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会わなければ、一緒に立ち止まれない。

  10kmと少々、飯能の町から山へ、山から町へと走った仲間たちが、浴場の隣に併設された畳の広間で寝転んでいる。
  2020年11月、夕暮れ前の風呂上がり。
  Tシャツでストレッチをする人、上着を掛け布団にして横になる人。空調を整える音だけが鳴り続け、自分たちの輪や、他の団体客の輪から、荷物をガサゴソとする音や、目的のない会話がポツポツと生まれ、消えてゆく。

  それは、モニター越しで共に過ごした3月から11月までの9ヶ月間に一度も無かったであろう、その場にいる全員が立ち止まっていた瞬間だった。

■勝手に繋がり、勝手に走り続けた9ヶ月。

  走り続けようとするほど、一人で走り続けることの難しさを知る。

  この9ヶ月を振り返り自分が走り続けることができたのは、間違いなくオンライン上で仲間と繋がり、走る日々を共有していたからだ。

  いつでも、どこでも、誰とでも、自分のタイミングで勝手に繋がることができるのが、オンラインならではの楽しさだと思う。私が属するPLANETS CLUB ランニング部は、Facebookのグループ、つまり拠点をSNSとしているため、発足した2018年からオンラインに軸足を置いて活動している。
  そこでは肩書も、走力も、一切必要としない。各々が走ることを楽しみ続けるために立ち寄る場、といった使われ方をしているように思う。初代リーダーに代わり、いや、代われないので部長という役職を自分で掲げたこの1年も、そのコンセプトを継続した。

  コロナ禍において、オンラインでの楽しみ方はさらに進化した。特に盛り上がりを見せている2つの取り組みが、この集いの個性を際立たせている。

  1つ目に紹介するのは、「ランニングしりとり」。走った時に撮影した画像でしりとりを繋げていくという、笑ってしまうほど素朴な遊びだが、そこにはメンバーが走る場所・時間・それぞれの視点が、垣間見える。

名称未設定のデザイン (15)

左上から、高田馬場⇒バス停⇒石垣⇒(左下)吉祥寺⇒神宮⇒丑生地蔵…

  これは、1枚目の画像でゲームがスタートしてから、1時間半ほどで集まった6枚だ。
  部活動のような勝利を目指す場でも、自己ベスト更新を狙ってしのぎを削る場でもなく、各々が走ることを楽しみ続けるための場所なのだから、どうしてもタイムや記録で序列のようなものが生まれてしまう走るコミュニティにはしたくないという思いがあった。そこで目をつけたのが、「メンバーの視点」だ。どこを走り、何を愛でるかは、決して代替できない走る人それぞれの個性になる。

  2つ目に紹介すべきは、やはりこの共同運営note「WE Run」だろう。

    「走る」というワンテーマのみを共通項とし、3月〜11月間に掲載された記事数は、100記事以上となった。書き手として参加しているのは20名ほどで、毎月5名以上が新しい記事を掲載していると思う。しかも、ただ走った記録を書き綴った記事などはなく、いずれもが”自分が書き得る範囲での価値転倒”を意識して書かれたものだ。プレゼン資料1枚で済むような、情報が並ぶだけの文章が一つも無いことが、メンバーの熱量を物語っている。

  書くことによって、「走る」という行為といかに向き合っているかが、如実に現れる。走ることで日常に句読点を打とうとする人、走ることで既存の人間関係から開放されようとする人、走ることで自分の身体を実験する人、ただ走ることを楽しむ人…。
  当然ながら書き続けるのは大変で、月に2度のテレビ会議で感想を交換し、添削し合うことで、互いの力を借りている。手ぶらで参加しても、誰かが良い記事を書こうとする姿を見聞きすると、励まされる。共同運営noteに投稿すれば、一人で投稿する以上の反応が返ってくる。一人で走り続けるより、誰かと走り続けたほうが続けやすいという、走り続けるための仕組みを書き続けることにも応用した結果、良いペースで続いているのだと思う。
  一つ一つの記事に現れる、その書き手だけの走り方。書き続け走り続けるための試行錯誤を、各々が応援したり、羨んだりしている。それぞれの走る様に影響されあって、お互いの走り方を真似たりしている。

  ただ、こんなにもオンラインで交流を重ねた中で、私たちの目は一度も合っていなかった。

■誰かと走る。目が合う。共に寝転ぶ。

  字面だけ見ればあまりにも簡単に見えるのに、その全てはオンラインで代替不可能だ。2020年11月、9ヶ月ぶりのオフ会で、私はその事実をただ体感するしかなかった。

  まず、オンラインで目と目を同時に合わせることはできない。もしモニター越しの誰かがあなたの目を見ているなら、その誰かは気を利かせてレンズを見ていることになる。そして数秒の時差もある。レンズや回線が劇的に進化すれば改善するかもしれないが、その環境が全員同時に揃うのはいつになるだろう。
  オンラインのイベントで司会をよく担当する人へ声を大にして伝えたいのが、実際に会って集まると、参加者全員がマイクもビデオもON(しかも遅延なし)で嬉しい!!!!ということである。こんなことで感動するとは思わなかったが、こんなことで感動するのだ。

  そして、共に寝転ぶ。これこそが、久々に仲間と会う上で最も尊い時間のように思えた。オンラインでは、各々が好き勝手に参加態度をコントロールできるがゆえに、どんなにゆるいオンラインイベントを開催しても(温泉に浸かるカピバラの動画を皆で眺める、等)、主催者が気を張っていたり、マイクやビデオがOFFになった画面の裏で作業をしていたりする人がいる。その場にいる全員が、自分を晒しながら何もしていない。そんな瞬間を成立させることは、オンラインでは難しいだろう。

■立ち止まり、その先へ。

  もっとも、全く知らない人がとなりに寝転んでいたところで、特に感動はない。

  オンラインで、各々が走る視点を交換している。だからこそ、前を走る仲間がカメラを構える姿に、眼差しを向ける先に、その人の目にしか映らないものを想像することができる。

  オンラインで、各々の走り方を応援している。だからこそ、走りながら実験している様子も、走りながら仲間を気遣う様子も、止まらない好奇心をまとって走る様子も、目に見えてくる。

  たとえオンラインで交流していなかったとしても、自分のペースで勝手に走り続ける価値観に共感した仲間ということに変わりはない。新しい出会いを、その場にいる誰もが歓迎している。

  自分には持ち得ない視点で、自分には辿れない道を走り続けてきた仲間と、確かに時間を共にしている。そして、畳の上で寝転び、一緒に立ち止まっている。
  私は壁際に陣取ってしまったので、左にも右にも仲間がいて、足を放り出せずにもどかしい思いをしながら、結局放り出して、贅沢な時間をだらだらと過ごした。薄暗い畳の広間で過ごした、眩しい一時をここに書き残せたことも、共に走り続け書き続けた成果なのだ。
  もっとも、一人は飯能のユニクロへ限定品を買いに行ってしまったのだが…

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  どんな形であれ、走り続けることはできるようだ。それを、一人ひとりの仲間が証明してみせた。

  だからこそ、来年は会うことに挑戦する。話すことが危険というなら、話す必要はない。各々が日常を走り続ける中で、たまには休むことの方が必要だ。そのためにも、出会い、走り、立ち止まるための場所を、作り続ける。


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