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「それでも」走り続けるために、ぼくらはタスキをつなぐ " 旅先で『日常』を走る ~spin-off⑥~ "


オンライン駅伝でタスキをつなぐ

2021年11月のある夜、スマホでFacebookのニュースフィードを眺めていると、ある広告が目に入ってきた。

有森裕子・高橋尚子・野口みずきという女子マラソン五輪メダリストが一同に会している。ランニングを趣味としている私はその絵面が気になり、リンクをクリックした。
リンク先には『 ASICS WORLD EKIDEN 』というオンラインの駅伝大会が開催されるという告知があり、上記のメダリスト3名も参加するとの内容だった。

「出てみたいな。」 広告を一読してすぐに、私はそう思った。

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私はオンラインランを中心に活動しているランニングクラブに、3年ほど前から参加している。全国各地(中には海外在住の方もいる)のメンバーが、ひとつのお題に沿ってそれぞれの場所でそれぞれのコースを走る。その過程や結果をFACEBOOKのイベントスレッドに上げたり、ランニングアプリにアクティビティを更新したり、各自が思い思いのアウトプットをしつつ他のメンバーの活動を眺めたりして楽しんでいる。
折しもコロナ禍で対面の活動がままならない中、我々の活動は隆盛の一途を辿っていた。

「いた」と表現したのには意味がある。このクラブの活動に多大な影響を及ぼしていた部長の訃報が、この数日前に飛び込んできたのだ。

部長は半年ほど前から体調を崩して療養していた。部長が入院している間、ランニング部の諸々の活動は私とAやのさんで分担して行っていた。部長はまだ30代になったばかりでまだ若いこともあり、すぐに回復して我々と活動を共にできると信じ切っていた。

陳腐な表現ではあるが、心にポッカリと穴が空いたような大きな喪失感を抱え、何もする気が起きないまま数日間を過ごしていた。

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それでも「そろそろ『走る』日常を回復しなければ」と、考えるには考えていたのだった。

【ランニング部活動方針】
その➀ :走り始めるきっかけが、誰に対しても開かれている
 *見つからなければ作っても良い

これは、部長が考案したまま手元に置きっぱなしになっていた、ランニング部の活動方針の一部だ。全部で3ヶ条ある。部長から、Aやのさんに託されたものだ。

「タスキをつなぐ」
いつもバラバラに走ることを楽しみにしている我々だが、たまには同じ目標を達成するために、協力してひとつのレースを走っても良いのではないか? そして、これがきっかけとなり、それぞれが再び走り始めるのではないか? そんなことを考えた。

私はすぐに、Facebookの投稿でこのオンライン駅伝の参加者を募った。

正直、誰も集まらないかもしれないなと思っていたのだが、なんと一晩で4名の有志が手を上げてくれた。

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まっさきに手を上げたのは、Aやのさんだ。こういうときには必ず真っ先に反応してくれる、好奇心と慈愛に満ちた人だ。ひとまず、彼女が暮らす多摩方面に向かって手を合わせた。

2人目はクイーン。なにかを競う系のイベントにはめっぽう強く、自然にクイーンと呼ばれるようになった彼女の参戦は、心強い限りだ。走行距離はクラブで一番なのではないだろうか?

3人目はOろしさん。多摩と豊田市の二拠点生活で多忙につき、最近は走っている形跡がないが、このような一大事には馳せ参じる俠気がうれしい。

そして4人目はI川さん。ウサギと自撮りを愛するお茶目なおっさん(私より年下だが)だ。ランオフを主催してくれたり、その参加者からアンケートを取りデータ分析をしたりと、縁の下の力持ち的な存在だ。そして、私が彼の出張先まで押しかけて「一緒に走りましょう!」と言っても、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれるナイスガイなのだ。

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この5名で駅伝を走る。
私はメンバー(と部長)のアカウントをメッセンジャーグループに招集し、それぞれが走る区間を割り振った。実際の駅伝のように順番通り走らなくても良いが、それぞれ距離が異なることもあり、あらかじめ区間を決めないとならないレギュレーションなのだ。

5人分の区間割が済んだところで、重大な事実が発覚した。じつは、この駅伝は区間が6区あったのだ。メンバーをあとひとり引き入れないと、レースが成立しない…… 
私はメンバーたちに、誰を召喚すべきか相談した。

すぐさま、

「アンカー、コーチはどうでしょうか!」
「アンカー、コーチなら断トツ速いですね。」

と、メンバーたちから立て続けに推薦のメッセージが入った。

コーチといえば、学生時代からのランナーとしての経験と、百貨店スポーツ売場の販売員という仕事上の知識を持ち合わせた、ランニング部の鉄人だ。
フォーム講座などイベントを主催したり、ケガしないための準備体操など楽しく走り続けるための情報発信を我々にしてくれる、まさにコーチ役を務めている。部長から全幅の信頼を受け、ランニング部の活動についても二人で相談しながら進めていた部分も多い。

私が代表してコーチにオンライン駅伝の参加を打診した。

「お誘いありがとうございます!全然走ってないのであまり期待しないで下さい 笑」

我々の不安を払拭する、コーチからの快諾のメッセージが返ってきた。これでなんとか、メンバーは揃った。

あとは期間中に各自がそれぞれの場所で、割り当てられた距離を精一杯走るのみ。0区から6区を走るメンバー7名で、協力してタスキをつないでいくのだ。

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数日後、待ちに待ったオンライン駅伝がいよいよスタートした。
先陣を切ったのは、真っ先に参加表明し、真っ先に1区の走者に立候補したAやのさんだ。

