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難波で『ホーム』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode12〜 大阪編 ”

前回のあらすじ


〜 栄で『大通り』を走る 〜 

“ ライフステージの変化によって街に対する『視座』が変化すると、それに伴って『視点』も変化する。変化した視点は『上書き保存』されるのではなく、『名前を付けて保存』される。『歴史を修正する』のではなく、『視点を増やす』のだ。
視点が増えることによって、『視野』が限りなく拡がっていく。いわば『セルフ拡張現実』である。"


難波で『ホーム』を走る

まずはじめに、ことわっておく事がある。タイトルに "『ホーム』を走る " とはあるが、駅のホームを走るわけではない。そのような危険行為ではなく、今回のテーマはスポーツチームなどで使われる、いわゆる『ホームタウン』という意味合いでの『ホーム』のことである。

今回の出発点は、大阪府大阪市浪速区恵美須東3丁目。新世界『ジャンジャン横丁』の入口だ。
右後方を向くと、奈良・和歌山方面へターミナルの役割を担っている天王寺駅がある。駅前にそびえ建つのは『あべのハルカス』。

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その高さはなんと300メートル。日本一の高さを誇る超高層ビルだ。そして道路を挟んだ左後方には、遊郭と称される一角『飛田新地』、さらにその後方にはいわゆるドヤ街、西成『あいりん地区』がある。最新鋭の技術の粋を集めた、極めて現代的な超高層ビルの足元に、昭和から連綿と引き継がれた猥雑な世界が拡がっている。

東京で生まれ育った私にとって、大阪とは縁もゆかりもない場所だった。記憶の扉を開き、大阪との縁を強いてあげるとすれば、私が生まれてはじめてひとり旅をした時にたどり着いたのがこのあたりだった事くらいだろうか。

大学1年の春休み、アルバイト先のシフトをカットされ4連休となった。特にやることもないので、あてもなく旅に出ることにした。特に行き先も決めずに東海道新幹線に乗り、名古屋で近鉄に乗り換え、その日は三重県津市に一泊した。
翌日、再び近鉄電車に乗り、特急の終点である難波駅に到着した。あてもなくその辺を散策する。日本橋の電気街を越え、今宮のえべっさんに立ち寄り、なおも散策を続ける。
気まぐれに、国道から一本裏の路地に入ってみる。すると空気感が一変した。道端に無造作に放置されたラーメン屋の屋台。鼻をつく豚骨スープの濃厚な臭い。人気のない寂寥感。思わず早足になる。

あわてて大通りに戻ると、高架になっているJRの新今宮駅を見つけた。高架下に放置された大量の自転車。昼間なのに薄暗いシチュエーション。絵に書いたようなスラム感であった。もう少し先に進んでいたら、西成や飛田新地に足を踏み入れていたところだった。
独特な雰囲気に身の危険を感じた私は、そこで電車に飛び乗り、この地を後にしたのであった。

このように、大阪に対する唯一の思い出がちょっとしたトラウマレベルのものであったのだが、人生とは分からないものだ。なんと40歳を過ぎてから、一気にこの場所が私にとっての『ホームタウン』に一変したのだから。

前置きはこれくらいにして、そろそろ走り出そう。今回のランは主に私の個人的な事情によって、ところどころで記憶の扉が開きまくるので、心して私と伴走して欲しい 笑。

荷物は難波の地下街『なんばパークス』のコインロッカーにあらかじめ詰め込んできたが、最低限の着替えだけはリュックに詰め替えてきた。銭湯をゴールにして、汗と旅の疲れを洗い流そう。
いざ、スタートだ!



