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万代で『雪道』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode13〜 新潟編 ”

前回のあらすじ

難波で『ホーム』を走る ~ 

" 大阪に対する唯一の思い出がちょっとしたトラウマレベルのものであったのだが、人生とは分からないものだ。なんと40歳を過ぎてから、一気にこの場所が私にとっての『ホームタウン』に一変したのだから。”

万代で『雪道』を走る

2019年2月9日、天気予報が大雪注意報を告げている東京を脱出し、緊急避難的に旅に出たスマートな私。というのは嘘で、やんごとない用事のため、三連休の初日から私は夜行バスに乗って旅先に向かった。午前6時、到着地のバスターミナル降り立つと、そこは雪国だった。

ここは新潟県新潟市万代シティバスセンター。1階バス乗り場の片隅にある立ち食い蕎麦屋が出しているメニュー、カレーライスが大人気を博し全国的に名を馳せている。ちなみに私はここのカレーライスは食べたことがない。新潟には食べるべき物が多すぎて、今までの7回の来訪ではカレーライスまでたどり着くことが出来なかったのである。たとえばバスセンターに来たら「カレー食わないとな」と思いつつも、ついつい2階の『みかづき』でイタリアン(ソース焼きそばにミートソースをトッピングした、偏差値2くらいの発想で生み出されたパスタ。だがとても美味い 笑)を食べてしまうのだ。
こんな早朝でも店が開いていたら、試しに食べてみたいなと店頭まで足を運んだが、さすがにこの時間ではまだ開店していなかった。残念。いつもなら「次に来た時に食べればいいか。」と軽く流すのだが、今回ばかりはいつもと事情が違うので、このようなB級グルメに対しても後ろ髪を引かれる感がある。

さて、旅先で走ることを無上の楽しみとしている私は、到着次第すぐにでも走りたかったのではあるが、2月の新潟は朝6時ではまだ宵闇の中にあり、気温もおそらく氷点下である。小雪もパラついており、路面がアイスバーン化している恐れがある。
「夜明けまでどこかで時間を潰そう。」、そう考えて国道113号と7号の交差点まで進んだ。すると、その先に大きな看板を見つけた。赤字に黄色の文字でアルファベットのmと書かれている。「とりあえず『朝マック』だな。」と心を決めて、ロードサイド型のマクドナルドに入った。

「エッグマックマフィンセット。ドリンクはホットコーヒー。」と心の中で繰り返し唱えながらレジカウンターに向かう。ふと、レジの手前にある壁に掲示されているものが不意に目に入った。

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どうやら、ここ新潟を本拠地とするアイドルグループ、NGT48のメンバーたちが、マクドナルドのユニフォームにサインを寄せているものらしい。
じつは冒頭で私が言っていた『やんごとない用事』とは、NGT48の劇場公演を鑑賞することなのだ。今まで隠していてごめんなさい。そのお詫びのしるしといっては何だが、夜明けを待つ間に『NGT48と私』について語ることにしよう。

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2015年1月25日、三井不動産と新潟交通からの誘致によって、新潟を本拠地とする新グループNGT48の結成が発表された。48にとって本州日本海側では初のグループ誕生だった。そして3月末には、AKB48のコンサート内で、AKB48全盛期の選抜メンバーであり、初期テラスハウスメンバーとしてもお馴染みの5期生(指原莉乃の同期)、北原里英がNGT48へキャプテンとして完全移籍することが発表された。
NGT48は、5月に行われた48グループ全体の『第2回ドラフト会議』と、7月に開催された1期生オーディションによって、兼任メンバーも含めると計26名の大所帯となった。
その翌年、1月10日にNGT48劇場がオープンし、翌日には首都圏でも指原莉乃を要するHKT48と合同で『さしきた合戦』という冠番組が開始された。48のネームバリューを活用した、順風満帆な船出であった。