 ■1区(10㎞) Aやのさん

「部長が先頭にいて、ついていくのに必死でした。でも、その代わり、初めてこんなに早く走れました!」

Aやのさんのコメント

いきなりこれまでの自己ベストを大幅に更新したAやのさんの快走を目の当たりにして、メッセンジャーグループがざわつきを見せる。
特に、タスキを受けたOろしさんには、ハードなプレッシャーがのし掛かる局面だ。「最近サボってた私は安全第一で2区走りますw」と、すかさず予防線を張っていた。

順番が前後するが、お次は4区I川さんの出番だ。

 ■4区(5㎞) I川さん

「走ってきました! 周りには公園に遊びに来ている人がいっぱいいて、自分はレースという独特な臨場感がありましたー」

I川さんのコメント

I川さんも6分/㎞を切るのは私がランニングアプリで拝見している限りでは初めてのことだった。みんな使命感を持ち、限界にチャレンジしているように見えてきた。「僕は6分切りとかめざしませんからね!」 Oろしさんの予防線第二弾がここで告げられた。

などと偉そうに高みの見物をしている場合ではない。次は私が走る。というか、I川さんが走っている間に私もすでに走り始めていたのだ。

 ■5区(10㎞) 蒲公英

今日は、ランニング部のメンバーで料理や器に造詣が深いCよこさんに案内してもらい、駒場にある『日本民藝館』を観覧する予定になっている。
Googleマップで調べたところ、目的地までの距離が10.7kmと表示されていたので、思わずランニングウェアに着替えてしまったのだ。

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路地裏のどん詰まりにある我が家を出て100m以上の細道を抜ける。住宅街の迷路のような道をそのままクネクネと走り抜けて、商店街に出る。緩やかな下り道を買い物客の間をすり抜けて進むと、駅前の踏切に突き当たる。線路を越えると、今度は緩やかな緩やかな上りが続く。

子どもの頃から慣れ親しんだ地元の道だ。高校時代はこの道を自転車を漕いで、武蔵小山まで毎日通学していた。春には街路樹の桜が満開になる。左手にはお寺と神社が並ぶ。お会式や秋祭りや初詣に、友だちや恋人と来た思い出がある。

11月の桜は落葉し、木枯らしが神社の境内から肌に吹き付けてくる。私はモヤの掛かった心を無理やり晴らすかのように、足の踏み込みを強め一気に駆け抜けた。

中原街道を渡り、武蔵小山のアーケードをかすってしばらく直進する。3㎞を経過したところでランニングアプリに視線を落とす。ペースは5分/kmを切っている。アップダウンの多い道を走っている割には快調だ。
呼吸も苦しくなく、心拍数も上がりすぎていないようだ。他のメンバーに負けじと、私も限界に挑戦してみようか。

林試の森公園の脇道を下り、目黒不動尊の境内をかすめ、なおも進むと山手通りに出た。ここから5㎞近くは山手通りを直進する。しばらくアップダウンはない。歩道の人通りもさほど多くはない。私はさらにペースを上げて、無心に走っていった。

信号に引っかかることもなく一定のペースで走っているうちに、自分が街並みと一体化しているような錯覚に陥る。軽いトランス状態。さらに、左右の肩甲骨のあたりに、誰かから両手で押されているような感覚を覚える。今までに体験したことのない加速度を、一歩進むごとに感じる。

中目黒駅を越えると、緩やかな上りになる。それでもペースを落とさずに進む。コーチに以前教わったように、前傾を強め平地を走るときよりも後方に着地するイメージで進む。神泉で左に折れさらに上ると、井の頭線の線路と合流する。ゴールはもうすぐだ。駒場東大駅を越え線路を渡る。

ランニングアプリを見ると、10㎞を越えていた。ここで計測を止めよう。

なんと、5分/kmを切った。3年以上走ってきた中で、皇居ラン以外でこんな記録を出したことはない。
駅伝という仕掛けがあるだけで、人はこんなにも頑張れるものなのだろうか?

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待ち合わせの5分前に民藝館入口に到着すると、すでに参加者の皆さんはほとんど集合していた。半ばあきれた視線を彼らから浴びまくったのは、私のいで立ちがあまりにも汗だくで息も絶え絶えだったからだろう。

一方、メッセンジャーグループの方では、「I川さん、蒲公英さん、お疲れさまでした。 速い!速すぎです!!」など、軽いお祭り状態になっていた。


 ■ 2区(5㎞) Oろしさん

「何とか走りきりました。」

Oろしさんのコメント

Oろしさんも日常的に走っていた頃のような、好タイムをたたき出してきた。


 ■ 3区(10㎞) クイーン

「走りました! マイルが何キロかわからなくて表示が出てませんが、結果6.8マイル走りました。」

クイーンのコメント

なぜにマイル? クイーンはアメリカンなのか??ともあれ6:06/kmということで、順調すぎるほどみんなが自己ベストクラスの記録をたたき出している。

そして、アンカーは我らがコーチだ。


 ■ 6区(7.195km)コーチ

タイム31分56秒、4:27/kmでフィニッシュ。さすが!!

