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50回目の誕生日と無人書店と地下アイドル " 旅先で『日常』を走る ~spin-off⑧~ "


2022年2月、私がかつて推していたアイドルの卒業が発表された。もっとも、彼女が卒業するのは初めてではない。4年ぶり2回目となる。

私が応援していたアイドル沖田彩華は、以前はNMB48というメジャーアイドルグループに在籍していた。2015年、私はたまたま入った劇場でセンターポジションに立っていた彼女に一瞬で魅せられ、当時は干されメンバーだった彼女を猛烈に応援することになった。その後、彼女がドキュメント映画で主役を務めたり選抜総選挙で上位にランクインしたりと、まさにシンデレラストーリーを彼女が歩んでいく道のりをファンとして共に過ごした。

2018年8月、彼女はNMB48を卒業した。私は彼女の卒業公演に当選したのだが、結局はキャンセルしてしまった。彼女の卒業後の活動についてはなにも発表されておらず、「このまま引退してしまうのならばこれで見納めとなってしまう」という事実に向かい合う覚悟が、当時の私にはなかったのだ。

結局、彼女は地下アイドルのプロデューサーに転身し、昨年春に立ち上げてたニつ目のグループで一年間の期間限定でアイドルとして復帰した。その期限がいよいよ4月17日にやってくるのだ。メジャーから地下へと活動範囲は変わったが、彼女の卒業公演を今度こそ現場で見届けることにした。

偶然にも卒業公演の前日は私の49歳の誕生日だ。自分への誕生日プレゼントとして、一泊二日の関西方面への旅行を計画した。


① 愛知(サウナとナナちゃんと『愛・地球博』)


4月15日金曜日の深夜、日付は16日に変わって0:30。私はバスタ新宿発の高速バスに乗り、この旅最初の目的地名古屋へ向かった。バスは通い慣れた道のりを進んでいく。
私は、仕事の関係で2005年に一年間名古屋に住んでいたことがある。しかし、あまりに忙しすぎたからか、当時のことはほとんど思い出せない。そもそも、一年間のうち半分くらいしか名古屋の部屋には帰れなかったのだ。

時は流れ2014年、40代になった私にふたたび名古屋との縁ができた。その頃AKB48グループに興味を持った私は、名古屋の近くにある『SKE48シアター』に通うようになったのだ。仕事を終えるとそのまま高速バスに乗って早朝に現地に到着し、夜の公演を観覧したら深夜の高速バスで東京に戻って、翌日は朝から仕事をするという生活を月イチペースで続けていった。そのうちに、私は名古屋だけではなく大阪や新潟の劇場にも通うようになった。そんな私の劇場通いは、元号が令和に変わる直前まで続いた。

などと思い出に浸っているうちに、バスは名古屋に到着した。

時刻は6時すぎ。まずは笹島の交差点に建つ名鉄レジャックに向かい、一階のマクドナルドで軽めのブレックファーストを摂る。これが私の名古屋でのモーニングルーティンなのだ。
腹が満たされたところで4階に上がり、『ウェルビー名駅』で90分コースのサウナを堪能する。全国的に有名なこちらのサウナ。あまりに気持ちが良いのでつい長居してしまい、危うく制限時間をオーバーしそうになった。

さあ、次の待ち合わせまで時間の余裕はない。チェックアウトして、名駅に向かう。その道中で、ひとつだけ忘れてはならないことがある。ナナちゃん人形を撮影しなければならないのだ。

ナナちゃん人形

名古屋を象徴するスポットであるナナちゃん人形を定点観測することは、私のライフワークのひとつである。かつて名古屋に住んでいながらもこの地域に溶け込めなかった私にとって、ナナちゃん人形の存在こそが私と名古屋をつなぐ重要な結節点なのだ。

無事に撮影したところで、地下鉄東山線から鶴舞線・名鉄豊田線と乗り継いで、豊田市駅に向かう。豊田市といえば、その知名度の割に訪れる人は少ない地であろう。私は、かつての職場で豊田市全域を担当していたという縁がある。そのほとんどの店舗は、『メグリア』というトヨタ絡みのローカル生協にテナントとして入っていた。