2016年1月28日、池袋発の深夜高速バスに乗って、私は生まれて初めて新潟市内に足を踏み入れた。

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NGT48劇場オープン後10公演目。演目はAKB48チームAの1st『パーティーがはじまるよ』公演だった。2005年12月7日、前田敦子ら高橋みなみら1期生が初めて劇場に立ち、秋葉原の街頭では当時AKBカフェの一店員に過ぎなかった篠田麻里子が通行人にビラを配っていたという、伝説の公演をお借りしたわけだ。
当日の出演者はNGT48『チームN3』。キャプテン北原、AKBから兼任の助っ人柏木由紀と1期生14名、計16名のチームだが、北原と柏木は東京での仕事があり、アンダー(代理出演のことを48ではこう呼ぶ)に2名の研究生が入った16名編成となった。

肝心の公演の内容はというと、お世辞にも褒められたレベルではなかった。オーディションに合格するまでダンス経験がないメンバーもかなりおり、発展途上ではある。しかし、オタクの立場からするとそれが逆に、「自分たちが初期から推して育てる」感につながるのだろうと、私はその時はじめて実感した。
とはいえ、目を惹くメンバーも存在した。それがなんと2名の研究生であった。正規メンバーと比べても遜色ないどころか、多くの正規メンバーを上回るパフォーマンスを発揮した。特に気になったのは、「今日は柏木由紀さんのアンダーを務めさせていただきます。好きな言葉は『一期一会』です」と自己紹介をした西村菜那子。アンダーで出演できる公演一つひとつで強い印象を残して、正規メンバーに昇格するきっかけとしたいという意気込みが強く感じられた。

公演が終わってからMAXとき号が新潟駅を発車するまで1時間ちょっとあるので、駅前の須坂屋で『へぎそば』を食べた。へぎそばとは布海苔をつなぎに使った蕎麦で、へぎ(片木)と呼ばれる器に載せて提供されるそばのことである。独特の風味があって美味しかった。すっかり気に入った。そして店内には古今東西老若男女の著名人から集めたであろう、無数のサイン入り色紙が飾ってあったのが印象に残っている。寺山修司とか小沢昭一とか、チョイスがいちいち渋いところもツボにはまった。

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そろそろ夜が明けてきた。マクドナルドを出て走り始めるとしよう。
万代シティのバスターミナルに戻り、トイレをお借りして着替える。コインロッカーに荷物を預けて、出発だ!

バスターミナルを出る。あたり一面がうっすらと雪化粧をほどこされている。小雪はまだパラついているが、視界をふさぐほどの降りではない。幸いにも、足元はアイスバーン化してはいなかったので、ランニングには支障がなさそうだ。しかし油断は禁物だ。注意して走ろう。

万代の街を走り抜ける。バスターミナルと連絡通路で直結されているのが『新潟アルタ』だ。あの新宿アルタの系列だ。しかも、どうやら三越グループらしい。意外に由緒正しき商業施設であったのだ。しかし残念ながら、この3月で閉店することが決まっているようだ。心の中で「走っていいかな?」と唱える。もちろん返事はない。
すぐ先にはNGT48劇場が入っている『ラブラ』がある。左手が『1』で右手が『2』だ。

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2016年、このあたりで新潟日報のインタビューを受けたことがある。テーマは「舛添都知事の退任についてどのようにお考えでしょうか?」。私が東京から来ているとは、インタビュアーは知らないようだ。新潟からすれば余所の自治体の話、なぜわざわざ街頭インタビューまで行うのか理解に苦しむが、「こんな理由でいちいち都知事を替えていたら、すぐになり手がいなくなりますよ」といった内容のことを話した。インタビュアーは私の意見に対して、理解に苦しむといったような表情をしていた。お互いさまである。

国道にぶつかったところを左折する。右手に新潟日報の本社が見える。超豪華なビルで、いつ見ても「建設費いくらかかったんだろう?新潟日報の収益構造はどうなってるの?」と、おもわず脳内で新潟日報の収支構造を思い描いてしまうほどだった。
さっきも通った交差点を今度は直進する。けっこう幅の広い橋を渡る。

