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takuro(juJoe)
2018年3月20日 22:00
「飛び込みとかやりたくない」「土日出勤とかしたくない」「ウザい上司と絡みたくない」「面接ダルい」京王線のガタンゴトンという音に混じって、声が途切れ途切れ聞こえる。街が就活色に染まり出している。春だなぁと思う。彼らの声はいろいろあるけど、とにかく「やりたくない」にフォーカスしている。もはや「やりたくないことの後回し」をするかしないかの帰路みたいだ。でもそれらは本当に「後回し
2018年3月19日 22:00
久しぶりにニュースでオウムの話題を取り上げていた。二十歳の頃は懸賞金目当てで、平田ら逃走中の幹部を探していた。オウムの話をすると、誰と話しても「オウム=悪」の図式は「麻原=早く殺せ」になる。特に年寄りと話すとわめきたてる。不倫騒動でもなんでもそうだけど、日本人は厳罰が好きだ。切腹のDNAもいいのだが、もうちょっとなんとかならないだろうか。とにかく脊髄反射的に、「悪しきもの」に厳罰を
2018年3月13日 22:00
僕は「失くなってしまうこと」をよくよく歌っているし、書いてきている。そしてそれらを嫌悪するもの、恐怖の対象といった見方ではなく、受け入れていきたいと思っている。「いずれは失くなる」というのはこの世で唯一の真理だ。だからこそイマは尊いし、愛しい。でも、自分にとっての「失くなること」を過剰に大きく捉える必要もない。失恋や失業。そのたびに自分を否定する必要もないし、無理に肯定する必要
2018年3月12日 22:00
2018年3月11日 22:00
先日、小学校の前を通ると、体のデカイ先生が子どもをひたすら整列させていた。先生は全然並べない子どもたちに、キレ散らかしていた。僕らの時代と、あまり変わらないように思えた。そして改めて義務教育というのは、本当に協調性が重要視されているのだと、人ごとながら感じる。学校という場所は「まわりと違うことをするのはダメざんす」という思想が強い。そうなると子どもは自らをまわりと比べていくし、
2018年3月10日 22:00
「この勘違いにすがりついて生きていこう」という希望なのか諦めなのか、よく分からない感覚をずっと重ねてきた。前向きというのか、後ろ向きというのかは分からない。でもこの学校をサボって友達と、二人でキャッチボールをする自分たちを少しクールだと思ってしまうような感覚が好きだった。生きていると、素晴らしいことや嬉しいことが起きる。だけどそれが勘違いかもしれないときがある。
2018年3月9日 22:00
それなりに長い。成人してまぁ経つ。嬉しかったことも、嫌だったこともあった。すべてが巡り合わせとか、タイミングとか、そういうものによって決まってしまったと思う。それで良かった気がする。もちろんそうとは到底思えない夜もある。だけど人間をそれなりに長くやっていると「どうしようもないような流れ」というやつを大切にしたくなってくる。たぶん、この尊さを愛せないなら、いろんなことが何の意味も
2018年3月8日 22:00
生きていると、合うひとと合わないひとがいる。好きなひと嫌いなひととは違う次元の話だ。「合わない」とは、一緒に何かをしていて「このひととは合わないなぁ」と感じる、あのモヤモヤを生む対象のことを指す。「仕事は金を稼ぐ場所」と考えるひとと、「仕事は自己実現の場所」と考えるひとが共生していくのは難しい。とにかく儲かる音楽を作りたいというメンバーと、とにかく楽しくやりたいというメンバーが一緒にや
2018年3月7日 22:00
わりと飽きっぽい。色々始めても、すぐ飽きてしまう。「石の上にも三年」という感覚が好きなひとからは、疎まれがちだ。でも僕も疎んでいる。うざいなぁと思う。とりあえずここまでの人生で見ると、「飽きる」って、悪いことでもない。「飽きる」という状態は結局その物事にハマった結果だ。カタチになる前に、やめてしまうのは良くないけれど、カタチが作れたなら次の仕事に繋がっていく。「好きなことにハマり狂う」
2018年3月6日 22:00
神経がすり減ったときに魅力を増すものがある。人の数だけ存在する。音楽を聴いたり、友達とおしゃべりしたり、旅に出たり、絵を描いたり、運動したり。これらはひとつの礼拝であり、信心に近い。あなたにもあると思つ。そしてこの「神経がすり減ったときに魅力増すもの」だけが人生の救いになるのだと思う。打ちのめされたときにこそ会いたいひと。踏み潰されたときにこそ聴きたい歌。くたくたになったときに
2018年3月5日 22:00
「大切なものをことごとく失う人生」と「大切なものがたった一つも手に入らない人生」とならば、どちらが悲惨なのだろうか。 という二択をよくよく考える。中学生のときに失った環境、高校生のときに失った実家と恋人、成人してから失った平穏と良識、東京に出てから失ったたくさんのもの。そして、来月には楽隊も失う。僕は大事なものを失い続けてきた。手放したくないものもあったし、手放すことを受け入れたも
2018年3月4日 23:00
何かを批判するためだけの言葉というものがある。中二病、ダサイ、KY、ブス。その言葉が知れ渡っていると、「当てはまるもの」は強烈な批判の対象になる。だけど、たぶんそれらの言葉が生まれるまでは、さほど批判の対象でなかったと思うのだ。それらは「当てはまるから」という理由で、阻害され、踏まれ、撃沈される。余談だが心理学に「リマレンス」という言葉がある。
2018年3月3日 22:00
歌詞を書くようになって、ステージに立つようになって、もう何年も経つ。当たり前だけど慣れてきている。最初は恥ずかしかったが、それに対しての恥を感じなくなっている。慣れと共に失ったのが「恥じらい」だ。始めた当初は僕にも「出すぎた真似をしてすみません」という感情があった。自作の詞を歌うおこがましさに対しても「恥じらい」を伴った。だからこそ余計に興奮した。やっちゃいけないことほど楽し
2018年3月2日 23:00
人間をそれなりに長くやっていると「本当に好きなこと」について、一生懸命考えるタイミングがある。ターニングポイントになるし、数少ない重要な時間だ。大事なこと、大事にしたいこと、本当にしたいこと。年末年明けから、日がな一日中考えた。これまた「解散」の恩恵だと思っている。「大好き」について考えると、そこそこ儚い。目を逸らさずに「本当に好きなもの」を見ると、手遅れになった片思いのような