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仙川のある立ち飲み屋にて

おはようございます。
緊急事態宣言やらマンボウやらのお陰げで毎日早起きが出来ております。
苦しい立場の方々もいらっしゃいますから複雑な心境入り混じるところもございますが、早起きは良い。良いです。

アフターコロナという新時代


昨今では最低限の人付き合いですとかマネーゲームという言葉がわたくしの頭の中を行ったり来たり行ったり来たりしております。

つまり不必要な人付き合いというのはストレスを感じますし、不本意な飲み会というのも、いくらわたくしが酒好きと言ったって辟易いたします。

このコロナ禍では様々なことが見直されまして、これまでの習慣が最適化されているんでございますね。
まだまだ残っているのかもわかりませんが、そんなものは古い価値観、前時代の考え方と言って片付けられるわけです。

ビジネス系のYouTubeチャンネルを観ておりますとやたらに「生産性」という言葉を連呼する若者がおりますよ。
「生産性」「効率」そのような言葉でございますね。
色々と勉強にはなるんですが、あまりに「生産性」という言葉のシャワーを浴びておりますと、ついつい疑問も出て参ります。


思想は様々

ひとつの考え方としましては、若いうちは無駄なことから学ぶのも良いことだという価値観でございますね。
お金だけが全てじゃないという方もおられます。

それに対して、時間には限りがあるのだから、若いうちからお金のことをしっかり学んでおかないと後悔だらけの人生を送ることになりますよ、お金がないと色々と困りますよ、一方ではこういう価値観もございます。

わたくし個人的には、貧しさに耐えられるのも若く活力のあるうちでございますから、まぁ、お金も大切なことですけど、「生産性」ばかり追い続けてらっしゃいますと、将来ご自分の家庭に「無駄」という豊かさが欠けてしまうんじゃないかと心配になりますよ、こういう考え方でございます。
基本的には。

と言いますのも、わたくしは父親が銀行勤めをしておりましたから、全ての銀行勤めの方がそうであるとは言いませんが、銀行員を父に持ちますと家の中が役所と化します。
そんな育ちなものですから、生活の中にどうしても「温度」というものを求めてしまう。
時代が良かった、ということも含めてでございますね。

高度経済成長期においてそういうお役所みたいな家庭が一気に増えました。
核家族、バブル、夢のマイホーム。
その後の凶悪犯罪というのは、わたくしが知る範囲では、ひょっとするとそういうところが温床となっているような気がするんでございますよ。

足し算の生き方と掛け算の生き方


若いうちにきちんと人生の計画を立てておかないと、つまり生産性というものを学んでおかないと、歳を取ってから後悔するよという考え方。
これを仮に足し算の論理だと言ってしまいましょう。
コツコツコツコツと積み重ねていく、そういう意味では足し算です。

これに対して、人生は周り道、無駄だと思っていたものがいつかは大きな資産になるんだよ、
何がキッカケになるかわからないんだから、これを掛け算の論理とします。
アメリカンドリームのようなものが日本にあるとして、そう設定いたしましょう。

これはザックリものを申し上げていますのでザックリと進めてまいります。
独断と偏見でもってやっておりますので、どうぞご理解ください。


今こうして生活から温度が奪われつつあることに対してですね、わたくしは抵抗を感じると同時に耐性が既に出来ているような、そんな自分に気付くことがございます。
何しろわたくしは足し算の家庭で育ったんでございます、貧しさは敵、貧しさは愚かな人間の証、そんな理屈が心のどこかに刷り込まれております。
戦後、物のない時代に育ったわたくしの親の世代は子供にだけは豊かになって欲しいと、好きなものを買ってやりたいと必死になって働いてくれたんでございますよ。
良い大学へ行きなさい、安定した職業につきなさい。
コツコツコツコツやっていきなさい、と。


一方で演劇が、音楽が、芸術が、そういう状況から人々を救えるんだと懸命に作品を作る人たちがおります。
お金にならない歌を歌っている、そういう人も沢山いらっしゃいます。
掛け算の人生を選んだ人たち。
無駄だと思われる事を真剣にやっている人たち。
まだ掛け算をする前の限りなくゼロに近い人たちも含めまして、生活に温度を、無駄を、本当の豊かさを、感動を、ということでございますね。

これ、どちらの人生が豊かなんでしょうね。
そしてどちらが愚かなんでしょう?
ほどほどが良い❓
それには大賛成です。笑


うさぎと亀はどちらが勝者か


リスクヘッジをした足し算の人生には安定や安らぎがありますし、一発勝負の掛け算の人生にはもちろんそれだけのロマンがあります。
しかもジャンルによっては集団でもってやりますから、もう大変な高揚感を感じるんでございますよ。
足し算の人生には堅実さがある、リスクを回避して家族を守っていく、そんな誠実さがありますし、掛け算の人生には様々な面白い出来事があります。

もうこの対比はうさぎと亀のようなものでございますから、ものがたりでは亀が勝つんでございますけれども、ゴールの向こうに果たして本当の豊かさ、誰もが納得出来る幸せというものがあったのか、そう考えると大変答えを出すのが難しい、あるいはそれを考えることこそ無駄なのではないか、そんな気になってまいります。

真の幸せの尺度とは、自分よりも自分の家族にジャッジされるのではないか、そう考え始めますと帝王学とは何か、礎を築くとはどういうことか、というような事にまで考えが及んでしまいます。
だってお金を沢山稼いでも、使い方を間違えるとそれは豊かではございませんね。
金ならある、金しかない、これは雲泥の差というものでございますよ。