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万代橋だ。新潟市街のシンボル的なスポットである。
NGT48初のオリジナル曲『MAXとき315号』のMVはこの地で撮影された。この曲は、楽曲・MVともに昨今の48の中で屈指の出来であり、今に至るまでファンに広く愛され、新潟駅の発車メロディーにも一時採用されていた。

少し進むと、そこは『古町』と呼ばれる一帯だ。古くからこの地こそが新潟の一等地だったようだが、今では万代にその場を奪われてしまったようだ。はじめて来た時には右手に『ラフォーレ原宿・新潟』というダブルネームの商業施設があったが、そこも既に撤退している。左手には『三越』が見える。
立派な建物だ。角地でもあり、古町のランドマーク的な存在である。そもそもは『小林百貨店』という地場の企業だったが三越グループに入り、1980年に三越に看板を替えたとのことだ。しかしここも、この翌年2020年3月をもって閉店となってしまった。人口80万人を誇る政令指定都市とは思えないほどに、中心地の寂れ方が激しい。

もう少し進む、国道は道なりに左にカーブするが、ここではそのまま直進する。ちなみにここを右に進んだ先、丘の上は、新潟きっての高級住宅街である。はじめてここに来た時この丘を登り、作家坂口安吾の生家である『安吾 風の館』まで赴いた。

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記念館の他にも昔ながらの豪邸や洋館が今でも残り、散策するのに最適な空間だった。道すがら新潟銘菓『ぽっぽ焼き』を買って食べながら歩いた。楽しい思い出だ。
しかし今日はそちらには寄らず、直進あるのみだ。先を急ごう。

直進したところで丘を登らなければならない事には変わりがない。長い階段を上ると、右手に美術館がある。その先には公園。公園の遊歩道を真っすぐに走り抜けると、今度は下りの階段があった。階段を下ると、目の前に現れたのは日本海だった。

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東京住みの私にとって日本海までくることはそうそうない事なので、新潟の海を一度見たかったのだ。しかし、新潟の市街地にいる限りでは、海がこんなに近いことなど、まったくわからない。新潟港は『北前船』で知られ、開国の際にもいち早く諸外国に対して開かれた港であるにも関わらず、新潟市は港町の様相を呈していないのが不思議だ。

ちょっとここで休憩がてら、さっきの話の続きをしようか? もちろん嫌だといわれても、構わず話し続けるのだが。

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2016年4月、二度目の新潟。私が48に興味を持ってからはじめて出来たグループで、最初から成長を追えるのはやはり楽しみであった。前回観た公演から3ヶ月、彼女たちはどれくらい成長しているだろうか?
公演を観終わった感想としては、当たり前ではあるが「3ヶ月で飛躍的に成長している。」との印象だった。正直、最初に観た終わった時には「このレベルで舞台に上がってはいかんよ。」と感じた正規メンバーも何人もいたが、彼女たちのダンススキルも見られるレベルには向上していた。

特に見違えるほどレベルが上がっていたメンバーは山口真帆。まだまだ技術的には正規メンバーの中では一番下手であろうが、表情やしぐさを中心とした『魅せ方』においては、この日登場したメンバーの中でも屈指のレベルであり、貫禄さえ感じられた。
もう一人挙げると、村雲颯香。長身で手脚が長くスラっとしていて、とにかく所作が美しい。クラスのマドンナっぽい雰囲気で、ついつい見とれてしまった。ただしこの時は知らなかったのだが、彼女は人並み外れた大食漢であり、その時のコンディション(カロリー摂取状況)によってルックスやパフォーマンスの質に大きくブレが生じるのだ。ある意味一期一会である。

