マガジンのカバー画像

音楽を作るために考えていること

音楽を作るために考えていること
¥540 / 月
運営しているクリエイター

2018年3月の記事一覧

働かなくてもいい話

「飛び込みとかやりたくない」
「土日出勤とかしたくない」
「ウザい上司と絡みたくない」
「面接ダルい」

京王線のガタンゴトンという音に混じって、声が途切れ途切れ聞こえる。

街が就活色に染まり出している。春だなぁと思う。

彼らの声はいろいろあるけど、とにかく「やりたくない」にフォーカスしている。

もはや「やりたくないことの後回し」をするかしないかの帰路みたいだ。

でもそれらは本当に「後回し

もっとみる

犯罪は罰せられるべきだけど、だけどさの話

久しぶりにニュースでオウムの話題を取り上げていた。

二十歳の頃は懸賞金目当てで、平田ら逃走中の幹部を探していた。

オウムの話をすると、誰と話しても「オウム=悪」の図式は「麻原=早く殺せ」になる。特に年寄りと話すとわめきたてる。

不倫騒動でもなんでもそうだけど、日本人は厳罰が好きだ。切腹のDNAもいいのだが、もうちょっとなんとかならないだろうか。

とにかく脊髄反射的に、「悪しきもの」に厳罰を

もっとみる

「失くなってしまうこと」を受け入れる話

僕は「失くなってしまうこと」をよくよく歌っているし、書いてきている。

そしてそれらを嫌悪するもの、恐怖の対象といった見方ではなく、受け入れていきたいと思っている。

「いずれは失くなる」というのはこの世で唯一の真理だ。だからこそイマは尊いし、愛しい。

でも、自分にとっての「失くなること」を過剰に大きく捉える必要もない。

失恋や失業。

そのたびに自分を否定する必要もないし、無理に肯定する必要

もっとみる

「協調性なんて、別に無くてもいいのに」と思った話

先日、小学校の前を通ると、体のデカイ先生が子どもをひたすら整列させていた。

先生は全然並べない子どもたちに、キレ散らかしていた。

僕らの時代と、あまり変わらないように思えた。

そして改めて義務教育というのは、本当に協調性が重要視されているのだと、人ごとながら感じる。

学校という場所は「まわりと違うことをするのはダメざんす」という思想が強い。

そうなると子どもは自らをまわりと比べていくし、

もっとみる

「この勘違いにすがりついて生きていこう」の話

「この勘違いにすがりついて生きていこう」という希望なのか諦めなのか、よく分からない感覚をずっと重ねてきた。

前向きというのか、後ろ向きというのかは分からない。

でもこの学校をサボって友達と、二人でキャッチボールをする自分たちを少しクールだと思ってしまうような感覚が好きだった。

生きていると、素晴らしいことや嬉しいことが起きる。

だけどそれが勘違いかもしれないときがある。

もっとみる

すべて巡り合わせとかタイミングのような話

それなりに長い。成人してまぁ経つ。嬉しかったことも、嫌だったこともあった。

すべてが巡り合わせとか、タイミングとか、そういうものによって決まってしまったと思う。

それで良かった気がする。

もちろんそうとは到底思えない夜もある。

だけど人間をそれなりに長くやっていると「どうしようもないような流れ」というやつを大切にしたくなってくる。

たぶん、この尊さを愛せないなら、いろんなことが何の意味も

もっとみる

合わないひとでも、自らの成長のために付き合っていこうはどうなのかの話

生きていると、合うひとと合わないひとがいる。好きなひと嫌いなひととは違う次元の話だ。

「合わない」とは、一緒に何かをしていて「このひととは合わないなぁ」と感じる、あのモヤモヤを生む対象のことを指す。

「仕事は金を稼ぐ場所」と考えるひとと、「仕事は自己実現の場所」と考えるひとが共生していくのは難しい。

とにかく儲かる音楽を作りたいというメンバーと、とにかく楽しくやりたいというメンバーが一緒にや

もっとみる

飽きっぽい話

わりと飽きっぽい。色々始めても、すぐ飽きてしまう。「石の上にも三年」という感覚が好きなひとからは、疎まれがちだ。でも僕も疎んでいる。うざいなぁと思う。

とりあえずここまでの人生で見ると、「飽きる」って、悪いことでもない。

「飽きる」という状態は結局その物事にハマった結果だ。カタチになる前に、やめてしまうのは良くないけれど、カタチが作れたなら次の仕事に繋がっていく。

「好きなことにハマり狂う」

もっとみる

すりへったときの話

神経がすり減ったときに魅力を増すものがある。

人の数だけ存在する。

音楽を聴いたり、友達とおしゃべりしたり、旅に出たり、絵を描いたり、運動したり。

これらはひとつの礼拝であり、信心に近い。あなたにもあると思つ。

そしてこの「神経がすり減ったときに魅力増すもの」だけが人生の救いになるのだと思う。

打ちのめされたときにこそ会いたいひと。踏み潰されたときにこそ聴きたい歌。くたくたになったときに

もっとみる

「大切なものをことごとく失う人生」の話

「大切なものをことごとく失う人生」と「大切なものがたった一つも手に入らない人生」とならば、どちらが悲惨なのだろうか。 という二択をよくよく考える。

中学生のときに失った環境、高校生のときに失った実家と恋人、成人してから失った平穏と良識、東京に出てから失ったたくさんのもの。

そして、来月には楽隊も失う。

僕は大事なものを失い続けてきた。

手放したくないものもあったし、手放すことを受け入れたも

もっとみる

その批判言葉が生まれていなければの話

何かを批判するためだけの言葉というものがある。

中二病、ダサイ、KY、ブス。

その言葉が知れ渡っていると、「当てはまるもの」は強烈な批判の対象になる。

だけど、たぶんそれらの言葉が生まれるまでは、さほど批判の対象でなかったと思うのだ。

それらは「当てはまるから」という理由で、阻害され、踏まれ、撃沈される。

余談だが心理学に「リマレンス」という言葉がある。

もっとみる

恥じらいの話

歌詞を書くようになって、ステージに立つようになって、もう何年も経つ。

当たり前だけど慣れてきている。
最初は恥ずかしかったが、それに対しての恥を感じなくなっている。

慣れと共に失ったのが「恥じらい」だ。

始めた当初は僕にも「出すぎた真似をしてすみません」という感情があった。自作の詞を歌うおこがましさに対しても「恥じらい」を伴った。

だからこそ余計に興奮した。

やっちゃいけないことほど楽し

もっとみる

手遅れになった本当に好きなものの話

人間をそれなりに長くやっていると「本当に好きなこと」について、一生懸命考えるタイミングがある。

ターニングポイントになるし、数少ない重要な時間だ。

大事なこと、大事にしたいこと、本当にしたいこと。

年末年明けから、日がな一日中考えた。これまた「解散」の恩恵だと思っている。

「大好き」について考えると、そこそこ儚い。

目を逸らさずに「本当に好きなもの」を見ると、手遅れになった片思いのような

もっとみる