まずは、国道沿いのガードをくぐる。ガード下にはジャンジャン横丁名物、流しの爺さんの定位置がある。

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爺さんは聴衆のリクエストに応じて、主に昭和歌謡をクラシックギターで弾き語る。よく通る美声で、楽しげに、語るように歌い上げる。曲の合間には、聴衆や野次馬に向けてこれから歌う曲についての簡単な解説を挟む。休むことなくひたすら歌ったり喋ったりしている。とにかくパワフルだ。そして信じられないことに、一説によると、爺さんは御年90を越えているそうだ。
しかしさすがに高齢からか、ここ数年は見かけることがなくなった。最後に爺さんを見かけた時、「アンちゃんには、こんな古い歌わからないだろうが」と前振りをして、都はるみの『好きになった人』を弾き語ってくれた。

ガードを越えると、アーケードがある。この一帯が『ジャンジャン横丁』だ。通行人がすれ違える程度の道幅のアーケード、その両側にはギッシリと店舗がひしめき合う。客層のほとんどが高齢者のゲームセンターや、朝ドラ『ふたりっ子』でお馴染みの碁会所、お祭りでお馴染みの射的場など。
そして、一番多いのは串カツ屋だ。有名な話だが、ここ新世界の『ジャンジャン横丁』こそが串カツ発祥の地なのである。「ソース二度付け禁止」は鉄の掟、英訳すると「New World Order」となる。この一帯には『八重勝』『天狗』『だるま』など、有名店が軒を連ねている。特に人気があるのが『八重勝』だ。あまりの人気に、元あった店の対面にもう一軒店を出したが、それでも行列が途切れない。

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串カツ屋に囲まれて走る。普通に考えるとちょっとした非日常なシチュエーションだが、私にとっては心落ち着く日常的な光景だ。なぜなら、私は元串カツ屋だからである。

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2015年6月、チェーン店の串カツ屋店長だった私は、オープンしたばかりの新宿歌舞伎町店に異動になった。それまでは、横浜みなとみらい店で月商2,000万円近くを売り上げていた。ちなみに社員は私ひとりで回していた。たまに中途入社の社員が配属されるが、結局教えながら店を回さないとならないので、なかなか大変であった。その一方で、社内でも有数の売上規模を誇る店舗を任されている優越感と達成感があり、毎月300時間くらい働いていた。ちなみに、当時42歳であった。

歌舞伎町店は、当初想定されていたほどの売上がなくテコ入れが必要だったのと、客層があまりにもディープだったため、強面の店長を置きたかったらしい。とはいえ、売上が低い店舗に異動することは不本意である。上司には丁重にお断りを入れた。
ところが相手方も簡単には引き下がらず、「東京都内勤務者には、一律で毎月20,000円の手当てが付きます。」といい放った。さすがは大阪に本社を構える企業である。雑な福利厚生だ。不本意ではあるが、私は20,000円の昇給目当てで、歌舞伎町に異動することにした。


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舞台を現在に戻そう。
ジャンジャン横丁を抜けると呼ばれるそこは雪国だった。というのは嘘で、『新世界』と呼ばれる一角だ。主な品揃えがスカジャンという謎の洋品店の手前を右折する。このまま直進すると動物園に突き当たるが、無視して左折する。
左手にはまたしても串カツ屋。右手には、旅芸人が公演を行う劇場がある。路上には、大量の幟がはためいている。劇場の前には、出待ちとおぼしきお婆ちゃんたちがたむろしている。

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その先には映画館『新世界国際劇場』がある。一階は3本立ての名画座。昔ながらの手書きによる作品の大看板が目を引く。地下はピンク映画を上映している。ここ新世界には私が把握するだけでも、名画座が2ヶ所、ピンク映画館が2ヶ所、そしてゲイ映画館が1ヶ所存在する。
ついでに報告すると、ここの地下映画館は、女装趣味を持つ人々『女装子』の憩いの場であるらしい。もちろん私は入ったことはないが、女装子をこの近辺で見かけることは多い。

映画館の手前を、また左折する。左手にはさっきの洋品店、右手には映画館や飲食店が並ぶ。平日の午前中にしては、やけに人出が多い。すでに出来上がっている顏もちらほらと見受けられる。次の交差点を右折すれば、新世界のメインストリートだ。

はじめてこのあたりに来たのは今から5年ほど前のことであるのだが、もうすっかり自分の庭のような感覚を持っている。旅行中に用もないのにわざわざ途中下車して、この界隈を巡回するほどだ。

こんなことをするようになったのも、ある日突然ありあまる富と余暇を手に入れた私が、日本全国を遊び回るようになり、特にここ大阪が特別な場所になったからだ。

詳しい経緯は以下の通りである。


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新宿歌舞伎町店に赴任して1ヶ月が経ったころ、一通の社内通達が店舗のPCに届いた。