名古屋を出てから、小一時間で豊田市駅に到着した。橋上の改札口を出ると、駅前ロータリーから少し外れたところに白のvitzが停まっている。単身赴任で今年からこの近くに住んでいるOろしさんと、駅前で待ち合わせをしていたのだ。「お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」という社交辞令はすべて真に受け、旅の目的地に向かう際に途中下車してでも無理やり立ち寄るのが、私のスタイルなのだ。

Oろしさんと無事に落ち会い、車に同乗し我々は一路長久手へ向かう。長久手といえば『愛・地球博』の開催に合わせて開通したリニモ(常温の電磁石を用いて浮上する方式のリニアモーターカー)と、かつて秀吉vs家康のバトルが繰り広げられた長久手古戦場くらいしか印象がない街だが、ノルディックウォーク仲間のOろしさんと散策するのに良い場所はないか?とGoogleマップを眺めていたところ、気になるスポットを見つけたのだ。その名も『モリコロパーク』。愛・地球博の長久手会場跡地を整備して作られた公園だ。

我々が車中でお互いの近況や共通の知人の話、さらには緊迫した国際情勢と世界平和について熱く語り合っていると、30分ほどでモリコロパークに到着した、
駐車場に車を停めると、さっそく我々は行動の準備に取り掛かる。おっさんの同行二人、出張ノルディック。いよいよスタートだ。

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駐車場から公園に入る道沿いに立っていた園内図を確認して、我々は歩行ルートにあたりをつけた。8の字を描くように園内を進む、合計5km強のルートだ。少し休憩しながら進んでも小一時間くらいで走破できる。我々は公園の広大さと緑の豊かさ、さらに天気の良さにすっかり気分がよくなり、螺旋状に続いているなだらかな坂を下っていった。

坂を下りきると、公園の外周に沿うようにルートを定めた。階段を上り、ばかでかいルーフバルコニーのようなウッドデッキを抜け、野球場の外周を進んでいく。

左手には向かい側から下り坂が走り、自転車がスピードを上げて向かってくる。この公園にはサイクリングロードが整備されており、近隣のサイクリストが集まっているようだ。
我々は標識にしたがって歩行者専用の道を進んでいくが、行く先々でなぜか工事が行われており、行く手を阻まれる。

野球場の周囲を無駄に二周したり、行き止まりを引き返してさっき下ったばかりの坂をまた上ったり。そんな道のりに文句をつけながらも、博覧会の遺構である『サツキとメイの家』を観賞したり池の周囲に日本庭園を模した遊歩道を歩いたりと、なんだかんだで満喫していた。

一周近く歩いた。かつてのメイン会場であったとおぼしき建物を越えたあたりに、今まで見てきたよりも大規模な工事現場を見つけた。公衆トイレがあったので、用を足すついでに工事の概要を確認する。『ジブリパーク』を作っているらしい。家族連れがターゲットとはいえ、どちらかといえば親の方を動員の目当てにしているように思えた。

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運動の後はランチに向かう。Oろしさんの同僚から「今度行ってみたいので偵察してきてくれ」と命を受けたパスタ屋に入ることにした。土曜日のランチタイムで、店頭には行列ができている。我々は小一時間並んで店内に入った。なにしろたまにオフラインで会う仲だ。待ち時間も話題に事欠かないので、まったく苦痛にならない。
店内はシンプルながら洒落た内装で、雰囲気がよい。ミートスパを注文したところ、太麺で「イタリア風油そば」のような味わいだった。

付け合わせのおにぎりなどを、残ったミートソースと和えて食べるスタイルも特徴的である。大満足。

食後はOろしさんから駅まで送ってもらい、別れを惜しみつつも次の目的地に向かった。


② 奈良(無人書店と貼り紙だらけのとんかつ屋と人喰い鹿)


豊田市駅から名鉄と近鉄・JRを乗り継ぎ、3時間半かけて奈良駅に到着した。時刻は18:00。奈良に足を踏み入れたのは、中学高校の修学旅行を含めて4回目だ。

そういえば、大人になって初めて奈良を訪れたのは、2019年9月、沖田彩華卒業1周年ライブを観るために来阪した時に、バスで早朝に京都に到着してから開演までの時間潰しに訪れて、奈良公園を走ったのだった。

NMB48を卒業して3ヶ月ほど後、沖田彩華はアイドルプロデューサーとして芸能界復帰を表明した。自身がプロデュースしたアイドルグループを売り出すために現場にはほぼ同行し、時には自らもステージに上がりパフォーマンスを披露するようになったのだ。
思い出話はそこそこにして、次の目的地に急ごう。