「お疲れ様です!終了しました!雨が弱くなってから走りましたが、結局ずぶ濡れでした。寒くは無かったです!」

コーチのコメント

そして結果は、

5952チーム中、780位!!

「オンラインの駅伝て?タスキはどうやってつなぐんだろう??最初は?だらけでしたが、参加したらトップバッターのAやのさんからとても速かったので、?は吹っ飛んで速く走りました」

「マイペースに思うがまま走るのではなく、誰かに繋ぐために走りきる体験が新鮮でした。ありがとうございます!」

「がむしゃらに走りたい時に、がむしゃらに走るイベントを紹介してくれて本当にありがとうございました!!各自で走ったはずなのに、みんなが走っている姿が目に浮かびます。オンライン駅伝も想像以上に楽しかったです!」

一緒にタスキをつないでくれた仲間たちから、熱い感想をいただいた。感無量だ。これで私も仲間たちも、また前を向いて走ることができる。そう確信した。


リアルの駅伝参加を企てる

部長が礎を築いたランニング部を、みんなで力を合わせて続けていきたい。オンライン駅伝を終えて達成感は感じていたが、やはりオフラインでの集まりも再開したい。そもそも、これは部長の想いでもあるのだ。

幸いにも新型コロナウィルスの感染状況は落ち着きを見せている。なにか参加できる大会はないか?ネットの情報をかき集めていると、変わった企画が目に付いた。

大分うみたまごシーサイドたすきリレー

別府湾沿いを眺めながら走れるシーサイドコースを使い、2㎞×10区間を5名以上のチームで分担して走るというレースだ。オンラインではなく、リアルでタスキをつなぐことができる絶好のチャンスだ。
しかも大分県には、我がランニング部のメンバーが2人も住んでいる。

一人はH氏。大分市在住。ランニング部の中心メンバーのひとりにして、私の飲み友だちだ。この2年の間に大分で2回、東京で1回、軽井沢で1回、一緒に飲んだ。コロナ禍で飲み会的なことがほとんどない中、ともに一緒に飲んだ回数が断トツでトップという関係だ。

もう一人はT島さん。中津市在住。実際にお会いしたことはないが、ZOOMミーティングやオンラインイベントの出席率がトップクラスで、顔を合わす頻度は家族よりも多いのではないかというほどなので、特に親しみを感じているのだ。

「このレースに参加したいが5名揃えるのは難しいかな」と悩みつつも、別件のZOOMミーティングの雑談でこの案を話してみたところ、なんとこのイベントの主催をしたいという奇特な若者が現れた。M上さんだ。

京都在住で建築関係の仕事をしている彼とは、私が去年京都に頻繁に出張に行っていたこともあり、休日に待ち合わせてお茶したり、お勧めされた建築物を見に行ったりといった交流が以前からあった。頼もしい限りだ。

【ランニング部活動方針】
その➁ : 走る続けるために、誰でも誰かの力を借りることができる
 *手を挙げる人数は内容次第だが、何度でも呼びかけていい

M上さんがFACEBOOK上にイベントを立てて参加者を募ると、さっそくU原さんが参加を表明してくれた。

U原さんは、世界を駆けまわるツアーコンダクターだ。しかし、コロナ禍で本業がままならない状況になってしまった。そこで国内旅行のツアコンに業務をシフトしている。大分にはまだ行ったことがないので、勉強も兼ねて参加したいとのことだ。

U原さんは当時、週一で新宿ゴールデン街のお店に立たれており、私も参戦のお礼を兼ねて一度お店に伺った。

よし。5人のメンバーが揃った! これで、レースにエントリーできる。私は、安堵で胸を撫でおろした。

さらにその後、「同じ日に違うレースにエントリーしている」という理由で一旦参加を断られたI川さんから、まさかの参戦表明があった。勤務先の会社の『勤続〇〇年休暇』的な制度を利用して、この機会に奥様とふたりで大分を旅行するとのことだ。

これで6名のチームが結成された。
AKB48好きのT島さんからの提案で『PLANETS CLUB チームU』というチーム名も決まり、無事に大会エントリーが完了した。

その後、そもそもオンラインランをメインに活動している我がクラブは、当日大分に来られないメンバーも参加できるように、レース終了後に『大分名物 団子汁を作って食べる』ZOOM会の開催を決定した。

現地でタスキをつなぐのは6名だが、世界中からこのイベントにアクセスし関与できる余地をつくるのが、我々の流儀なのだ。

すっかり安心した私は年が明け2022年になって早々に、Aやのさんと新国立競技場に向かうランオフを企画した。そこでは、一年前にまだ元気だった部長と一緒に走ったコースを有志と走った。

ここで参加してくれたメンバーたちと部長に、「大分でタスキをつないで来ます。」と報告した。

1月も中旬になると、イベントの詳細が続々と決まっていく。コースの選定からお店の予約まで順調に準備は進んでいく。しかしその一方、日本中でコロナ感染者数も急速に増加していた。
そして、開催まで一週間を切ったところで、大会自体も中止と決まってしまった。