と、こんな感じでしばらくは2~3ヶ月に一度、新潟まで足を運んで彼女たちのパフォーマンスを楽しんでいたのだが、ある理由があって、徐々に足が遠のくことになった。一つはメンバーの問題、もうひとつは運営の問題であった。

まず、メンバーの問題から。新潟という土地は首都圏や名阪といった大都市と比べて商圏が小さい。その環境下でファンを抱え込むために、一部の常連客に対してのアピール、言い換えると『媚び』のようなものが徐々に目立つようになった。せっかく地域密着でやっていて新潟県民に広く愛されるようになりつつあるのに、これでは逆効果だ。新規ファンの獲得が二の次になり、グループとしての広がりがなくなってしまう。

一方で運営の問題も大きく目につくようになった。NGT48の支配人は、秋元康プロデューサーの80年代からの仕事仲間で、主にTV番組や映像関連のディレクターをしていた人だ。地元メディアとのタイアップを次々と決めて、新潟の街をNGT48一色に染め上げたのは、彼の功績だと思う。しかし、時が経つにつれて、負の側面も目立つようになった。いかにも80年代のTVバラエティのごとく、支配人自らがメディアに露出して『名物支配人』としてのキャラクターが確立される中、肝心のメンバー一人ひとりの売り出しが後手に回っていた。

さらに一番気になったのが、支配人が劇場に姿を現さない事だ。秋葉でも栄でも難波でも博多でも、劇場支配人は原則として劇場公演に立ち会う。中には講演後のお見送りを欠かさない支配人すら存在する。日々の公演を観ることによって、メンバーの現状や観客の反応を把握し、次に打つ手を考えるのであろう。
結果として起こったことが『序列の固定化』である。劇場がオープンして一年も経ったころには、研究生の半分くらいは正規メンバーと比べても遜色ない実力と人気を獲得していた。しかし、シングル表題曲の選抜メンバーは正規メンバーに固定され、研究生から正規メンバーに昇格する者は一人もいなかった。彼女たちの昇格には、なんと2年以上の時間を要したのである。

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すこし休憩が長すぎたかもしれない。万代まで戻ろう。

階段を上り公園を抜ける。美術館の前を通り、長い階段を下りる。しばらく進むと国道にぶつかる。この先が古町だ。さっきは直進だったが、今度は少しルートを変えて、右折する。少し進むと左手にアーケードが見える。左折してアーケードを進もう。
ほぼ無人のアーケードを走り抜ける。かつてはこのあたりも賑わいを見せていたのだろうが、見た感じすっかりさびれているようだ。町おこしの一環なのかわからないが、アーケードの至るところに『水島新司作品』のキャラクターの銅像が鎮座している。

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通行の邪魔になるレベルで、『ドカベン』や『野球狂の詩』の主要キャラクターの銅像がちりばめられているアーケード。もはやどっちが本体だかわからない。

アーケードを抜け、橋を渡る。万代橋の一本となりに位置する橋である。いつのまにか雪はやんだが、ご覧の通り路面にはそこそこ雪が残っており、足を取られないように注意しながら進む。

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橋を越え伊勢丹の横を進むと、そこはもう万代バスセンターの裏手になる。ここでランは終了としよう。

コインロッカーから荷物を取り出し、トイレで着替えたら、新潟駅の方まで歩く。駅前の雑居ビルにネットカフェがある。ここのシャワーで汗を流し、少し横になって休憩しよう。なにしろまだ8時だ。公演が始まるまであと4時間もある。

休憩がてら、さっきの話の続きでも。

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2018年12月8日、(山口真帆が)新潟市内にある自宅マンションの一室前において顔を掴まれ口を塞がれるなどの暴行被害を受けた。暴行の実行犯である男性2名は新潟県警に逮捕されたものの、同月末に不起訴となり、釈放されている。

この事件はメディア等でも報じられず、表沙汰になっていなかったが、2019年1月8日から翌日にかけて、山口自身がSHOWROOMおよびツイッターによって被害を告発したことで明るみに出た。