JR奈良駅前の大通りを渡り路地に入ると、そこは県庁所在地の駅近くとは思えないほど道幅は狭く、民家が密集していた。ごくありふれた住宅街のように思えた。しかし進み続けるうちに、ちょっとした違和感を感じるようになった。道筋がとにかく曲がりくねっている。同じ古都でも、お隣の京都の碁盤の目然とした見通しのよい街並みとは対照的だ。Googleマップの案内に沿って進んではいるが、土地勘がないこともあって方向感覚が鈍る。
10分ほど歩き、細道を抜けた丁字路の左手前に突然視界が開けた。

いかにも歴史ある商家のような風格の、白壁のひなびた日本家屋がそびえる。ここが目的地の『ふうせんかずら』だ。

町家をリノベーションした書店&カフェといった造りだが、この店の特徴は「無人」営業というところにある。入口は施錠されており、客は会員登録をしてIDを取得し解錠するオペレーションになっている。店内で本を選んだら、会計もセルフで行う。購入した人はコーヒーが一杯無料になる。もちろんこれもセルフサービスだ。

カウンター席でコーヒーを飲みながら、買ったばかりの本を読むというのも、至福のひと時なのではないだろうか?

ところで、無人とはいえ土日は有志が店番を務めており、通りすがりの人でも気軽に入店できるようになっている。到着が遅くなってしまったので既にカギが掛かっているかと思っていたが、幸いにもまだ店番の方が残っていてくれた。これまた幸運なことに、今日の店番は『ふうせんかずら』店主のすみれさんだった。

この書店は、棚を区画貸しするスタイルで運営されている。私も先月から棚を借りており、本を入れ替え棚を整理する口実で今回はじめて実店舗に足を運んだという次第だ。店内をひと通り眺めた後、すみれさんに挨拶し、書棚を整理していく。作業を進めながら、すみれさんからいろいろなお話しを伺った。

この建物が築111年であること。この店の一棚オーナーが、既に30人以上もいること。オーナーの多くは奈良および近県在住の方で、東京在住の私が史上最遠方だということ。以前にも、私と同じようにFishmans関連の書籍を大量に並べていたオーナーがいたこと。
カフェスペースもシェアキッチン的に運営されていること。平日と土日は客層がガラッと入れ替わること。常連の中でも無人の時にしか利用しない人と、有人の時にしか利用しない人がいること。この店のシステム自体が、「一見客がアウェイ感を持たない」ように苦心の上で設計されていること。

そもそも最近全国的に流行している「一棚オーナー」をやってみようと思い立った私が、なぜここに出店することに決めたのか? ひとつは奈良、特に奈良町と呼ばれるこの一帯が好きなこと。そしてもうひとつは、この店がほぼ無人で営業されている特異性が気に入ったからだ。
地方都市と緩やかに縁を築きたいなとなんとなく考えていたのだが、多くの地方でこのような取り組みをしている人たちから、私は「文化的パリピ」の匂いを感じてしまっていた。そうではなく、もっと地域の日常に溶け込んで意識も感度もそんなに高くなく、それぞれの好みがバラバラのまま並立しているような場を求めていたのだ。実際に足を運んでみて、「ここにしてよかった」と、心から思った。

すみれさんは帰途に着き、私も作業がひと段落ついたので宿へ向かった。今日私が泊まる宿も、町家をリノベーションした物件だ。

以前は海外からの観光客も多く泊まっていたというゲストハウスだが、コロナ禍におけるコスト削減策なのか、無人チェックイン方式が採用されていた。
宿の正門に設置されているポストの中に私宛の手紙が入っており、そこには裏口までの地図やら、裏口の解錠方法やら、部屋のカギが隠してある場所やら、その他もろもろが記されていた。ちょっとしたオリエンテーリング気分を味わうことができた。

無事にチェックインが済んだところで、ディナーを摂ることにした。宿にあるレンタサイクルで、『まるかつ』へ向かった。この店は、アイデアマンの店長によるツイートが何度かバズって有名になったとんかつ屋だ。しかし話題性だけではなく、味の評価もかなり高い人気店である。思わず期待値がうなぎのぼりになる。私ははやる気持ちを抑えつつ、ペダルを漕いだ。
奈良町の夜道は、昼間と同じく狭くて曲がりくねっている。しかも暗い。交通量はさほど多くないが、いかんせん視界が悪いので出会い頭の事故に気をつけなければならない。安全運転で2kmほど進み、まるかつに到着した。