それでも、我々は現地に集まり走ることに決めた。幸いにも、大分県にはまだ『まん防』が発令されていなかった。
「タスキをつながなければならない。」という使命に駆られ、イベントを強行すると決めたが、参加者それぞれの持ち場にはそれぞれの事情がある。
職場や周囲の感染状況により、T島さんとU原さんが参加を見合わせることになった。残念だが仕方ない。我々はプランを練り直した。

「現地に来られない仲間と、どうやったら一緒に走れるのか?」と。

ちょうどそのタイミングで、ランニング部のN中さんが『OriHime』をレンタルしたという情報が私とM上さんにもたらされた。

子育てや単身赴任、入院など距離や身体的問題によって行きたいところに 行けない人のもう一つの身体、それが「OriHime」です。
(中略)
OriHimeは、距離も障害も昨日までの常識も乗り越えるための分身ロボットです。

彼はOriHimeの中に大阪の友人を招き、東京でお茶会を開くらしい。なかなかぶっ飛んだ発想だ。

その話を聞いて、我々もアイデアを思いついてしまった。

*公式HPより

これがあれば、現地に身体を運べないメンバーでもネットを通じてOriHimeの中に入り、実際にその場に参加しているかのように触れ合えるのではないか?

M上さんは大分のH氏宅に直送するというウルトラCを使って、このイベントにOriHimeを導入しようとしていた。レンタル料と納期を見て導入を早々に諦めた私とは対照的なバイタリティには感服する。
H氏も「レンタル料を半分持ちますよ。」とすぐに反応してくれた。

【ランニング部活動方針】
その➂ : 走る(歩く)ことを通じて、誰でも誰かに会える
 *イベントに誰が来るかは分からないが、誰でも参加できる

そんなこんなで、あっという間に出発の日がやって来た。私は万全を期して、抗原検査を受けて陰性を確認してから旅に出た。

2022年1月21日 金曜日。東京都は今日から『まん防』が発令される。


1区:福岡を歩く


早朝便で移動するために船橋で前泊し、成田空港へ向かうことにした。始発で移動したが、到着はけっこうギリギリだった。

それでは、いざ九州へ!

9時過ぎに福岡空港に到着すると、まずは地下鉄に乗り、PayPayドームに向かう。

ここからももち浜まで、ノルディックウォークで往復して時間を潰し、

ノルディックウォーキングは、2本のポール(ストック)を使って歩行運動を補助し、運動効果をより増強するフィットネスエクササイズの一種である。

PayPayドームに戻ると、隣接する真新しい建物に入った。

HKT48シアターの前のエレベーターで5階に上がり、11時のオープンに合わせて『teamLab★Forest』に入った。

teamLab★Forest』はスマホアプリを活用して、昆虫採集的なアクティビティを行うスタイルだ。私もすっかり童心に帰り、五感を駆使してその場を楽しんだ。

続いては西新に移動し、去年福岡に移住した元職の上司に挨拶をした。10年前まで私は日本最大のとんかつ屋チェーンで仕事をしていた。私が地区マネージャーだった時に、彼は執行役員だった。
前日に「せっかく近くに行くのだからお会いした方が良いのではないか?」と、突然思い立って連絡をしたのだが、嫌な顔ひとつせず快諾していただいた。

10年ぶりに再会して、地場のとんかつ屋でランチをごちそうになった。

互いの近況を報告した後はマックに移動してお茶しながら、師匠から矢継ぎ早にビジネスプランのアドバイスを受けることになった。ありがたい限りだ。

その後は、ぐるりと福岡の街をノルディックウォークで巡ることにする。

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唐人町に戻り、さらに進むと右手に大濠公園が現れた。このまま公園に入り、濠に渡された橋を渡って中州を突っ切っていく。

平日の昼下がりだが、公園は家族連れ中心に賑わっており、のどかな雰囲気だ。

公園を抜けると美術館があり、ゴッホ展が開催されていた。寄ろうかどうか迷ったが、時間の都合がありやめた。

さらに先を進み、赤坂のけやき通りをひたすら直進する。1㎞ほど進んだところで、渡辺通りにぶつかる。

ここが福岡一の繁華街だ。左手に見える三越は、私が仕事で九州に赴任した1997年にちょうどオープンしたので、愛着がある。
渡辺通りを渡り、国体道路を中州に向かって進んでいくが、この先で一旦寄り道しよう。あかひげ薬局の手前の路地を右に入っていく。

この一帯はは春吉と呼ばれている。私はこの近所に25年前に暮らしていたが、その後に地下鉄駅が開業した効果もあり、当時よりも飲食店が立ち並んでいて人通りも絶えない。昔住んでいたマンションまで進み、引き返す。

国体道路に戻り、そのまま中洲へ向かう。

このあたりでは、那珂川に架かる橋の付け替え工事を、もう何年にも渡って行っている。

対岸に渡り、川沿いを進む。この道の一本奥が歓楽街で、さらに一本奥がアーケードになっている。今日はそちらには寄り道せずに、橋を渡り明治通りを天神に向かって戻る。

途中、アクロス福岡で小休止することにした。地下にある『天ぷらひらお』で早めのディナー食べようか迷ったが、さっき食べた昼飯がとんかつだったのでやめた。『味の正福』で、仲間への土産にソースを3本購入した。

そのまま天神に戻っていく。

この一帯は再開発中で、天神コアやIMSなどの、なじみ深い商業ビルが壊されていて寂しい。

ここをゴールにして、屋台に入りディナーとしよう。

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通り沿いに並んでいる観光客向けの屋台をスルーし、元々から存在している鉄板焼メインの屋台を見つけて入った。

