私、決意する。
パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ
#10 カケラ
「私は一切悪くない」
さすが母。
間髪入れずに言い切ります。
”申し訳ない”という謝罪や後悔などは、もちろんゼロ。猫を気遣う言葉すらありません。「私はテーブルの上で食べていたのだから、ゴミなんて落とすはずがない!」と胸を張って繰り返すのみ。
人間の何倍も細い猫の腸管。人間にとっては小さなゴミでも、猫にとっては一大事です。せめて、「大丈夫?」の一言くらいあってもいいと思うのですが。
悔しさと腹立たしさが渦巻きます。
子供だった私を苦しめていたことに対し、「ストレスを発散する相手がアンタしかいなかったから」と平然と言いのける母なのですから、今回のような反応を見せつられたところで、今さら驚くようなことではありません。
しかし、今回の被害者は私ではなく猫なのです。
これ程にか弱い存在のことすら、母は思いやろうとしないのですか。
「本当にゴミ食べたの? 別に元気そうじゃない」
母の脳をかっ開いて思考回路を修正できるのなら、どれほどに素敵なことでしょう。
↓ 母の基本ステータスが分かります。
動物病院に連れていく車内、私は謝り続けていました。
心細そうに「にゃー」と鳴く声が、私の胸を締め付けます。
「ごめんなさい…こんな目に遭わせてしまって」
私は、母がお菓子を食べていたことを知っていました。テーブルの上に散らばっているゴミも確認していました。
もっと母に注意を向けておくべきだったのです。せめて、「ゴミには気をつけて」と声を掛けておくべきだったのです。
母に注意することが苦手な私。
「明日から頑張る…」となあなあにしていた結果がこれです。
後悔先に立たず。注意することを怠ったツケは、最悪な形であらわれてしまいました。
愛猫を苦しめたのは、母ではなく私でした。
↓ ”注意すること”の大切さは学んでいたはずなのに・・・
結果的に、愛猫は腸閉塞を起こすような事態にはならず、日が経った今でも問題なく暮らせています。
しかしそれはあくまで結果。運が良かっただけです。
食べてしまったゴミが、緊急事態を引き起こすほどの大きさではなかったことと、そのゴミがグチャっと小さくまとまる素材でできていたため、腸に引っかからずに流れ出ることができた、という偶然が重なってのこと。
一つ間違えば、開腹手術もあり得たのです。
大切な大切な愛猫。
気がつくと私の側にいて、そっと励ましてくれる愛すべき存在。
にもかかわらず、私はその優しさに報いるどころか、苦しめてしまったのです。
私は今回の過ちを決して忘れません。
”注意すべきことは、しっかりと注意する”。
注意して母が不機嫌になったところで、いいじゃないか。取り返しがつかないような事態になるより、よっぽどいい。
もう躊躇しません。私は、決意しました。
この記事をもって連載10回!
我ながら頑張ったと思います。
泣き言と愚痴のオンパレードのような10回でしたが、次回は前向きな記事にできたらと思っています。
次作も読んでいただけることを願っています。
いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^