外観はごく一般的なロードサイドの飲食店だ。時間帯が遅かったので、待たずに入店できた。店内は家族連れを中心に賑わっている。テイクアウトメニューも充実し、電話で予約しておいて引き取りに来る人もチラホラ見受けられる。地域に愛されている感が満載のお店だ。味は大衆店としては安定したクオリティで、ボリューム満点。そして特筆すべきは、店内の貼り紙の多さ。メッセージ性が強い! なにしろ、店長の背中にまで貼り紙が施されているのだ。

すっかり腹も満たされたところで、来た道を自転車を漕いで宿まで戻った。自転車を置いて、そのまま散歩がてら近所の銭湯に向かった。民家が並ぶ路地に目的の銭湯はあったが、看板に「ミネラル湯浴泉」とデカデカと書かれており、怪しさ満載だ。

とはいえ、中は普通の銭湯だった。かなり年季が入っていて補修の跡が多いが、怪しさは微塵もなかった。ただし、ミネラル湯浴泉に関する蘊蓄が書かれた貼り紙は、やたらと多かった。

湯冷めしないように、風呂上がりはそのまま宿に戻り、そのまま床に就いた。

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一夜明け、4月17日。いつの間にか私の誕生日は過ぎ去っていた。ケーキは食べなかったが、なかなか充実した一日だった。引き続き今日も頑張ろう。
せっかく奈良まで来たので、観光を兼ねて朝から走ることにした。

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宿を出て、奈良町の古民家が立ち並ぶ道のりを駆け抜ける。

大通りを渡ると上り坂に差し掛かる。左手に寄り道して、築112年の建築物『奈良ホテル』をしばし見物する。

元のルートに戻ると、左右に池がある。右側には鬱蒼とした木々が、左側には遠目に興福寺の五重塔が見える。午前中の鋭角的な日光を受けて、水面からから光が乱反射している。こんなに美しい景色が目の前にある日曜の朝なのに周囲にはほとんど人気がなく、もったいない。

池を抜けると右手に鳥居が見えてくる。ここをくぐり、奈良公園に入る。こちらに入るとだいぶ人が増えてきた。木々のトンネル越しの木漏れ日と、光合成したての酸素を大量に浴びながら進んでいく。

しばらく進むと、奈良公園名物『鹿せんべい』の売店を発見した。なんの気なしに、生まれて初めて鹿せんべいを購入してみた。まさか、ここが地獄の一丁目だったとも知らずに… 

さっそく、目の前に一頭の鹿が現れた。まだ朝飯を食べていないのだろう。「かわいそうに。一枚しんぜよう」 その一枚を渡した瞬間、私の周囲に5〜6頭の鹿が集まり、私を取り囲んだ。一様に興奮気味で、物欲しそうな眼差しでこちらを見ている。私が手に持った鹿せんべいをひったくるように鼻先をぶつけてくる個体もいれば、あろうことか私の左尻を甘噛みしてくる個体までいた。私はせんべいを放り投げるようにして野獣どもに与え、その場を逃げるように去った。
中学時代に先輩たちに囲まれてカツアゲされた恐怖がフラッシュバックしたのと同時に、貞操の危機すら感じた。さらに、鹿に噛まれた箇所から狂鹿病を発症してしまったらと考えると、心底ゾッとするのであった。

気を取り直して、大仏でも見にいくことにしよう。なにしろ疫病根絶には大仏建立が付きものなのだ。

東大寺の門をくぐり、拝観料を支払って大仏殿を参拝した。2年半ぶりに対面した大仏は相変わらずデカかった。

これで狂鹿病対策は万全だ。続いて、二月堂まで足を伸ばす。初めて訪れるが、案内図を見る限り大した距離ではない。楽勝。だと思ったが、そんなことはなかった。

急坂! というより山。私は早々にランニングをあきらめ、心をハイキングモードに切り替えた。ノルディックポールを持ってくればよかった…  頑張って登った甲斐あって、二月堂から眺める景色は壮観だった。