舌鼓を打っているところで、メッセンジャーに連絡が入った。「作戦会議は何時にやりましょうか?」と。

すっかり忘れてた。明日の前夜祭に備え、作戦会議をZOOMで行うことになっていたのだ。

私は締めのラーメンを急いで啜り、そそくさと会計を済ませて、三越の3階にあるバスセンターから熊本行きのバスに飛び乗った。

2区:熊本を走る


2時間ほどで、バスは水前寺公園前に到着した。
21時からの作戦会議にギリギリ間に合った。ZOOMをつなぎ、明日の予定を各自報告する。

I川さん夫妻はすでに大分入りし、湯布院に宿泊している。京都在住のM上さんは、サンフラワー号の船上からの参加だ。明朝に別府港に到着し、H氏と大分周遊を楽しむらしい。そして彼らは、すでにOriHimeを大分に送る手配を完了させたらしい。さすがだ。



一夜明け、1月22日 土曜日。
前日がとても早起きだったので身体が重い。しかし、ここで朝走るために熊本に来たと言っても過言ではないのだ。「ハッ」と一瞬だけ気合を入れて身体を起こし、窓から外の景色を眺める。

眼下に水前寺公園が一望できる。今日は中に入る予定はなかったので、遠目に眺められてラッキーだった。急いで身支度を整え、7:30に宿を出発した。

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ホテルを出て右に10mほど進んだ先、右手が江津湖の入口だ。ここが、最近お気に入りのランスポットなのだ。

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2019年10月に熊本で行われたラグビーワールドカップの試合を観戦した後、このホテルに泊まった。その時、部屋に置いてあった「近くのおすすめスポット」的なものが書かれた紙切れに江津湖が載っていたのだ。

私はここから徒歩10分ほどのところに住んでいたこともあるのだが、恥ずかしながら江津湖の存在は知らなかった。当時は仕事に忙殺されており、近所を散策する余裕すらなかったのだ。

勧められるままに早朝の江津湖を走り、その静寂と透明感に一発で魅了されてしまった。ホテルに戻り、お客様アンケートに江津湖で走った感想を簡単に書き残したら、後日丁寧なお礼の葉書をいただいた。

という事があって、今日で3回目の江津湖ランになる。

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土曜日の朝。今までここを走ったときよりも多くの人が出ている。

猫もウジャウジャと現れる。どうやら、ここで餌やりをしているようだ。

先に進んで行く。
湖に朝日が射し込んでいる。浮かんでいる鳥の数が尋常ではない。

渡り鳥だろうか? すぐ近くが政令指定都市の中心市街だとは想いもよらないほどの静寂と、スンとしたやや湿った冷気が肌に纏う。

そして、おそらく江津湖の賑わいの中心であろう、ボート乗り場にたどり着いた。

ここから折り返し、ホテルまで戻っていく。

ノルディックウォーク大歓迎なコースは初めて見た。『日本ノルディックフィットネス協会』、ノルディックウォーク歴一年の私でも初耳の存在だ。

後で調べたところ、本拠地は宮城県のようだ。そして、なんと熊本県は会員が17名しかいない。こんなに素晴らしいコースがあるというのに。私も、次回はノルディックウォークで来てみよう。

さて、そろそろ戻らないと。後の予定が詰まっているのだ。

おっさんに寄り添っている白鷺らしき鳥の前を通り過ぎ、帰路を急いだ。

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宿に戻り、ブレックファーストを急いで摂る。なぜなら9時から仕事のZOOMミーティングが入っているからだ。仕事熱心な私。
そして、チェックアウト時刻の10時ギリギリで会議を終わらせ、チェックアウトした。

目の前を、路面電車が熊本駅に向かって走っている。

その軌道に並走してノルディックウォークで進んで行く。

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新水前寺駅の交差点に差し掛かる。ここを右に曲がってJR水前寺駅の前まで進めば私が25年前に住んでいたマンションに行き当たるのだが、今日は立ち寄らずにこのまま直進する。
味噌天神を越え、交通局を右手に眺めつつ進む。あの辺りにはダイエーのけっこう大きい店舗があったが、今はイオンが入っているようだ。

白川を越え、水道町の交差点を越えると、いよいよ熊本最大の市街地に差し掛かる。

鶴屋百貨店のすぐ先が、繁華街の中心である通町筋だ。ここから見上げる熊本城の天守閣が、昔から好きだった。

左に折れて、下通りを進む。

かつては若者文化の発信地だったが、ついにパルコも撤退し建物も壊されている。そのまま進んで行く。空きテナントがチラホラ。それでもまあまあの人通りはある。
「四半世紀ほど前に当時の恋人と友人たちが熊本を訪れた時に、このあたりのゲーセンでプリクラ撮ったな」などと、記憶の扉が少し開いた。

そのまましばらく進み、スタバがある交差点を右に曲がって新市街に入る。その先が、桜町バスターミナルだ。

商業施設を併設した『サクラマチクマモト』が、2019年のラグビーWCに合わせて開業した。現在、市街地の中心はこの辺りになるのだろう。

ここで小休止。屋上に向かう。屋上には『サクラマチガーデン』がある。酪王ソフトを食べ、椅子に腰かける。

これから熊本城の天守閣に登る予定なのだが、ここで痛恨のミスに気付いた。私は熊本城一口城主なのだが、特典として天守閣に無料で入れる権利がある。その権利証であるハガキを家に置いてきてしまったのだ。無念…

