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リバーサイドラン運河と小川を抜けて-京都-

京都のまちにはいくつか大きな川が流れている。東は鴨川、山科川、西は桂川、南は宇治川、、、それぞれの川は大阪に向かう途中で淀川へ合流する。また、かつて川から市内の中心部へは運河が利用されていた。1つは、鴨川の近くを流れる高瀬川、もう1つは堀川だ。まちなかでは、中世から現代までの建造物や風景が混じり合った表情を見せる。今回紹介するランニングコースはそのような京都の水景やまちなかを巡ることで歴史と地理、まちのもつ雰囲気に触れるコースとなっている。

○二条城

二条城は江戸時代に造営され、修繕を繰りし保存されている。
ここは江戸幕府の始まりと終わりを見届けた場所であり、今回のコースのスタート地点として設定した。二条城の東側に位置する入り口はピーク時観光のために訪れる人の人溜まりができ、バスロータリーには観光バスが並ぶ。また、二条城の周囲は約5kmで道が整備されているため植えられた大きな松や堀に張られた水辺をみながらぐるりと周遊することができる。周辺は住宅や学校、公園に隣接している場所となっている。ここでは、絶え間なく二条城の門を潜っていく人の姿もあれば、犬の散歩でポテポテと歩く人、傍の道を駆けていくランナーの姿も見える。

○堀川御池通-堀川今出川

堀川は市内中心部にある運河の一つで、かつて市内と市街を結ぶ通路として利用されていた。また工業が発展する以前、堀川の水は染物を制作するうえで欠かせない資源だった。堀川近辺は西陣織が発展した地域だ。
一度暗渠になった堀川は、2006年に市民のための遊歩道として整備されこの区間は開渠となっている。一条戻橋という橋を越えると堀川は再び暗渠となる。北は鴨川の上流となる加茂川へとつながり南では鴨川から淀川へと合流する。一見外から断絶されているかのようなこの場所は水の流れによってここではないどこか外の世界へつながっているようだ。
堀川の遊歩道へは、平日や休日の合間に子ども連れの家族や談笑して歩く学生、散歩するカップルが訪れる。一条戻橋のように西側の堀川通りと東側の道路を結び堀川をまたがる石橋がいくつかあり、日差しをさけくつろぐ人の姿も見える。二条城を北に越えると低層の住宅、中高層のマンションやアーケードのある商店街があり、買い物の合間や、ふとした時に訪れる場所なのだろう。上から眺めたり、下に降りて歩いたり水に触れたり、植えられた植物は四季を感じさせてくれる。この余剰の空間は日常の時間に溶け込んでいた。

○堀川今出川-川端今出川

今出川通りは東西を走る通りで、東へ進むと南北にそれぞれ特異な場所が通りを挟んで現れる。
南側は内裏として利用されていた京都御苑がある。塀によって囲まれ敷地として位置づけられる。敷地内には京都御所をはじめいくつか建物が点在し、建物のない敷地には砂利の通りと植物が植えらたランドスケープが形成されている。ここは整備されたぽっかりと開いた穴のような敷地で、東西南北の門からは何時だれもが出入りすることができる。生活動線でもあり、観光のために人が行き交う場所でもある。
北側は明治初期に女性のためのキリスト教主義の教育を始めたとされている同志社女子大学がある。今出川通りの北側に向かってキャンパスの施設が広がっている。大阪や滋賀など遠方から訪れる学生や教師が行き交う場所だ。
同志社女子大学の建物の外観は煉瓦で四角やアーチの形状を持つ。一方で、京都御所の建物は木造で瓦屋根は緩やかなカーブ形状を持つ。一見するとふたつの建物は対照的である。しかしそこは、京都御苑敷地内や今出川通に沿って、見上げるほどの木々が植えられていることで森の中に入ったかのような感覚がある。森の途中には木造の建物があり、森を抜けると煉瓦造の建物が見えてくるというように京都御苑と同志社女子大学も含めた大きな敷地の中に京都御所と大学棟が木々のように林立していると思わせる。一見違和感を感じる対照的な存在は調和の取れた場所として認識することができるのだ。