山を下り奈良公園を抜け興福寺の五重の塔を真下から眺めて、近鉄奈良駅の裏手にあるアーケードを突っ切って奈良町に戻る。

路地を左に曲がると、いきなり目の前に見たことある建物が現れた。『ふうせんかずら』だ。せっかくだから中を覗くと、すみれさんともう一人、一棚オーナーの方がいらっしゃった。挨拶がてら、しばし雑談を交わす。そこで「12月には『奈良マラソン』があるよ」と、面白い情報を得ることができた。これはぜひ走りたい。

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宿に戻ってシャワーを浴びたら、早々にチェックアウトして奈良駅へ向かう。次の待ち合わせがあるのだ。我ながら、なかなかの強行スケジュールだ。駅前の売店で柿の葉寿司(鯖)を購入し、

ホームで電車を待ちながらブランチを摂った。


③ 京都(ランオフの下見だけ。滞在5時間弱。)


次は、JR奈良駅から京都へ向かっていく。京都へは去年の夏頃までは仕事で頻繁にきていたのだが、担当していた飲食施設がコロナ禍の影響で休業したままなので、最近は足が遠のいている。

京都駅には12時過ぎに到着した。ここでまた走ることになるので、ひとまず荷物をコインロッカーに預けたい。しかし、改札口周辺のロッカーは軒並み一杯になっている。たしかに、駅前の人出はかなり多い。まん防が解除されたので、国内の代表的な観光地である京都はいち早く観光客が回復基調にあるのだろうか? それ自体は喜ばしいことだが、問題はこの荷物だ。どうしたものかと思案していると、コンコース上のモニターが視界に入った。そのモニターは、駅周辺のコインロッカーの空き状況を一覧にしたものだった。なんとも、ありがたい。私は逆の出口まで移動し、無事に荷物を預けることに成功した。

予想外に手間取ってしまい、待ち合わせ時刻に遅れてしまった。1kmほど走って、待ち合わせ場所まで移動した。待たせていた相手はM上さんだ。来月予定している京都でのランニングオフ会の幹事を彼にお願いしていて、今日は旅のついでにコース下見しようという算段なのだ。準備の進捗などを話しながら、スタート予定地の二条城前まで移動した。では、下見ランのスタートだ。

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ランナーたちが行き交う二条城のお濠を避け、堀川通りを北に進んでいく。走る人は歩道を、歩く人は遊歩道に降りて進むコースになっている。我々は遊歩道を歩くことにした。

ここでは地上よりも時間が緩やかに流れている。地上にいるときには気づかなかったが、遊歩道では沢山の人たちが過ごしていた。家族連れ・子どもたち・若者・おひとり様までさまざまな属性の人たちが思い思いに過ごしている。そして、ベンチや軽く腰掛けられるスペースがふんだんに用意されている。いつもより低い場所から地上を眺めると、視点の変化によって街全体の見え方が変わるのだという、当たり前の事実に改めて気づいた。

遊歩道を端まで進み、地上に上がってすばらく進むと今出川通りに突き当たった。右折して、鴨川デルタのあたりまでひたすら直進する。この通りは歩道が狭いので、本番では少人数のグループに分かれて進んだ方が良さそうだ。右手に京都御所、左手に同志社女子の赤煉瓦を眺めながら進んでいく。
鴨川デルタの手前、出町柳の商店街に差し掛かったところで、不意に大行列に出くわした。

ここが有名な和菓子屋『出町ふたば』だ。M上さんは京都に住んでいるのに、ここの名物豆大福を食べたことがないという。せっかくの機会なのでここで並んで買いましょうかということになり、我々は休憩がてら小一時間行列に並んで、無事に豆大福とその他もろもろをゲットした。

「時間に余裕があるから」といって、つい余裕をかましすぎてしまった。次の予定までのスケジュールが、けっこうタイトになってきた。鴨川沿いは走って進むことにした。

出町デルタから土手に降り、下流に向かって左岸を進んでいく。右岸よりは道幅が狭いので、ランナーは少ない。それでも、昼間から宴席を囲む集団や、楽器演奏に没頭している人たち、自主映画撮影しているらしき若者たちなど、好天の日曜日らしく多くの人で賑わっている。鴨川の道は走りやすく、スピードにも乗りやすい。