気を取り直して熊本城へ移動する。熊本城下のテーマパーク『桜の馬場 城彩苑』を通って二の丸広場に向かう。

舞台では忍者風のコスプレをした男女が演舞をしている。それを横目に、お土産屋で陣太鼓を買って、先を急いだ。

二の丸広場で入場料800円を払い、個人情報を記入してから天守閣に入る。そういえば、熊本県は昨日からまん防が発令されているのだ。気をつけて進もう。

通路を抜けると見慣れた天守閣が目に入る。

前回来た時は工事中の姿を遠巻きに眺めただけだったが、今回は中に入れる。震災から5年以上経ち、ここまで復興を遂げたのだ。

いよいよ中に入る。ノルディックポールを両手に持っていたので、係の方から「エレベーターはこちらです」と案内されたが、丁重にお断りして、階段で上がることにした。

一階から順番に築城からの歴史が順繰りに展示されている。ブラタモリで紹介されていたような内容も交えて、興味を引くような展示になっている。以前とは見違えるようだ。

前回は20年近く前に還暦を迎えた父を連れて来て、2人で登ったのだった。などと思い出しながら階段を上り、最上階に着いた。

相変わらず眺めは良いが、まだ石垣が散らばったままの区域も散見され、心が痛む。

天守閣を下り、その足で加藤神社に初詣をした。

商売繁盛のお札をいただく。1000円也。安い。

続いては、上通りから並木坂を散策する。こちらは下通りよりもアッパーな雰囲気がある。アパレルの路面店も多い。

こむらさきの本店で遅めのランチを摂る。ラーメンセットに餃子を奮発して、瓶ビールもいっちゃおうかなと注文すると「酒類は提供しておりません」と、無下に断られた。
そうだ。熊本はまん防が発令されていて、お店によってはお酒を提供できないのだ。

諦めて豚骨ラーメンを啜っているうちに、私は大変なことを思い出した。昨夜遅くに、けっこう大きめの地震に見舞われたのだ。熊本は震度4で済んだが、これから行く予定の大分では震度5強の激震だったのだ。

もしかして交通機関に乱れが生じているのではないか? 調べると、なんとこれから乗るつもりだった豊肥本線の九州横断特急が終日運休となっている! 大分での待ち合わせは18:30だ。調べると、新幹線と特急を乗り継げば間に合うようだ。先を急ごう。

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通町筋に戻り、路面電車に乗る。バスセンターを抜け、熊本駅に至る。呉服町とか祇園橋といった停留所の名称が趣深い。
駅に着くなりダッシュでみどりの窓口で切符を買い、新幹線ホームへ急ぐ。15:03発の新幹線にギリギリ乗り込んだ。7000円以上の緊急出費だが、背に腹は変えられない。

小倉駅で在来線特急ソニックに乗り換える。

こんなことになるのなら、熊本でランチを摂らずに小倉駅で『かしわうどん 400円』を食べればよかった…

ソニックに一時間半ほど揺られると、電車は別府を越え、大分に近づいてくる。車内放送で大分の歴史が紹介され、車窓からは豊後海道が一望できた。

ここが観光ポイントなのか。このあたりは、まさに我々が明日走るルートなのだ。

3区:大分に集結する


大分駅には、17:30すぎに到着した。昨夜の地震の影響で、駅ビルが休業している。

大分に来るのは一年半ぶりだ。

前回はH氏を佐賀県に呼びつけ、御船山楽園でTeamLabの展示を楽しみ、佐賀牛の焼肉を食べ、ひとつのベッドで寝て、翌朝に走り、湯布院までドライブし、最後にここで飲んだ。
そして、帰京後すぐに私はコロナ陽性となり隔離入院した。もちろんH氏も濃厚接触者となり、10日ほど自宅待機をさせてしまったのだ。

あの時は申し訳ないことをした。さすがに二度目は許されないなと考えていたところ、抗原検査会場が目に入った。

ちょっと寄ってみよう。他県から来た証明として熊本城天守閣への入場券を提示し、検査を受けた。結果は陰性だった。

よし、これで心置きなくみんなと一緒に飲める、 いや、走れる!

その足で本日の宿にチェックインし、荷物を置いてから前夜祭の会場に向かった。

我々が待ち合わせた店は、『まんとく』。

宮崎名物の地鶏を、そん色ないクオリティで大分で食べられる。地域の大人気店だ。

コロナ禍でも予約しないと入れないほどの盛況ぶりだ。H氏たちは一足早く中に入っているらしい。急いで店に向かう。

いつもはH氏と2人なのでカウンター席利用だが、今日は総勢5名だ。4名掛けのテーブル席が2つ横並びで用意されている。店員さんに待ち合わせの旨を伝え、中ほどのテーブル席に直行する。
H氏とM上さん、そしてI川さん夫妻が揃っていた。さっそく挨拶を済ませ、お土産の交換をした。