『当社は労働基準法違反により、書類送検されました。』

不謹慎だが笑ってしまった。違法労働が蔓延しているこの業界で、いち早く取り締まられるって、どんだけ酷いことしたんだよ 笑。後日、新聞記事を読んだところ、どうやら人命に関わるようなレベルとは程遠い内容だが、度重なる是正勧告に従わなかったらしい。一言でいうと『見せしめ』のようだ。

会社もさすがにこたえたらしく、過去2年分の未払い残業代(見込み)が即日振り込まれ、質素な暮らしをしていた私は一気にリッチマンになった。
さらに、残業代全支給。年間残業上限360時間の厳守と、昨日までのどす黒さを忘れたかのように、一気に漂白されていった。月間300時間近かった労働時間は200時間になり、月収は都内手当を含めると額面で80,000円ほど上がったのだ。

私は、可処分所得と可処分時間の両方を、一度に手に入れたのである。

一体これをなにに使うのか? 考えるまでもなく、当時はまっていた『48』に使うのであった。私は、そんなきっかけで、全国に散らばる『48』の劇場に足しげく通うようになった。


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新世界のメインストリートを走る。後方にはあきらかに観光客向けな大箱の串カツ屋や、先日破産した『づぼらや』が並ぶ。そして前方には、かの有名な『通天閣』がそびえ立っている。大阪のランドマークと言いたいところだが、高さ108メートル。意外にも遠目からはあまり目立たない。

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通天閣を越えて、直進する。左右に飲食店が並ぶ。このあたりまで来ると串カツ屋はあまりなく、居酒屋が目につく。お好み焼き屋の看板も目に入る。左手には80~90年代のレトロゲー専門のゲームセンターがある。新世界が想定するコアターゲットは高齢者なのか? それとも、『昭和テーマパーク』化を目指しているのだろうか?

この通りを突き当たりまで駆け抜けたら、難波に向かおう。全国の劇場の中でも特に通いつめた、『NMB48』シアターへ。


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2015年夏、思いがけずリッチマンになってから2週間後、NMB48シアターで開催されるチームM公演に当選した。NMB48は吉本興業の資本で運営されており、他のグループよりも地域密着が進んでいる。地元の女の子たちにも絶大な人気があり、劇場の倍率も本店(オタはAKBのことをこのように称する)に次ぐレベルだそうだ。もちろん支店の中では一番。

そんな公演になんで当選できたのかというと、じつは公演当日に『FNS歌謡祭』があり、選抜メンバーは全員東京に出払っていたからである。チームMからも7人のメンバーが東京に行き、その穴は補欠メンバーや研究生で補い(「アンダー」と呼びます)、さらには他のチームからヘルプを呼んで(「またぎ」と呼びます)賄うのだ。当然、倍率は下がる。

「せっかくだから、全グループの全チームの公演を見よう」というモチベーションで応募したので、正直あまり内容に関しては期待していなかった。


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新世界のメインストリートを駆け抜け、突き当たりを左折する。左手に阪堺電車の始発駅である、恵美須町駅が見える。始発駅とはいえ、ターミナルは天王寺駅の方なので人気はなく、廃墟駅にすら見えてしまう。さらに国道を進む。右手に今宮のえべっさん、そして日本橋電気街の真っ只中を抜ける。

右手に観光スポットとして有名な『黒門市場』があるあたりで左折する。このまま直進すると『千日前』のアーケードにぶつかる。アーケードの脇道に建つ『なんばグランド花月』の対面が『NMB48シアター』だ。

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2015年7月29日、生まれてはじめてNMB48の劇場公演を体験する。当日の演目は『RESET』公演だった。私が一番好きなセットリストだ。影アナによる注意事項のアナウンス・前座ガールズのパフォーマンス・overtureが掛かって公演がスタートする。この流れはすべての劇場で共通である。
3人のメンバーがハイキックで劇場の空気を切り裂くと、それを合図にして他のメンバーたちも舞台に雪崩れ込んでくる。本来ならこの公演のダブルセンターは1期生の白間美璢と2期生の矢倉楓子であるが、ふたりとも選抜メンバーであるため、今日は欠席だ。
代打でセンターを勤めるのは非選抜の1期生ふたり。ひとりは、抜群の美貌を誇りながらも、あまりにも天才肌な言動が過ぎて選抜を外された『近藤里奈』。もう一人は、ダンススキルはグループ屈指ながらも、運営との折り合いの悪さが有名で、いまだ選抜回数0回の『沖田彩華』。

