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一ファンとして、ざこば師匠について

落語家の桂ざこば師匠がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

「ざこば師匠」と書いていますが、仕事か何かでご一緒したわけでもなければ、会って話したこともありません。

とはいえ小さい頃から慣れ親しんだ人であり、生で落語も観に行ったことが何度もあるので、そういった意味で敬意をこめて「師匠」と付けています。

ざこば師匠は関西を中心に西日本の人にとってはテレビのタレントとして有名だと思います。「そこまで言って委員会」で政治家や学者相手にストレートに直言する感じ、大好きでした。

タレントでもあり、「桂」を名乗る正統派の落語が本業です。師匠は人間国宝の桂米朝師匠。2015年に90歳でお亡くなりになりました。

私は小学校の頃から落語が大好きで、一時期は真面目に落語家になりたいと夢描いていた時期があったほどでした。そのスターが桂米朝であり、門弟のざこば師匠だったわけです。

私の地元の岡山県では年に何回かホール落語会が地元の市民会館で開かれ、そこが生で落語に触れる唯一の機会でした。東京や大阪には一年中落語をやっている寄席小屋がありますが、地方にはありません。

その落語会でいちばん長く続いていたのが「桂米朝一門会」であり、私も何度も通いました。学校帰りに制服で。周りはジジババばっかりだったので相当浮いてました。

初めて観た時、高座に上がってすぐ羽織を脱いで「すぐ脱ぐんやったら何も着てこんかてええんですが、いちおう持ってるところを見てもらおうと思って」と、掴みで爆笑しました。あれ毎回やっていたけど、毎回聞いても面白かった。

米朝師匠の落語も何度か観ました。師弟関係にありながら、お二人は芸風が全くちがいます。米朝師匠はまるで映画を観ているようで、登場人物や場面が鮮明に浮かび上がってきます。「鹿政談」なんて凄まじかった。お白洲とお奉行様が見えましたから。

ざこば師匠の落語は近所のおっちゃんがビール片手におもろい話を聞かせてくれるような身近さがいいんです。映画というよりも漫画に近いかもしれません。登場人物がみんな「ざこばワールド」の住人なんです。ざこば師匠が描く人物には、どれも自身のお人柄が現れていたような気がします。違和感は全くなかった。

米朝師匠はマクラでプライベートなことはあまり語らなった印象ですが、ざこば師匠は毎度おなじみ「嫁はん」との喧嘩話がおもしろすぎて、腹抱えて笑いました。落語会で周りの人も笑いすぎて泣いたり過呼吸起こしたりしてましたから。

色んなネタを拝見しました。人情噺の「子は鎹」では「鎹」が現代の人には分からないだろうということで、噺に入る前に実物を見せる気遣いに感動しました。「肝潰し」「ろくろ首」「尻餅」「文七元結」どれもよかった。図書館でCDも借りて聞いたこともあります。

これから過去の高座アーカイブがネットで公開されるかもしれません。おそらく膨大な数の記録が大阪の放送局にはあるんじゃないかと思います。

とはいえ、もうあの生の高座に触れられないのはとても寂しい。落語は想像の芸で、お客さんと一緒につくっていくもの。ざこば師匠は遠い存在でありながら、落語を介して身近につながっていた温かさが今も残っています。

私の多感な10代の時期に、大きな影響を与えてくれたざこば師匠、ありがとうございました。




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