また、同志社女子大学のHPでキャンパスについて以下のように紹介されていた。

「同志社女子大学の起源となった女子塾は京都御苑内のJ.Dデイヴィス邸に開設された。1877年に「同志社女学校」となり、現在の今出川キャンパスが設立された。」

https://www.dwc.doshisha.ac.jp/about/history/overview

上記のことから、2つの場所は道路を挟み相対する存在だと思われたが、同志社女子大学にとって京都御苑は所縁のある土地だった。

○鴨川デルタ

鴨川デルタは加茂川と高野川、二つの川の合流地点となる場所だ。昼食をとる人、水辺ではしゃぐこどもたち、新歓コンパで盛り上がる人、朝から夜更けまで様々な人を受け入れる。この近辺ではだれもを受け入れてくれるような場所は多くはない。京都市内の大通り以外の通りは道幅が狭い通りが多く、住宅地であれば閑散としてまばらに人が行き交う中、個人の存在は際立ってしまう。鴨川デルタでは大学生としての会社員としての、住民としての、観光客としての属性は分からない。そこにいる人の属性は一時的に解放され1人の個人あるいは集団として認識される。鴨川流域の中で特に開いた平地を持つ場所のため、通行の妨げを気にせず、思い思いに時間を過ごすことができる場所なのだ。建物に囲まれた今出川通を通ることでより開放性を感じることができる。

○鴨川【川端今出川-川端七条】

鴨川の両側には川端通と並列して、遊歩道が通っている。遊歩道の隣には木々が植えられ目線や日差しを遮ってくれる。自転車に乗る人が行き交い陽気に当てられて人々が歩き、川辺の端に腰を下ろし休憩をしている人もいる。今出川通から四条通の間は商業地域など観光地に面した場所で、市民だけでなく観光客も訪れる。商店街やお店で買い物をした後、食事をした後、ついでに寄って帰る。阪急電鉄や京阪電鉄の行き帰りだろうか、ぽてぽてと歩く人もよく見かける。電車に乗って窮屈な地下から地上に出ると南に向かってどこまでも続いていくような開放感に満ち溢れている。

○鴨川【五条通-七条通】

鴨川は四条通から南方面に向かい五条大橋を越えると、工場地域と住宅街の広がる観光地ではない日常の風景と接していく。青白い川の先には工場とガタガタと音を立てて過ぎ去る新幹線や電車の風景が広がり、等間隔で座っていた人は消え人通りは徐々に少なくなっていく。天気の良い日には、川中に入って鯉を釣る人や、部活で走り込みをする学生の集団を見かける。北を振り返ると鞍馬山は遠ざかり辺りは、住宅が立ち並ぶ。鴨川は上流から下流へ下る過程で徐々に日常に溶けていく道となっている。

○高瀬川【七条通-五条通】

高瀬川は江戸時代に鴨川の下流地域の伏見と市内の中枢とをつなぎ、物資を運ぶ交通網として利用されていた。鴨川付近が五条通りを境に繁華街から住宅街へ変わったように高瀬川付近も同じような住宅街の風景を見せる。この辺りは木造住宅密集地でかつての花街の住宅が色濃く建ち並ぶ地域だ。高瀬川の両脇に車が一台通れるほどの狭い道幅で通路が通っており、鴨川や大通りから一転して林立する木々や植物が鬱蒼とした雰囲気となる。時間帯によって、午前中から日が暮れるまで日差しが木々と住宅の間から燦々と降り、木々による影があることで通りやすい場所になっている。周囲の音は静かで鳥のさえずりや虫たちの合唱が聞こえてくる。また植えられている木はクスノキ、クロガネモチといった大木だけでなく、カエデやサクラ、足元の植物が茂り、生態系の豊かさを物語っている。

○梅湯

梅湯は明治期に建造された建物で、現代でもコンコンと湯を沸かし続けている。照らされた日差しと運動によってかいた汗を流すため土日に朝風呂を運営している梅湯をゴール地点として設定した。高瀬川の東側の道路に入り口がある。体を流しお風呂に浸かり体を温めて外に出ると目の前に高瀬川の流れを見ることができる。火照った体に川に吹くひんやりとした空気が心地よい。外では川の端や橋のほとりで談笑する人やぼーっとしている人をよく見かけることがある。狭小な通路と住宅地に囲まれた場所だが間を流れる高瀬川が余剰空間となり、窮屈さを感じることはない。木々や植物によってほどよく身を隠すこともでき思い思いの時間に耽ることができる場所だ。

Googlemaps上でコースを選定した後、実際に走ってみた。書いてきたように生活動線の間、異なる歴史の間、観光地と日常風景の間を通っていたことがわかる。日常と非日常に閉じず、はっきりと分けることができない風景からは日常と非日常の時間と空間がグラデーションを持ち、地層のように堆積しているようだ。また、囲まれた閉じた場所から周りが開けた場所へというように、空間スケールの移り変わりを感じることもできる。
実際に訪れて歩いたり走ったり、、、味わってもらえると幸いだ。


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