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たまたまその日、臨時センターを務めた沖田彩華のパフォーマンスを目の当たりにした私は、彼女の立ち居降振る舞いに目を奪われていた。彼女はセンターポジションに立ち公演の顔としてパフォーマンスを見せながらも、現場責任者としてチーム全体を統制し、公演全体の空気感や緊張感を整えていた。周囲のメンバーたちも、彼女に対して適度な緊張感と敬意を持ちつつ、彼女のリードに楽しそうに乗っかっていく。

はっきりいって二軍メンバーたちであり急造チームの公演であったが、だからこそ生まれるその場限りの即興感もあり、公演自体も楽しかったし、沖田彩華の力量にも感服した。その後も彼女のことが気になって(というか「気に入って」) 、東京に戻ってからもいろいろと調べたりしていた。

・入ってすぐに、1期生のオリジナルチーム『チームN』のメンバーに選ばれなかったこと。

・外されたメンバーだけで『WING』というユニットを勝手に作ったこと。

・チームNのセンターである山本彩が休演の際には、補欠であるにも関わらずそのポジションに入り、『影武者』と呼ばれていたこと。

・公演の全16ポジションをすべて苦もなくこなしてしまうこと。

・干されていたこともあって劇場公演しか仕事がなく、『劇場職人』と呼ばれていたこと。

・2番目のチーム『チームM』の設立メンバーからも外されたこと。

・それでもめげずに誰よりも練習し、仲間のメンバーへの指導も積極的に行っていたこと。

・その甲斐あってか、高校を卒業するタイミングで、『チームM』の副キャプテンに抜擢されたこと。

・それをきっかけに劇場公演だけではなく、握手会の対応やSNSにも力を入れ、「絶対に選抜に入りたい」と公言したこと。

・先日の『AKB48選抜総選挙』では、初日投票分の速報ではランクインしていたが、最終では選外だったこと。

・NMBの最新曲でも選抜ボーダーラインだったが、選外だったこと etc…


彼女のアイドルとしての生い立ちに惹かれ、メンバーのTwitterをフォローすることはほとんどない私が、珍しく彼女のアカウントをフォローした。

8月6日、広島出身の彼女はこんなツイートをした。

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デリケートな問題には触れたがらないアイドルの方が多数だが、飾ることなく自分の言葉で意思表示をする彼女に、ますます好感を持つようになった。


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NMB48シアターが入居しているビルの上階にはドン・キホーテが入っている。はじめてここに来た時にはジュンク堂書店だった。時代の移り変わりを感じる。劇場の前の道をまっすぐ進むと、お馴染みの道頓堀だ。かに道楽やグリコの看板が目につく。

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橋を渡るとまたアーケード街だ。いつ来ても混雑している。さすがに走るのは無理だ。しばらく歩こう。
ここから心斎橋までの通りは、大阪の若者たちのメッカとも呼べる一帯である。ゲームセンターやドラッグストア、高級ブランドの路面店も散見される。しばらく進むと、左手に『大丸 心斎橋店』が見える。

ゴールは近いが、人波が激しくてなかなか前に進めない。しばし思い出に浸ろう。


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2015年8月25日、東京ドームでAKBグループの大運動会が開催された。入場無料ということもあり、仕事を早めに切り上げて観覧に行った。もちろん沖田彩華目当てである。運動神経の良い彼女なら大活躍するだろうとの期待を込めて。しかし、彼女はこの場には現れなかった。
運営からのアナウンスは、運動会が終了してからであった。それも、「体調不良」の一言だけだった。不穏な空気を感じる。多方面からの情報を整理すると、どうやらこんな感じらしい。

