それでも自販機でジュースを買う
どこにでもある、飲み物の自販機が好きだ。散歩中、道端にポツンと立つ自販機を見かけると、なんだか嬉しくなってついついラインナップをチェックしてしまう。ボックス内の照明に照らされ、ズラッと並べられた数十種類の飲み物たち。スーパーやコンビニよりも限られた選択肢の中から、そのとき自分の喉が最も欲しているナンバーワンドリンクを選抜するのは、一期一会の楽しさがある。運良くお気に入りのジュースが置いてあったり、激安価格の自販機に出会えたら、その日はなんだかハッピーに過ごせる。自販機とは、言わば日常における最小規模のエンターテイメントだ。
……と、私は今まで自分の自販機への好意を、このように解釈していた。ところが最近どうも、他にも理由があるような気がしてならない。飲み物を物色するワクワク感のなかに、懐かしいような切ないような、なんとも形容し難い感情が紛れ込んでいるのだ。しかもその感情は、年齢を重ねるごとに、少しずつ膨張している。
私がその感情をはっきりと自覚したのは、数日前の夕方のことだ。その日、近所のスーパーへおつまみを買いに行った帰り道、三台横並びになった自販機を見かけた。立ち止まってラインナップを確認すると、心の中で何やらブツブツつぶやいている自分に気付く。
「この甘ったるいコーヒー飲料、中学校の売店でみんな飲んでたな〜。まだ売ってるんだ」
「ドクターペッパーって、子供の頃初めて飲んだらマズくて衝撃だったなぁ」
飲み物のパッケージが、過去の思い出を呼び覚ます引き金になっているのである。そして思う。自販機で売られているジュースの中には、“物語の種”が入っているのではないか、と。私たちは一人ぼっちで寒さに凍えたり、放課後に仲間とワイワイ言ったりしながら自販機に小銭を入れ、蓋を開けてジュースを体内に取り入れる。すると“物語の種”が芽を出し、そこで見た景色や空気のにおい、甘ったるいジュースの味とともに、思い出として記録されていくのである。自販機を見たときの懐かしさや切なさが年々増していくのは、自販機を起点とする物語のうちの多くが、二度と戻れない過去のものだからなのだろう。
ここで、「自販機は自動“物語の種”販売機である説」を実証するために、私自身の経験をいくつか紹介したい。
Episode1.『ポカリスエット』の種
15歳のある暑い夏の午後、中学校から帰宅する途中だった私は、突如ひどい生理痛に襲われ、駅のベンチでうずくまってしまった。すると、頭上から「大丈夫?」と声がし、顔を上げると見知らぬ大人のお姉さんが立っていた。息も絶え絶えに事情を説明すると、ベンチの隣にあった自販機でペットボトルのポカリスエットを購入し、「こういうときは水分も摂ったほうがいいから」と言って手渡してくれた。看護師の仕事をしていて、具合の悪そうな人を見ると放っておけないと言うのだ。「赤の他人に自販機で飲み物を買ってあげる」という発想がなかった私は、お姉さんの親切な行動に心を強く打たれ、「自分もこういうことができる大人になろう」と、痛みで朦朧とする意識のなか固く誓った。ぎらぎらと照りつける日差しの下で飲んだポカリスエットは、文字通り体に染み渡る美味しさだった。
Episode2.『富士山のバナジウム天然水』の種
20歳の頃、大学から自宅へと帰る途中だった私は、駅のホームで同じ学科の男子生徒がしゃがみこんでいるのを見かけた。顔見知りだったので声をかけてみると、朝から熱があったようで、具合が悪くて立っていられなくなったという。ふと、5年前に遭遇したお姉さんのことが頭をよぎり、近くの自販機まで走り、『富士山のバナジウム天然水』を購入した。息を切らしながらペットボトルを手渡すと、彼は唖然とした表情でそれを受け取った。この出来事があって以来、私と彼はちょくちょく話をするようになり、十年後には結婚までしてしまった。彼、もとい夫は、「こんなに親切な人が世の中にいるんだ! って、衝撃だったよ」と当時のことをよく口にする。“受け売りの親切”であることは、なんとなく言い出せないでいる。
Episode3.『常夏ココナッツミルク』の種
29歳の夏、結婚を目前に控えた夫と私は、ささやかな婚前旅行として三浦半島の城ヶ島に出かけた。民宿に一泊した翌朝、旅の醍醐味とも言える早朝散歩に出かけたのだが、前日夕食を早めに食べたせいか、激しい空腹に襲われた。島内にはコンビニがなく、数少ない飲食店も全て閉まっている。少しでもカロリーのあるものを探し求め、遭難者のように歩き回っていると、ポツンと立っている自販機を発見。『常夏ココナッツミルク』という、見るからにハイカロリーなジュースが目に留まる。はやる気持ちを抑えながら小銭を投入し、ボタンを連打し、落ちてきたそれを夫と奪い合うようにして飲み干す。夏場に飲むことを想定して開発されたのだろうか、意外にも甘さは控えめで喉越しもさらりとしており、私の頭の99%を支配していた「喉乾いた」「お腹空いた」をダブルで解消してくれた。もうココナッツには足を向けて寝られないなと思った。
これらの物語は、間違いなく自販機が存在していなかったら誕生しなかったものである。特に印象に残っているエピソードを挙げたが、私の記憶の引き出しには、他にも無数の「自販機にまつわる物語」がしまい込まれているはずだ。
なぜ自販機はこんなにも、私たちの生活のなかに物語を生み出すのだろうか。あの箱の中には、補充係の仕事をしている人だけが知る秘密のカラクリがあるのだろうか。そんなことを考えながら、家の近所を歩く。私は考え事が煮詰まると、外へ出て歩き回る癖があるのだ。すると、噂をすると何とやら、自販機が目に留まる。あ、ここにも自販機。あそこにもまた自販機。またまた自販機。
このとき私は、身も蓋もない真実に気づいてしまった。自販機は、ただただ数が多いのだ。コンビニやコーヒーショップと比べて、圧倒的に目にする回数が多い。試しに自宅から駅周辺までを5分間歩いてみたところ、なんと計17台もの自販機を見つけてしまった。およそ18秒間につき1台の自販機と遭遇していることになる。自販機から始まる物語が人生に溢れているのは、飲み物に“物語の種”が入っているからではない。私たちが勝手に「そこにあるから」という理由で自販機を利用し、ジュースの味と共にその時起こったことを記憶していただけだったのである。
自販機へのロマンが粉々に打ち砕かれた私は、落胆した気持ちを紛らせるべく、17番目に発見した自販機へ小銭を入れる。最近太り気味なので砂糖たっぷりのジュースは控えたいと思い、バヤリースの『さらさら毎日おいしくトマト』というトマトジュースをセレクトしてみた。ゴトンと音を立てて出てきたトマトジュースを、半分ほど一気に飲む。商品名の通りさらっとした喉越しで、確かにこれなら飽きずに毎日飲めそうだ。残りの半分をちびちび飲みながら、「何か起これ、何か起これ」と念じてみるが、物語が始まる気配は一向にない。やっぱり自販機の中には、ただのジュースしか入っていないようだ。柄にもなくロマンチックな想像で盛り上がってしまったことが恥ずかしくなった私は、空になった“種なしトマトジュース”をギュッと握りしめ、勢いよく自販機横のゴミ箱に放り込んだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?