三条大橋を超えたあたりで、すっかり汗だくになってしまった。このあたりになると、鴨川名物「等間隔で土手に座る人々」が見られる。まあ、座りたくもなるよね。そのまま川沿いを進み、四条を越え五条大橋をくぐり抜けたところをゴールとして、我々は地上に上がった。

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本来はこれからランチを摂るはずだったのだが時間がないのであきらめ、『サウナの梅の湯』で汗を流すことにした。

さすがにここには「ミネラル湯浴泉」はなかったが、なんとサウナを追加料金なしで利用できるのだ。素晴らしい。

いい感じに整った後は京都駅まで二人で歩き、M上さんと駅前でお別れた。コインロッカーで荷物を取り出し、私はこの旅の最終目的地に向かった。


④ 大阪(この旅のメインイベント。滞在5時間弱。)


16:59 京都駅発の新快速に乗り込み、大阪駅に向かった。到着予定時刻は17:27。お目当ての『沖田彩華卒業ライブ』の開始時刻は18:00だ。車中で揺られながら、彼女との、そして大阪との関わりを思い返していた。

沖田彩華を応援するようになってから彼女が卒業するまでの3年間で、かれこれ東京大阪間を25往復ほどした。それまではほとんど関わりがなかった大阪の地に親しみが湧き、私にとって特別な場所のひとつになった。
そして、彼女が地下アイドルのプロデューサーに転身した頃から、私は職を変えたりプライベートで所属するコミュニティにも変化が生じ、AKB関連に対する興味が徐々に冷めていった。全国の劇場に遠征することもなくなったが旅をすることは趣味として定着し、新たに始めたランニングと組み合わせて「旅先で走る」ことがライフワークとなったのだ。

定刻より6分遅れで、電車は大阪駅に到着した。ここから改札を出て、駅ビルから伸びる歩道橋を渡って阪急百貨店を越え、地上に降りてアーケードの商店街をしばらく進むと、会場のBANANA HALL がある。
と簡単に道案内をしたが、じつはGoogleの指示通りに進んでも行き止まりだったり、突然方向指示が180° 変わったりとなかなかのバグが発揮され、実際に会場に到着したのは開演7分後だった。部外者には攻略不可能といわれる梅田の街の恐ろしさを、はからずも体感してしまった。

気を取り直して地下の会場に降り、後方の空席に腰かける。目の前では、かつて熱狂的に応援していたアイドルが歌い踊っている。沖田彩華はダンスと表現力に定評あるメンバーだが、久しぶりにパフォーマンスを目の当たりにして、歌が上手くなっていることに驚いた。NMB時代は殆どが口パクだったので、彼女に限らずメンバーたちは生歌を苦手としていたのだ。
NMB時代の曲と現在在籍しているグループの曲を交えて、セットリストは展開されていく。久しぶりに、近い距離感で観るライブは純粋に楽しい。

そういえば、彼女の卒業1周年ライブ以降、私はすっかり現場から足が遠のいていた。そもそも、私は舞台の下からアイドルを応援することが好きだったのだが、彼女が地下アイドルになってからは距離感が狂ってしまったのだ。イベントに参加しても握手や写メといった特典会でお金を落とさないと彼女の稼ぎにならないので、気が乗らないまま参加したり。そんなこと繰り返すうちに、徐々に距離を置くようになってしまった。

公演の本編は終了し、舞台はアンコールとなった。この舞台に、沖田は青いドレスを纏って登場した。
かつては黄色と赤をトレードマークにしていた彼女が、今日は現在進行形でプロデュースしているグループのイメージカラーに身を染めている。彼女はドレス姿のまま、NMB48時代の公演曲『タンポポの決心』を生歌で披露した。

雑草の中の命は 逞しく 育ってゆくよ 日陰もいつの日にか 日向(ひなた)になるんだ

『タンポポの決心』

「お互いの進む道はもう交わることがないかも知れないな」そう感じたが、なぜか寂しさは感じなかった。ただただ、彼女が歩んでいくこの先の道のりに幸あれと、餞の言葉が浮かんできただけだった。

アンコールが終了し、彼女は舞台袖に下がった。スタッフが特典会のセッティングをしている隙を見て、会場を後にした。
このあたりで店を探し串カツとチューハイで彼女の卒業を祝したら、22:30発の高速バスに乗って東京に戻る予定になっている。

明日も朝から、いつも通りの生活が私を待っているのだ。



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