秋に発売される新曲はダンスナンバー。ダンスが得意なメンバーから9名を選抜する。普通に考えれば沖田彩華はここで念願の初選抜となるはずだった、大方の予想では。しかし、なぜか彼女はまた選ばれなかった。ここで彼女の張り詰めていた心の糸が切れたのだ。
生まれつき扁桃腺が弱い彼女は体調を崩し高熱を出した。ご両親が車で飛んできて、彼女を広島に連れ帰った。彼女は、もう戻って来ないかもしれない。

多くのオタクたちが動き出した。沖田オタだけではなく、NMB48のオタクたちが一丸となって、沖田彩華を励ました。劇場公演のアンコールは、「あーぽん(沖田彩華の愛称)」コールになり、Twitterではハッシュタグを使って沖田彩華の復帰を待望した。もちろん私もその一員となった。運営に抗議文を送りつけたりもした。
そんな流れの中で、我々オタクたちだけではなくメンバーも遂に動き出した。しかもそのメンバーは、彼女と同期の1期生でありNMB48の絶対的なセンター、山本彩だった。

さや姉(山本彩の愛称)の説得によってか、沖田彩華はNMB48に、劇場公演に戻ってくることになった。私は彼女の復帰戦をリアルタイムで観るためにDMMのNMB48チャンネルに加入し、部屋の液晶テレビで観賞できるように視聴環境を整えた。
復帰公演は満場の「あーぽん」コールで始まった。沖田彩華はいつも通り現場責任者としてチーム全体を統制し、公演全体の空気感や緊張感を整えていた。チームMの公演では、いつも終演間際にメンバーは今日の公演の感想を述べる時間が設定されている。もちろんこの日の担当は沖田彩華だ。彼女はオタクたちを始めとした関係各所に感謝の言葉を述べ、いつものように公演は終わりを告げた。

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終演後しばらくして、沖田彩華から私たち『あーぽん推し』に向けてモバメ(登録したメンバーから定期的にメールが届く、有料コンテンツ)が届いた。少しだけ泣いた。

13枚目のシングル選抜発表されました!今回はダンス選抜なんだって!その選抜にさえ入れないことに、かなり心折れました。選ばれなかった。これが今の現実なんですよね、うん。

でもだからと言って、私は何も変わりません。ここで心折れてたら今までを無駄にしてしまう。皆さんの気持ちを無駄にしてしまう。今まで通り、劇場公演を誰よりも全力で頑張るし、大好きな握手会だって楽しみだし。とことん、自分にできることをします。
いつか評価される日が来るかもしれない。何かのチャンスがあるかもしれない。そんな可能性がたくさんある、今の環境で奇跡を信じたい。今までしてきたことは無駄じゃなかったって思える日が来る必ず来ると信じてます。

今私が思うことは、選抜には絶対に負けません。何があっても気持ちだけは負けません。悔しいけど、今は選抜の後ろだけど、私は選抜以上の存在になる!選抜発表あって少しの間は落ち込んだけど、時間が解決してくれて、コメントや握手会で皆さんからパワーをもらいました。

私にはたくさん支えてくれる方がいる。私は諦めないから、皆さんも諦めないでほしい。「もうあーぽん応援してても選抜入らないし…。」なんて思わないで。選抜に入れないことよりもそっちの方が悲しいです。必ず、絶対に選抜に入る日まで私は諦めないから!!皆さんも諦めないでください!

では、また明日からも頑張ります!!

そして、何事もなかったかのように、彼女も我々も劇場の踊り子とその観客という、それぞれの『日常』に戻っていった。

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心斎橋大丸を越えたらすぐに左折する。アーケードと比べて人通りが一気に減る。ふたたび走りだそう。

御堂筋を渡る。この通りはクリスマスイルミネーションが綺麗な一帯だ。渡りきったら日航ホテルの脇道に入り直進する。しばらく進むと、ビジネスホテルの先、左手のビル2階に『saq cafe 』がある。というか、最近まであった。ここは元NMB48の2期生であり『チームM』初代キャプテンだった島田玲奈(しまれな)が店長を務めるカフェであり、MMB48オタク御用達のお店だった。