I川さんはお目当ての砂風呂が地震の影響で休業しており、入れなかったそうだ。「レースは中止になるし、まん防とか地震とかアクシデントだらけで大変な旅ですよ。」と口では言いながらも、この状況をけっこう楽しんでいるように見えた。

M上さんとH氏は中津方面に建築物見学ツアーに出て、途中でT島さんとも合流できたようだ。よかった。彼らからは、お土産として『ゆふいんの森号』のデザイナー水戸岡さんが描いた絵をいただいた。

鶏焼き、たたき、刺しと三種の料理に舌鼓を打つ。

この美味さは筆舌に尽くしがたい。絶品だ。

この料理には、なにを合わせれば良いのだろうか? H氏からの提案で、大分の麦焼酎をボトルで注文した。

食事もお酒も順調に進む。各自の近況など語り合いながら楽しい時間は過ぎていった。I川さんの奥様が、私とI川さんが一緒に走ったnote記事を読んでくれていたのが嬉しかった。

そんな中、この場に来ることを断念したU原さんから画像が送られてきた。

「うみたまご」にちなんで、お菓子「ごまたまご」を我々にお土産として持参する手はずだったらしい。OriHimeの到着が間に合っていれば、この場でバーチャル飲み会が出来たのだが、残念だ。

そのうち、誰からともなく「部長が亡くなった時に『会いたいと思った時に会いに行かないと、二度と会えなくなるかもしれない』と痛感した。」という話題になった。
難しい判断を迫られたが、一度きりの人生だ。悔いを残したくない。もちろん、体調管理には最新の注意を払った上で。

さて、楽しい宴が繰り広げられているが、時間が過ぎるのは早い。時刻は21時になろうとしている。明日早いので我々は解散し、それぞれの宿に戻った。ちなみに焼酎のボトルはすべて飲み干した。

なぜかH氏は私の宿の入口まで着いてきたが明日の再会を期して別れ、私は一日の疲れをいやすためにサウナに直行した。
サウナがある大浴場はなかなか空いていて快適だった。快適なあまりサウナの中でつい横になって、軽く寝てしまった。あやうく即身仏、もしくはミイラになるところだった。


翌朝、目覚めるとなかなかの雨模様だった。

今日は大分に荷物を預けて走り、別府でランチと温泉を堪能する予定になっているが、その前にランニングでかなり雨に濡れるだろう。走った後にすぐ着替えたい。そう思った私は、先に電車で別府駅に行ってコインロッカーに荷物をしまおうと考えた。
そしてもしタイミングが合ったら、別府のホテルまでI川さんを迎えに来たH氏の車に同乗させてもらって大分に戻ろう。私は宿をチェックアウトして大分駅に向かった。

傘は持ち合わせておらず、レインコートを着て進む。雨脚が強まってレインコートはびしょ濡れになった。アーケードに駆け込んで駅に向かう。駅ビルに入ったところでH氏にメッセを送ると、「大きい車を借りたから、荷物を積みっぱなしでいいですよ」と返信が来た。
「今から家行っていいですか?」と聞くと、あっさりとOKが出たのでH家に向かうことにした。

H家に到着すると、M上さんも来ていた。二人で朝早くからヤマトの営業所にOriHimeを取りに行き、今まさに各種設定をしていたということだ。私もさっそく触らせてもらおうとしたが、びしょ濡れのレインコートを着たままだったことに気付き、一旦玄関に戻ってコートを脱いだ。
気を取りなおして部屋に戻る。勧められて、こたつにあたる。ついでにアーケードのマックで買ってきたエッグマックマフィンセットのブレックファーストを摂った。

腹も満たされたところでOriHimeをいじってみる。いつの間にか、H氏はI川さんを迎えに行って小一時間は帰ってこないようだ。iPadにアプリをダウンロードしてOriHimeの中に入り、台所に移動したM上さんとやり取りを繰り返して基本操作を覚えた。
その合間に、中津市の自宅にいるT島さんもチョイチョイOriHimeにログインしてきた。動作だけではなく声も聞こえるので、受け手としてはZOOMなどよりも親近感が沸くものだ。

みんなでOriHimeと戯れているうちに、H氏が戻ってきた。では、いよいよ走る場所まで移動しよう。H氏がカーシェアで借りてきてくれたバンに乗り込み。いざ発進!

元々は、大分と別府の中間にある水族館『うみたまご』でリレーを走る予定だった。しかし中止になってしまったので、今日はその手前にある田ノ浦ビーチを走ることにした。


リアルとオンラインが混然一体となり「タスキ」をつなぐ


田ノ浦ビーチ駐車場に車を停め、各自準備体操を始める。

あいにく雨は降り続いているので、残念だがOriHimeは外には連れていけない。その代わりといってはなんだが、私のスマホでFacabookライブをつなぐことにした。

このイベントの主催者M上さんの選手宣誓と、たった今私が大会委員長に任命したH氏の開会宣言の後に、我々は走り始めた。

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私は最後尾のポジションから皆の姿をスマホのカメラに捉え、実況しながら進んで行くことにした。いつもオフ会で部長が担当していた役回りだ。

部長を失ってしまったが、誰かがその役割を受け継がなければコミュニティは維持できない。代わりを務めるなんて到底無理なことだが、その一部だけを真似することならできる。

