんだか痛む。

なんとか一度も立ち止まらずにゴールできたが、すでに体はボロボロだ。これにプラス8.5キロ……不安しかない。

特訓2週目:目標3キロ

なんとか週4日のノルマを果たし、2週目がスタート。憂うつと眠気と闘いながら、玄関のドアを開ける。

片道の1.5キロを走ったところで、力尽きた。20分ほど休憩した後、復路を走る。膝が痛くて何度も立ち止まるが、なんとかゴール。

これは心の支えが必要だと判断した私は、2日目以降はジュース休憩で気を紛らせることにした。折り返し地点にあるセブンイレブンに立ち寄り、ランニング部内で流行しているスムージー『イノセント』でHPの回復を図る。

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そんなこんなで自分を騙しながらランニングを続けていくうちに、あることに気付いた。毎日同じコースを少しずつ距離を伸ばしながら走っていると、ちょっとした体の不調を敏感に感じ取れるようになってきたのだ。

暴飲暴食した翌日には、いつも以上に体が重くてなかなか足が進まない。「なんだか足の疲れが取れないな~」と思うのは、たいてい湯船に浸からずシャワーで済ませた日の翌日だ。毎日変わらず「それなりに元気☆」だと思っていた体は、日によってコンディションが微妙に違うことを知った。面白い。

微妙な体の変化に気付くようになったのは嬉しい発見だったが、一向に変化しないものもあった。それは「足の重さ」だ。生まれてこのかたランニングシューズというものを履いたことがない私は、ウォーキング用のスニーカーで毎日特訓に励んでいた。しかし、さすがにこのまま走り続けると足を痛めるのでは……と思い、ランニングシューズを購入。

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私は滅多に物を買わないドケチな性分だが、10キロという距離を完走するために、できる限りのことはしたかったのだ。
生まれて初めて履いたランニングシューズは、かかと部分に天使の羽がくっついているのかと思うくらい軽かった。これで3週目は楽勝だ。

3週目:目標6.5キロ

ランニングシューズを買って、ぐんぐん走れるように!……と言いたいところだが、さすがに持久力と精神力まではアップしなかった。
足は軽いが普通に疲れるし、膝も傷む。朝起きるのも辛い。

この頃からやや気持ちがダレてきたのか、朝起きれずに夜走ることが増える。さらに厄介なことに、走らない言い訳を次々と考え付くようにもなった。

「大きな通りは車の排気ガスが多くて気持ち悪い。もう走れない。」
「朝は子供たちの集団登校にかぶって走りづらい。夜にしよう。」
「膝痛いし、歩きメインでやろ~。」

非常にマズい。私の体の80%を占める「根性なし細胞」たちが、ものすごく活性化している。自分がこのまま特訓をサボりだすことを危惧した私は、打開策として次のような方法を実践した。

【 ①朝バナナ作戦 】
ねらい:腹が減ってはランニングはできぬ!糖質パワーに期待
結果:空腹時より走れるようになることが判明

【 ②音楽でノリノリ作戦 】
ねらい:無理やりテンションを上げて勢いで走る
結果:気が紛れるのか、時間が経つのが早く感じるように

【 ③ランニングフォームを撮影作戦 】
ねらい:膝が痛む原因がわかるかも?
結果:撮影した動画をランニング部で共有したら、アドバイスをもらえてフォーム改善!膝も痛くない!

これらの作戦は見事私の「根性なし細胞」を一網打尽にし、休憩を挟みながらもなんとか6.5キロを走り切ることができるようになったのだ。

4週目:目標8キロ

本番まであと1週間。目標は8キロに定めたが、本当にそれで大丈夫なのだろうか。せめて一度くらいは、10キロという距離を走っておいた方がいいのではないだろうか。

「ちょっとでも不安をなくしたい」というネガティブパワーに引きずられるような形で、私は10キロ走ってみようと決意した。

夜の19時、イヤホンで音楽を聴きながら、いつものルートとは違う道を走り出す。いつものルートだと、自分が今どのくらい走ったのかがなんとなくわかるようになってしまったので、気分転換してみたかったのだ。

10分も走ると、見知らぬお店や住宅が建ち並ぶ道に出る。自宅から半径1キロ圏内で生活している私にとって、足を踏み入れたことのない「未体験ゾーン」に突入するのは、あまりにも簡単なことだった。