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しまれなはNMB48在籍時からあーぽんと仲が良かったので、店内で交わされる会話の中で彼女の話題が出ると、しまれなは特に嬉しそうに話の輪の中に入ってくるのが常だった。
NMB48の公演を観る前に、この店に寄ることが当時のルーティンだった。しまれな本人の接客を受けることも多々あった。時には彼女が今まさに試作している新メニューを振る舞われたりもした。
沖田彩華の生誕祭を観に行く前に寄った時にはしまれなは不在だったが、島田妹の接客を受けた。「今日はあーぽんの生誕祭に行くんですよ」と告げると、彼女は嬉しそうな表情を見せ、「楽しんできてくださいね!」と私を送り出してくれた。

かつて『saq cafe 』があったビルの前でしばし立ち止まる。ここでお茶でも飲めれば最高だったのだが、なくなってしまったものは仕方がない。しまれなにも色々とやりたい事があるのだろう。一か所にとどまることを良しとせず、新たな挑戦をするのならば、陰ながら応援しよう。

ここで引き返して少し進んだ先の交差点を右折すると、ファミリーマートの2階に銭湯がある。そこでランを終えて、ゆっくりと汗を流し、旅の疲れを癒すとしよう。


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例の事件もひと段落ついた後、彼女の快進撃は目を見張るものがあった。翌年1月、NMB48のドキュメント映画が公開された。主演は沖田彩華。その劇中で、次のシングルの表題曲で彼女を選抜メンバーに入れることが発表された。

そして6月、AKB48選抜総選挙が開催された。沖田彩華は300人以上のメンバーの中で速報14位、最終結果25位(NMBの中で上から3番目)という、上位でのランクインを果たした。

AKB48の表題曲には上位16名が選抜される。

ねぇねぇねぇ!
みなさんすごいよT_T  熱すぎるよー!T_T
速報14位!!!
本当に本当にありがとうございます。

彼女は『速報』の一瞬だけとはいえ、本店の『選抜』に手が届いたのだ。

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ちなみに私は、この年とその翌年の選抜総選挙の累計で、ハワイ旅行に行けるくらいの可処分所得を投票権購入に費やし、ひたすら彼女に投票した。私は彼女が手にすべき『チャンスの順番』を、大枚をはたいて購入したのだ。

いろんなタイミングが重なって、沖田彩華というアイドルにすっかり入れあげてしまった私は、彼女が卒業するまでの3年間で東京⇄大阪間を20往復ほど繰り返すこととなった。主に深夜の高速バスを利用した。閑散期は片道1,800円で大阪まで来ることができた。
当日移動を強いられたときには、東海道新幹線の『ぷらっとこだま』を利用した。こだま号指定席利用+ドリンク(アルコール含)チケット付きで、通常よりも3,000円ほど安くなるのだ。品川→新大阪間が4時間かかるのがたまに傷ではあるが。

NMB48と沖田彩華に出会うまではなんの縁もゆかりもない土地であった大阪が、今では『ホーム』と呼べるくらい馴染みがある場所になった。串カツ屋としては新世界の銘店で飲み食いすることは、それだけでも勉強になった。万博広場で太陽の塔や民族学博物館を鑑賞したり、時には京都まで足を伸ばしたり。

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当時勤めていた会社は辞めたが、中之島から淀川沿いの遊歩道を抜けて、天満橋のたもとにあるかつての本社まで走ったこともある 笑。
地縁も血縁もなく、その旅の多くが日帰りではあったが、私にとって大阪は愛着のある街となった。そして沖田彩華が住み、行きつけの劇場がある、まさに『ホームタウン』となったのである。

ひょんなきっかけから、自分にとっての『ホーム』が増えていく。これは、とてつもなく贅沢なことなのではないか? 今までのことを思い返して、あらためてそう思うのだ。


【追記】

沖田彩華は2018年9月に卒業し、吉本興業とはまったく関係ないルートでグループアイドルをプロデュースしている。公式にアナウンスされているわけではないが、どうやら島田玲奈の紹介のようだ。
一方で私は今でも彼女のオンラインサロンに登録し、毎月会費を課金し続ける日々を送っている。

最近思うことがある。アイドルを推す行為は、我が子に愛情を注ぎ、育てていくことの代償行為なのではないかと。まあ、子どもを持ったことのないおっさんの戯言なのだが。

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次回予告


万代で『雪道』を走る

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