「失くなってしまうこと」を受け入れる話
僕は「失くなってしまうこと」をよくよく歌っているし、書いてきている。
そしてそれらを嫌悪するもの、恐怖の対象といった見方ではなく、受け入れていきたいと思っている。
「いずれは失くなる」というのはこの世で唯一の真理だ。だからこそイマは尊いし、愛しい。
でも、自分にとっての「失くなること」を過剰に大きく捉える必要もない。
失恋や失業。
そのたびに自分を否定する必要もないし、無理に肯定する必要もない。
それらを受け入れるだけだ。自己受容の先に新しい挑戦がある。自己肯定も否定でも苦しい時ときは「受容すること」で突破できる。
そもそも世界から見たらあなたの「失くなる」はそんなに大げさな話でもない。
正直他人にとって、自分の喪失なんてわりとどうでもいい話だ。
たとえば航空会社のJALは一度倒産した。
だがそうなったことを覚えているひとがどれだけいるだろうか。
もちろん質問すれば「そういやそうやったわい」と答えるだろうけど、普段はすっかり忘れている。
ひとの喪失や失敗なんてそんなものだ。
QOOLANDの解散だってそうだ。4,5日も経てばみんな忘れる。「そういえばそうやったわい」になる。
そして僕たちがそれぞれ作っていくものを聴いてもらえたときに「そういえばこいつQOOLANDやった」と思い出す回数も減っていくはずだ。
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