告発内容は、他のNGT48メンバー複数名が事件に関与していたこと、NGT48の運営スタッフが適切な対応を行わなかったことを伺わせる内容であり、1月9日にNHKが主要メディアでは初めて報道したことで世間に知られることになった。

当時の全国ニュースやワイドショーでさんざん取り上げられていたので、知らない人はいないと思うが、NGT48のメンバーが被害者となる事件が起こった。それ自体痛ましいことではあるが、それよりも気になったのは、彼女が被害を告発したSHOWROOMの配信が、運営によって途中で切られたことである。「運営はなにか隠したいことでもあるのではないか?」と私を含め多くのオタクたちが疑心暗鬼になった。

そして1月10日の3周年記念公演、傷害事件の被害者である山口真帆がステージに立ち、騒動になったことについて謝罪を行った。本来なら運営の責任者が出てきて何かコメントすべき事案だが、運営側は誰も壇上に登らなかった。異常事態である。2014年5月に、握手会会場で暴漢に刃物で切り付けられ重傷を負ったメンバーがいたが、例えるなら彼女たちを壇上に立たせて謝罪させるのと同様の所業である。
さすがにこれはないだろうと怒り心頭に達した時、私たちと同じく声を上げたメンバーがいた。

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すでに卒業してしまったが、NGT48の初代キャプテンであった北原里英が、自分に降りかかるであろう大きなリスクも顧みずに、山口真帆をかばう発言を公に発信したのだ。その後、北原と彼女が所属する太田プロの間で話がまとまったのだろうか、同じく太田プロに所属する指原莉乃や横山由依総監督も同様の意見を表明し、他グループのメンバーやOGからの批判的な意見が大勢となった。

イマココ(2019年2月9日)

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こういった状況で新潟まで久々にやってきた。
上記の一件があってから劇場公演は休止していた。そしてほぼ一か月ぶりに公演が再開されるのが今日なのだ。そして運営が下した結論とは… 
『元研究生の一期生のみによる特別公演』だった。
正直、「研究生を馬鹿にするのもいい加減にしろよ」と思ったが、グループが存続の危機という状況下で運営から頭を下げられて、劇場公演ができるというシチュエーションは彼女たちにとって痛快なのではないか?と、思い直した。

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そして「もうこれでNGT48の劇場公演は見納めにして、金輪際NGT48には一銭たりとも課金しない。」と強く誓って、今日という日を迎えた。

11時の開店に合わせて須坂屋に入り、へぎ蕎麦を食べてから公演に臨もう。

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当日の劇場公演は、西村菜那子が現場責任者の重責を果たし、大成功だった。

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公演を観終えたところで、私は大きな疲労感と倦怠感を感じ、そのままどこにも寄らず新潟駅に向かい、特急列車に飛び乗って新潟を後にした。

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その後の彼女たちについて、少し補足しておこう。

山口真帆はこの年の5月に、二人のメンバーとともに卒業した。大手芸能事務所『研音』に所属し、芸能活動を継続している。

事件当日、山口からのSOSを受けて現場に駆け付け警察へ通報した村雲颯香は、「NGT48を内部から変えていきたい」と意思表明し、山口たちを見送って自分は残るかたちを取った。しかし内部改革は困難だったのだろう。この年の9月に卒業、芸能界も引退した。

西村菜那子は、細々ながら舞台仕事などが途切れず続いており、また趣味である『駅伝』に関しての仕事が激増中である。そして今でもNGT48に在籍している。

なんというか、今回は走ることによって新潟という地域の繁栄と凋落を感じたり、それと並行してNGT48の栄光と挫折を感じたり、なかなかセンチメンタルな旅となった。
しかし、出来る事ならまたひょんなきっかけで新潟との縁ができればとも思う。なぜなら、私はまだ万代バスセンターのカレーライスを食べていないのだから。



次回予告


広島で『爆心地』を走る

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