部長はオンラインイベントでもオフ会でも自分は黒子に徹して、全体の盛り上げ役に徹していたのだった。いなくなって初めて、その大変さを実感した。

一同は公園から路上に出て、進んで行く。

Facebookライブには、今日の参加を断念したT島さんとU原さんが参加している。参加予定だったメンバーたちと、疑似的にでも一緒にこの道を走れることがちょっと誇らしい。

しばらく進んで左に折れ、海岸に出る。

天候のせいで見晴らしは良くないが、それでも壮観な眺めだ。T島さんが「四国が見えますね(心の眼で)」とコメントをくれた。

ここで、FacebookライブにHさいさんが入ってきた。このライブを見ながら、地元松江の街を今まさに走っているとのことだ。

Hさいさんもこのレースに参加しようとしていたのだが、どのルートを辿っても大分までは片道6時間かかることと、仕事が繁忙期に入ることによって参加を断念したのだった。彼女は地方在住のため、部長とは一度も会うことができなかったことを心底悔いていた。

それでも、こうやって一緒に走れてうれしい限りだ。

海岸沿いに走り続け、鉄柵に突き当たったところで小休止を取る。AやのさんがFacebookライブに入ってきた。彼女は医療従事者で、今日もこれから夜勤だという。
みんながそれぞれの持ち場で、それぞれのやり方で戦っているのだ。

元の場所に戻ったところで、ランニングを終了した。

3㎞弱の短いランだったが、我々は充実感に満ち溢れていた。
じつはI川さんだけ、今日の悪天候を見越して昨日のうちにひとりで海岸沿いを7㎞くらい走っていたことを、責める気もなくなるくらいに。

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その後、一行は次の目的地に移動した。13時から今度はオンラインイベントが待っているのだ。

『大分名物を食べる会』

全国各地のメンバーが大分名物の団子汁を作って食べるという、ナイスな企画だ。我々は別府の『甘味茶屋』に行って、お店の団子汁を食べることにした。

焼き団子やいしがき餅など、甘味メニューが充実している(もちろん食後にたっぷりとテイクアウトした)。我々は10分ほどの待ち時間で座敷席に案内された。なんと、座席はこたつ席だった。

13時にZOOMをつなぐ。
このイベントの主催者はAやのさんだが、これから夜勤に行くため、このZOOMのホストはOろしさんが勤めてくれた。肝心な時に頼りになる男!

ZOOM会では10名ほどの参加者がそれぞれの団子汁をアップして、みんなでそれぞれ食べている。Cよこさんが、基本的なレシピを公開してくれた。

なかなかユニークというか、フリーダムな団子汁の数々が紹介されていく。そしてみんなで、別々の場所にいながら同じものを作って食べているのだ。

現地にいてもオンライン参加でも全員の心は同じく、今は大分にいる。世界のどこにいても、我々は無理やりにでも同じ目的で同じ風景を共有して走り続ける。これが我がランニング部のポリシーだ。

部長の人生は部長のものであり、私が部長の分まで生きることはできない。それでも私が部長の代わりにできる唯一のことは、受け継いだタスキをみんなで協力してつないでいくことなのだ。

それが、走る楽しさと豊かさを私に教えてくれた部長への恩返しでもある。

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腹も満たされ身体も温まったところで、次は汗を流したい。別府の日帰り温泉『鬼石の湯』に向かう。

沿道の至るところから湯けむりが立ち上がっている。日曜日なのにあまり混雑していないのは、やはりコロナの影響なのだろうか?

中に入ると、2階建ての露天風呂や内風呂にザボンが大量に浮かんでいたりと、飽きることのない空間だった。泉質も肌に優しく、別府に抱いていた肌を焼いてしまうのではないかというほどの硫黄感は感じられなかった。

風呂を上がったら軽くお茶した後に、I川さんを大分のホテルに送り届け、その後は大分空港に向かう。

ダッシュボードにOriHimeを座らせて走る。後部座席から眺めると、なかなかシュールな光景だ。結局OriHimeの活躍の場を用意することができなかったことが、心残りである。

17:40頃に大分空港に着き、H氏とは涙ながらのお別れをした。コロナが落ち着いていたら、3/6に三浦国際市民マラソンでお会いしましょう!

M上さんと売店でお土産を選び、レストランで時間をつぶす。

大分名物とり天とりゅうきゅうに舌鼓を打ち、M上さんは搭乗口に去っていった。

私は地酒を飲みつつ刺身をつつく。締めは大分名物のやせうまで。

20:25発の成田空港行きに乗り、九州を後にする。

名残惜しいが、また近々来ることになるだろう。コロナが落ち着いていれば、来年またこのレースに参加するのだ。今度はもっと大勢で、何チームも組めるほどの人数で大分に訪れるのだ。

その時まで、走り続けよう。


おまけ


■ その1
東京に帰ってきた2日後、私はH氏の部屋に置いてあるOriHimeに入りこんでふたりで遊んだ。せっかくお酌をしてもらっても、その酒を飲むことができないのが癪だった 笑。
その勢いで、後日N中さんのOriHimeにもお邪魔して、お茶を点てていただいた。もちろん、飲むことはできなかった。


■ その2
M上さんにいただいた絵は、我が家の一等地であるWC内に飾られることになった。


■ その3
部長が発案して立ち上げた、ランニング部の共同運営note『WE Run』が、もう少しで200記事に達します。よろしければ、ご一読ください。


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