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エロい話

今住んでいる国分寺のシェアハウスは、地域に開かれていて、定期的にオープンなイベントを開催している。

昨日は「エロい話」をテーマにした座談会があり、住人でない方々たちもあわせて10名ほど集まった。年代も性別もバラバラ。セクシャリティも様々だった。

会の冒頭で「ここだけの話」という決まりを確認してから、甘美で、淫靡な、不適切な話が繰り広げられた。

加齢により「勃起」の状態が変化した話、男性と女性が感じる「色気」のちがい、道ならぬ恋をしている人の話、自慰行為の是非について、などなど様々だった。

これ以上は具体的な内容を書くことは避けるが、「エロい話」を対話のテーマにして哲学的に問いを交えながら話すことのおもしろさに目を開かされた。

性的なテーマで話すことは、かなり気も使うし、自分の体験・経験を晒すことにもなりかねないので、そこに恥と抵抗感を覚える人もいるだろう。

もしかしたら自分の性的嗜好や他者との性的な関係性が、社会的には許容されないものであることだってあるかもしれない。

また、そういう話を他者に聞いてみたり、話すことを強要することは暴力である。

とはいえ生殖器を備えた人間の身体で生きていることは「性」とは不可分ではあるし、その欲望の度合いは人によってちがえど、人間の共通の話題ではないかと思う。

昨日、いちばん興味を持ったのは「色気」についての話だった。

「色気」は容姿の優劣ではなく、その人の佇まいとか雰囲気とか他者とのコミュニケーションの中に存在するものである、というある参加者さんの考察が、とても本質を突いていると思った。

最近でいうと「光る君へ」の藤原道長役の柄本拓に色気を感じる女性が多いらしい。

私はドラマを観ていないのでなんとも言えないが、他者から色気を感じるにはそれなりの人生の時間や経験を蓄積しないと「色気センサー」的な感性は磨かれないのかもしれないとも思った。

じゃあどうやったら色気のある人間になれるか。なれるものなら私もなりたい。

それは私も分かりませんので誰か教えてください。

私は哲学対話の進行役や政治や社会問題の対話の場づくりを仕事でしているが、日常生活のモヤモヤであったり、政治や社会に対して、外で語られずに内に沈殿していく言葉がたくさんある人が多いのではないかと思う。

それは性もそうであり、もしかしたらそのほうがより扱いに困ってしまうこともあるのではないだろうか。

そうした事象を他者との対話形式で深めていく場があったことが、とてもおもしろく感じた。








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