初めて走る道は新鮮で、このままどこまでも遠くにいけるような気がした。体は重くもなく軽くもなく、普通だ。体温が上がり少し汗ばんできたが、熱を帯びてきた体に11月の風が吹き付けて、心地が良い。

今、何キロくらい走ったんだろう。
一度足を止めて、現在地を確認してみる。スタート地点から、一度も止まらず3キロほど進んでいた。
このとき初めて、初日に比べて自分が随分走れるようになっていることを知った。

その後休憩を挟み、折り返し地点に到着する。
自宅の最寄り駅から2駅先のイオンだ。電車で何度か行ったことのある場所。
赤紫色の看板を見て、ぼんやりと思う。

自分の足で、この短時間で、こんな場所まで来れるのか。

それはとてもシンプルで、走り慣れている人からしたら当たり前のことなのかもしれない。でも、生まれてこのかたずっと「走る」という行為を苦行としか思っていなかった私にとっては、衝撃的な体験だったのだ。

イオンでトイレ休憩を取り、来た道を引き返す。
復路はさすがに足に疲労が溜まったのか、途中何度か止まったり歩いたりもしたが、なんとか無事10キロという距離を完走することができた。

ゴール地点に足が着いたとき、私の胸にこみあげてきたのは、「達成感」でも「喜び」でもなく、「安堵」だった。これでイベント当日、泣きながらみんなの背を追う心配がなくなった、という安堵。
本来自分が楽しむために参加を決めたイベントなのに、何をそんなに怯えているのか、我ながら変なヤツである。

待っていたのは「たのしい大人の遠足」だった

そして迎えたイベント当日。
やや緊張しながらも、飯能駅で合流した初めて会うランニング部のメンバーと挨拶を交わし、ストレッチをする。

ストレッチを終えると我々は一列に並んで、ゆっくりと走り始めた。
主催者の方々が事前に入念な下見をしてくれており、トレラン初心者への配慮がどこまでも行き届いたコースだった。ランニングは舗装された道路がメイン・山道は歩き・帰り道もほぼ歩き、といった具合だ。

走っている最中は終始、「コーチ」の愛称で親しまれるAさんが、ルートの説明や体に負担のかかりにくい山の登り方まで丁寧に説明してくれる。

他のメンバーも気さくで話しやすい人ばかりで、山道を歩きながらの雑談がはずむ。

傾斜の激しい坂道を上るときはさすがに息が上がったが、頭上でチラチラと光る木漏れ日や土のにおいに体が浄化されているのか、体調はすこぶる良い。
山頂に到着し、ずいぶん小さくなった街並みを見下ろすと「うわぁ絶景!」と何のひねりもない感想が口から漏れた。

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転んで怪我をしないよう慎重に山道を下り、気が付けば約10キロの道のりを走り終えていた。

その後みんなで狭山駅近くの銭湯に向かい、お湯に浸かる。

みんなで夕食をとる。

ビールの瓶なんかも開けちゃう。

ほろ酔い気分で解散。

帰り道、ひとり電車に揺られながら思う。

なんだこれは。修行僧の気分で挑んだはずが、たのしい大人の遠足じゃないか…!

走り出す前は緊張の糸が張り詰めていたはずなのに、いつの間にかすっかりお客様気分で楽しんでいた。私は一体何を心配していたのだろう。こんなに楽しいイベントなのに。

今思えば、心配事があると私がしばしば繰り出す“最悪のパターンを妄想することで失敗したときのショックを和らげよう作戦”だったのかもしれない。

ポジティブな感情ばかりが「挑戦」のトリガーになるとは限らない

今回のイベントのおかげで「10キロ走れるようになる」という大いなる挑戦ができたわけだが、こうして振り返ってみると、肥大した自意識と言い訳のオンパレードで恥ずかしい限りだ。

しかしその一方で、「自分は基本的に世の中のお荷物」という負の感情が、自分を奮い立たせることもあるのだと知った。
「目標に向かってキラキラ頑張る!」という美しい挑戦の形とはちょっと違うが、等身大の自分のままで変化を起こせたことが、純粋に嬉しかった。

これからも不安なことや嫌なことから逃げたくなったら、「ネガティブな挑戦」をしてみようと思う。

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