田中渉悟

田原カフェ 企画・進行役|93年生まれ|岡山出身|お問い合わせ : tana.sho.…

田中渉悟

田原カフェ 企画・進行役|93年生まれ|岡山出身|お問い合わせ : tana.sho.2602@gmail.com

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  • 田原カフェ

    言論猛獣・田原総一朗と若者の対話。

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泉房穂さんが若者に語った「幸福論」

はじめに 田中渉悟と申します。30歳です。 ジャーナリストの田原総一朗さんと「田原カフェ」という会を開催しております。 10代から田原ファンで、猛勉強して田原さんの母校・早稲田大学に入学しました。在学中に田原さんが主宰されていた塾の門下生になり、現在は一緒にお仕事をさせていただいております。 ▼過去の記事はこちらから! 田原カフェは「田原総一朗がカフェの1日マスターに!」というテーマのトークイベントで、2022年の2月から始まりました。 早稲田の喫茶店「ぷらんた

    • 女性も行きやすいスナック

      昨晩、ツイッターのスペースで友人のスナックママ・坂根千里さんとお話しした。 坂根さんは26歳。2年前に一橋大学を卒業し、新卒でスナックを事業継承した。国立にある「スナック水中」というお店である。 過去には田原カフェにもゲストとして出てもらったこともある。 学生時代に国立の老舗スナック「せつこ」に通うようになる、そのままアルバイトをするようになった。ママが高齢で店を畳もうとしていた折に、坂根さんが後継者として指名された。 坂根さんは先代のママから店を引き継ぎ、店名を「水

      • メンタルヘルスと社会

        大学時代の友人と、コーヒーを飲みながら話した。 公務員として働いているが、数年前にうつ病になり休職し、今は復職したものの体調に波があるらしい。なかなか話せる人がいない、話しても分かってもらえないとのことで、数年ぶりに私に連絡をしたようだった。 最近は「ハラスメント」が問題になっているが、私の知っている人で心を病んでしまう人は、自分に厳しすぎて、自分で自分を責める傾向がある。もちろん他者との関係性で悩む人もいるが、診断がつくくらい深刻な人は、自責の念が強いように思う。 よ

        • 右と左と田原さん

          4月17日に開催された田原総一朗さんの90歳のお誕生日と新刊の刊行を祝う会にご招待いただいた。 会場は早稲田の大隈講堂の真横にあるリーガロイヤルホテル東京。早稲田は田原さんが青春時代を過ごした街でもある。 この日は18時半から始まったのだが、私は前の仕事が延びて19時前に到着した。ホテルの前には黒塗りの車が待機しており、館内にはスーツを着た体格のいい男性がいたるところにいた。 朝のラッシュ時のターミナル駅のように混雑した会場で、政治家、ジャーナリスト、アナウンサー、タレ

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        泉房穂さんが若者に語った「幸福論」

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          全身ジャーナリスト

          師匠でもあり、一緒にお仕事をさせてもらっている田原総一朗さんが、90歳になった。 1934年生まれの昭和一桁世代。昨今話題を集めた『不適切にもほどがある!』の主人公が1935年生まれらしいので、いかに時代を超えて生き残り続けたかが分かる。私は平成5年生まれの30歳だが、その3倍も生きている。 先の大戦、高度経済成長、バブル崩壊、阪神淡路大震災、平成不況、東日本大震災と原発事故。90年の間に世の中は激しくうねり続けてきた。何が「適切」で何が「不適切」か、価値観の変遷もあった

          全身ジャーナリスト

          田原さんを知ったときのこと

          田原総一朗さんとお仕事をしていると、いろんな方から「どうやって知り合ったんですか?」と聞かれる。 いちばん最初に田原さんのことを知ったのは、高校時代にさかのぼる。2010年ごろだろうか。 『情熱大陸』に出ていた田原さんを観て、ジャーナリストという枠にはまらない突飛な人生を歩まれていることに衝撃を受けた。 元々は映像のディレクターとしてスタートしたこと。 フリーセックス集団を取材するために自らもカメラ片手に全裸で乱入し一発かましたこと。 深夜の討論番組「朝まで生テレビ

          田原さんを知ったときのこと

          「モノカルチャー政治」を変えるには

          ジャーナリストの長野智子さんと田原総一朗さんが主宰されている、全政党の女性国会議員が集まる「クオータ制」勉強会に参加した。ゲストは能條桃子さん。 女性と若者がどうやったら声を上げて届く世の中になるか。ということで、まずは政治の世界を変える方法について考えた。 能條さんが立ち上げた「FIFTYS PROJECT」では、女性議員を増やそうとしているのはもちろんすばらしいのだけど、選挙を支えるボランティアの人たちも女性や若者を増やそうと、ハラスメント対策の啓蒙活動やボランティア

          「モノカルチャー政治」を変えるには

          10代の居場所

          卒業シーズンの3月、私の地元の岡山で風物詩となっているイベントがあった。 地元の不良中学生たちが、特攻服の恰好をして岡山駅前に集まるのである。 私が中学時代を過ごした2006年前後から続いていた。私は参加したことないし特攻するほどの勇気もないのだが、同じ中学校から参加していた生徒もいた。 ところが、ここ数年は警察の監視や学校現場での取り組みが強化され、駅前に集まることもなくなったようだ。 県外の人が見たらびっくりするだろうし、ここ数年は岡山にも外国人観光客が増えている

