『ルックバック』の二人が羨ましい
田中渉悟と申します。フリーで取材・執筆・トークイベントを細々と仕事にして生きています。
こないだ映画『ルックバック』を観てきました。
原作は3年前に『少年ジャンプ+』(集英社)で掲載された読み切り漫画だそうで、作者は『チェンソーマン』の藤本タツキさんです。
映画そのものは58分で終わります。
短いけど、無理やり詰め込んだ感じがしません。 わざとらしいセリフがなく、登場人物たちの心情が音楽と風景描写で過不足なく伝わりました。
この作品の主人公の女の子二人、「藤野ちゃん」と「京本」は田舎の小学校(豪雪地帯)で出会います。
藤野ちゃんは表向きは自信満々で勝気な性格、京本は人が怖くて学校に行けていない不登校児です。
この対照的な二人をつないだのが、漫画でした。
自分の画力とやや毒のある物語のセンスに圧倒的な自信を持つ藤野ちゃんは、学校新聞で4コマ漫画を連載しています。その面白さは新聞が配られる度に教室がざわついて「藤野すげえ」「天才」と周りの同級生たちから絶賛されるほどです。
いっぽうで京本は学校には行けませんが、家でずっと絵を描いており、ある時期から藤野ちゃんの漫画の隣で連載をさせてもらうようになります。
京本の作品は風景画で、物語があるわけでもなく人物も登場しません。しかし、あまりにも見事に風景を写実的に描いており、こちらも学校中で話題になります。
「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだな」
隣の席の男子が何気なくつぶやいた感想が、藤野ちゃんに無情にのしかかります。
藤野ちゃんは初めて挫折を味わい、狂ったように毎日絵を描き始めます。日に日に増えていくスケッチブックと絵の指南本たち。すべては突如現れたライバルの京本より上手くなるためでした。
ここから狂ったように絵を描くことに没頭して月日が流れていく様が、ピアノと弦楽器の壮大な旋律で表現されているのです。セリフは一切なし。
余計な言葉をそぎ落とした演出がたまらなくよかったです。こうしたシーンは多々出てきます。
しかし、初めて挫折を味わってから2年が経った6年生の時、藤野ちゃんは漫画を描くことを止めてしまいます。京本に対する埋められない何かを悟ったのでした。
そんな二人は卒業式の日についに対面を果たします。
実は京本は藤野ちゃんの漫画の大ファンでした。不登校で学校へ行けていなかった京本は、卒業証書を藤野ちゃんに家まで持ってきてもらい、そこで着ていたちゃんちゃんこの背中にサインを求めるほど感極まってしまいます。
中学生になり、二人は一緒に漫画を描き始めます。物語と登場人物は藤野ちゃんが担当して、背景画は京本という役割分担です。相変わらず京本は学校に行けていませんが、藤野ちゃんの家で漫画を描く時間が外の世界との接点になっていたのです。
そこから徐々に頭角を現し、その実力は田舎からやがて全国レベルにまで到達、ついにはプロの漫画家としてお声がかかるのだが…藤野ちゃんと京本は別れてそれぞれの道を進みます。
ややネタバレも含みますが映画の感想を。
自分には才能があるって信じたいけど、成長して自分が見えてくる世界が広くなるにつれて、視座が高くなるにつれて、だんだんとその実像が否が応でも見えてくる、ということがあります。
地方の田舎の小さな小学校という狭い狭い世界で、藤野ちゃんは初めて挫折するわけです。「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだな」と隣の席にいた男子のセリフは、きっと全世界から自分の才能と存在を否定されたように響いたにちがいありません。
ところが、狭い世界の中には同時に自分の才能や本質を分かってくれる人もいました。それが他でもない京本だったわけです。
京本は写実的に描く才能には長けていたけど、藤野ちゃんのように起承転結のある物語が浮かんだり、人物を生き生きと描く才能は無かったのかもしれません。劇中で彼女は藤野ちゃんが描く漫画のどこかどう素晴らしいかを縷々として説明します。
藤野ちゃんにとって、初めて挫折を味わったのが京本でもあり、初めて彼女にとって自分が「認められた」と思った相手も京本だったわけです。きっとそれは同級生や周りの大人から「上手いね」ってちやほやされるのとはちがった喜びだったのではないでしょうか。
藤野ちゃんは不登校で引きこもりがちだった京本と「漫画」でつながり、彼女を外の世界に連れ出します。そこから二人を取り巻く状況はどんどん変わっていきます。
結果として、京本を外に連れ出したことで、藤野ちゃんは職業漫画家のスタートラインに立つわけですが、ずっと一緒だった京本から別れを告げられたのです。
そこには、藤野ちゃんがきっかけで外の世界に出て、ずっと付いていったけど、彼女に対する複雑な気持ちもあった気がします。自分への劣等感だったり、藤野ちゃんの才能への羨望だったり、何より「自立」したいという気持ちが出てきたわけです。
「もっと、絵・・・上手くなりたいもん・・・」とぽろぽろ泣きながら絞り出すように藤野ちゃんに伝えた思いは、いろんな解釈があるようですが、京本の藤野ちゃんからの自立宣言だと受け取りました。
そうした京本との別れや、その先にある悲劇も乗り越えて、藤野ちゃんは描き続ける人生を再び「選びなおして」物語は幕を閉じます。
藤野ちゃんは劇中では自信満々の強がり系女子のように描かれていますが、根っこのところでは自分という存在がよく分からない「不安」を抱えていたんじゃないかと思います。
京本から別れを切り出された時に「私についてくればさっ全部上手くいくんだよ?」というセリフも、本当は「京本がいない私なんてどうしたらいいの」と自分の存在が崩れるような焦りに駆り立てられていたのではないかと思いました。
狂ったように絵を描き続けて、周りの友人や家族から理解されなかった時期もありました。
「(漫画は)読むだけにしといたほうがいいよね、書くもんじゃないよ」
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いているの?」
というセリフもあります。
しかし、藤野ちゃんはある事件がきっかけで、京本と別れた後も彼女が自分を応援してくれていたこと、そして京本も藤野ちゃんのように物語のある漫画を描こうとしていたことを知ります。
そこで、小学生の頃、初めて京本にひれ伏した時の感情が完全に融解したんじゃないかと思いました。
そして、自分の存在の不安への解が見つかったのではないでしょうか。
藤野ちゃんも京本の写実的な絵に衝撃を受けて、追いつこうと努力してもその差は埋まらなかったわけです。
でも、自分とはちがう才能を持つ京本から認められていた。
自分がどうしてこの世界にいるのか、あるいはその意味や役割を探ろうとしているとき、たった一人でもいいから、自分の存在に心から感動してくれる人がいるだけで、不安から救われることもあるのかもしれません。
たとえ羨望や嫉妬が混じっていたとしても、時には何かの掛け違いで離れてしまったとしても、です。
それが新しい何かを生み出すために、孤独に耐えて、没頭するための力になるのかもしれません。
最後は悲しい形で永遠に別れてしまう二人ですが、二人の関係性が羨ましいとさえ思ってしまったのでした。
「ルックバック」ぜひ観てください。
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