その辺りのことを教えてくれるものは何か、人生の教訓が示されているものは例えば何があるのか、何を教科書にすれば良いのかという事を考えた時に芸術、哲学というものがあります。

そうだ先人に聞いてみよう

どう生きるべきか。
これは多くの芸術作品の中で描かれています。
その優れた芸術作品を作る人が理想的な人生を歩めないという現実も含めて、これは非常に真理だと思います。


例えば今の状況で人に何かを伝える、感動を与えたいという気持ち。
これ、与えたい気持ちに拍車がかかって、もはや感動を越えて「祈り」ですとか「願い」なんて言葉が出てきております。
集団でもって祈ってるんでございますね。

こうなってきますと、宗教でございます。
芸術が、もとは神に捧げるものであったとしてですよ、じゃあ今の日本にどれだけ信仰があるのかって言ったら、おそらく一部の方を除いて首を横に振るんじゃないですかねえ。

そういう矛盾を孕んでいるわけでございますよ。
愚かだと言う人もいるでしょうし、これを「人間的だ」と言う人もいるんです。
人間的であることへの賛美、あるいは「愚かさ」、そんなことをひっくるめて書いてあるのが芸術であり娯楽であると思います。

朝から晩まで生活のために必死に働いている、そんな人に代わって面白おかしく生きている人を演じてみる、ですとか。
その結果その人が思わぬ幸せを掴んだり掴めなかったり、そこには代理で生きている人の人生、喜び、悲しみ、教訓などがございます。
自分がナイフで刺されて殺されるなんてとんでもないことですが、物語の中ではそんなことに感情移入出来てしまう、そこで新たな教訓を得て人生観が少し変わった、あるいは愚かな人間だと思っていた人の背景を知ることで、今まで嫌いだった人のことを好きになる、なんてこともあるかも知れない。
落語なんかではよくあります。

そういった感動を越えて来て「祈り」とか「願い」。
そういうんだったら、芸術と同時に今の日本人にはそもそも宗教が必要なんじゃないか。
ですけど「芸術が必要なら宗教も必要じゃないか」って言う人はなかなか出て来ませんね。
ネット上ではいらっしゃいますよ、それから宗教をやっている人、そういう人はいうかもしれない。
ですが宗教を語るというのは、日本全体としてはなかなか語りづらい部分もあるんじゃないでしょうか。
わたくし詳しいことは分かりませんけど、そんな気がいたします。


そもそも宗教とは信仰ですから、その人の美徳とか指針、道徳の拠り所、そういうことです。
決して悪いことではございません。
それがいつからかお金が絡んで利権が絡んで私利私欲が絡んで、色々とあってイメージの悪い集団も中には出てくるんでございます。
ですが元来宗教というものは人々の生活から切り離せない、そういうものだったそうですね。


そちらに立ち返ってから改めて芸術というものを生み出すというような、そういう事を提案するぐらいの覚悟がいるんじゃないか、ということでございますよ。


幸せとは何か、わたくし達は何のために生まれて来たのか。
もう大変なところにまで立ち返って物を考えなければ、つまり日本人は長い間そういう事を蔑ろにして来たわけですから、コロナになって経済がストップしちゃうとどうして良いかわからなくなっちゃう。
若者が夢より現実を重視する時代ですよ、これは大切な事なのか寂しい事なのか、大人としてはもう少し踏み込んで考えなくてはなりません。

一年サボりました(笑)

そんな葛藤が、この一年の間にございました。
本当はもう少し、五年ぐらいは演劇から離れてものを考えようとも思っておりましたが、いつまで元気にやれるかもわかりませんので、お誘いに乗って声を出してみました。


楽しかった。

ほんとに楽しかった。


初見で2作品も読ませていただきました。
別役実作品を2つ。

つっかえるかと思いましたが、そうでもありませんでした。
一年サボっておりましたので、と言っても映像作品や声の仕事にはいくつか参加させていただきましたが、舞台の方は一年やりませんでしたので、朝から少し心配でした。

しかしそんな心配していた声も、七割ぐらいは出てたと思います。



燐光群の山村くん、ワハハ本舗の吉川くん、どうもありがとう。
帰りに仙川の番兵さんで一杯飲みました。
吉川くんは稽古場へむかいましたが、山村くんと演劇について酒を飲みながら語り合いました。
風通しのいい野外の席で、四月の風が心地よくって、これはいつぶりだろう?
番兵さんのガツ、ハツ、レバー、もも肉にメジマグロ、どれも最高に美味しくてですね、わたくし達の気分をより一層盛り上げてくれました。
マカロニサラダと揚げ出し豆腐もたまらなかったですね。
黒ホッピーと、その後は東京のお酒でわたくしのお気に入り、澤乃井を冷やでいただきました。



演劇に時代を動かす力があれば素敵だけど、わたくしはただ「やりたいだけ」です。

人を救おうとも思いません。


逆に救われたいんです。笑



いかに生きるかなんて、これは生きているからこそ考えられることなんですよ。
生きて来た上で振り返った時に初めて何かを感じることが出来る。
それはお金かも知れないしそれ以外かも知れない。
ただ失敗だけが残ったとしても、それは楽しめればいい。
正しいことなのか楽しいことなのか、その時々に考えて選択して生きていく。
初見で読む戯曲には、そんな葛藤が沢山詰まっておりました。


というお話でございました。
どうもありがとうございました。


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