          10代の居場所

          空港の「Good-bye wave」

          私用で、地元の岡山に帰った。 確定申告も終えて、来年度の仕事の準備の合間に少し余裕もできたので、地元で英気を養いたいと思った。 とはいえ正月も帰ったので、あまり久しぶりな感じはなかった。それでも地元の友人と会ったり、家族と過ごしたり、気になっていた場所に行ってみたり、とても有意義な日々だった。 帰りは飛行機を使うことにした。 先月、九州での仕事で初めて一人で飛行機に乗った。 これまで数えるほどしか飛行機に乗ったことがないうえに、いつも仕事仲間や友人、家族が一緒だった

          空港の「Good-bye wave」

          「田原さんにいくら払ってんの?」

          田原総一朗さんとお仕事をしています。 学生時代に教えを受けていたご縁から、若者向けのゼミのような場をつくっています。「田原カフェ」といいます。 よく「田原さんにいくら払ってんの?」って聞かれるけど、田原さんには一円もお支払いしていません。 むしろ私が事務所からお金をいただいて運営しています。代理店やマスコミも絡んでいません。 田原さんが「若い人と話したい」という後進を育てたい思いで続いている会です。 ゲストの方々に謝礼はお支払いしていますが、通常ならありえない額です

          「田原さんにいくら払ってんの?」

          BEING KAZUE

          映画『かづゑ的』を観てきた。涙がとまらなかった。 ハンセン病の後遺症を抱えて生きる、宮崎かづゑさんという女性が主人公の物語である。 かづゑさんは、10歳で故郷を離れハンセン病の隔離施設「長島愛生園」で暮らし始めるが、そこで待っていたのは患者同士での差別やいじめだった。 やがて症状が重くなり、右脚を切断、後に手指も全て失う。 かづゑさんは、地獄の中でも喜びを見出そうとする強さがある。現実から逃避するために図書館で読書に没頭し、その姿をよく見ていた同じ患者の宮崎孝行

          孤高なイマムーの最後

          定年で退官する今村先生(イマムー)の最終講義を受けてきた。 私の母校である早稲田大学の社会科学部の教授であり、政治学を教えていた。 早稲田はどちらかというと反政権的な人が多いのだが、一貫して保守的な主張をしていて、学生と教員から「右翼」と一目置かれていた。 たくさんの先生の講義を受けたが、今は亡き安倍元総理を高く評価していたのは、イマムーくらいしか思い出せない。試験中に監督しながら真顔で産経新聞を読んでいた姿は、いつ思い出しても笑みがこみあげてくる。 イマムーの

          孤高なイマムーの最後

          伝説の下宿屋

          浪人と学生の時に住んでいた、高田馬場の下宿屋を訪ねた。 築80年、風呂無し便所共同、食事付きで4万円台。路地裏にひっそりとたたずむ、知る人ぞ知る伝説の下宿屋だった。 古さよりも、いくつもの時代を生き抜いた安心感に惹かれた。東京大空襲の戦火にも、東日本大震災の激震にも動じなかったのは、何か見えない力が鎮座していたからなのかもしれない。 その分、冬はすきま風が寒くて、屋根裏に住み着いた野良猫に真夜中にたたき起こされることしばしばであった。 10年前の今ごろ、ここの4畳半の

          伝説の下宿屋

          たくさんの方に読んでいただき、うれしいです。ありがとうございます。 https://note.com/tana_tana_sho/n/n2eb25a79ce85

          たくさんの方に読んでいただき、うれしいです。ありがとうございます。 https://note.com/tana_tana_sho/n/n2eb25a79ce85

          初めて一人で飛行機に乗った

          私の地元・岡山県には「日本で最初に空を飛ぼうとした」と言い伝えられている先人がいる。 浮田幸吉という江戸時代にいた人物で、木を組んで紙を貼った自作の羽を背中に、岡山城にほど近い橋から飛ぼうと試みたらしい。 空を飛ぶ、という行為は、人間の身体では不可能である。 同郷の先人は壮大な夢を求めて飛ぼうと試みたのか、もしくはそれなりにお騒がせで目立ちたがりだったのかもしれない。ちなみに、飛ぼうとしたものの残念ながらすぐに落下したらしい。 それから200年以上経ち、人間は空を自由

          初めて一人で飛行機に乗った

          望月衣塑子さんが若者に語った「後悔」

          はじめに田中渉悟と申します。30歳です。 ジャーナリストの田原総一朗さんと「田原カフェ」という会を開催しています。 10代から田原ファンで、猛勉強して田原さんの母校・早稲田大学に入学しました。在学中に田原さんが主宰されていた塾の門下生になり、卒業した現在は一緒にお仕事をしています。 田原カフェは「田原総一朗がカフェの1日マスターに!」というテーマのトークイベントで、2022年の2月から始まりました。 月に一度、早稲田の喫茶店「ぷらんたん」で開催し、これまでに28回(

          望月衣塑子さんが若者に語った「後悔」