見出し画像

いつも同じことを考えること

宇野さんが『 遅いインターネット』を出版した。僕は半年前くらいから彼について知っている。サロンにも入ったし、ニコニコでの放送も聞いていた。宇野常寛さんはアニメ等のポップカルチャーや、政治、そしてSNS含む世論など様々な視点から世の中を見る術を持っている。それぞれに造詣が深いと視点を移動出来るので、偏ることから身を守れる。常に本質を見ていて、その本質を、様々な角度から、何度も見て確認している。そのため確固たる立場がある中で、常に知識を広げ更新している。名前に示された通りの人だ。

まあその人をSNSで見かけ、ふと思ったのが、アウトプットについてだ。

僕はいつからか本を読むのが大好きになった。そんな中で、アウトプットが大切だ、という言は当然よく聞く。

しかし僕は学んだことについてあまりアウトプットしていない。アウトプットすれば身につく、というのはよく分かる。

読んだことについて話そうとしても、さほど話せないものだ。だが知っていることについてはよく話せる。話せるトピックっていうものは、嗜好的に多く話していることである。

人によってアウトプットしやすいテーマはいくつも無いだろう。しかしそのテーマを増やすことで自分が豊かになるってことが、何かを身につけることの本質だと思う。だからこそアウトプットして身につけることで、そのうちの1つでも自分の好きなトピックを増やせればいいんだ。

言ったり書いたりすることで、内容を見て推敲し、それを更新して取り込む。それを繰り返すことで自分のひとつの視点を育てられる。その視点が増えればいいが、別にいつまでも好きになれない視点があってもいい。だから、アウトプットして磨いている過程で淘汰される視点もある。

僕はインプットの時点でその視点を淘汰している節がある。この場合、アウトプットによる淘汰より1回りも2回りも実りは遅い実感がある。そして、学びが外に影響を持つのも遅れる。何より、学んでいるのか学んでいないのかすら分からない。自分内部だけだと、視点の醸成が明らかに遅いと思う。

早く成果を出さなければいけない状況があるならば、アウトプットで磨いていけばいい。となると、アウトプットは仕事に必要な能力であることは間違いない。なるほど、だからビジネス書に沢山書かれているわけだ。

僕は遅い醸成も悪くないと思う。言ってしまえば、何に役に立つかなど考えず興味を辿っていけば、いずれ自然と自分が欲しかった視点が醸し出されると思っている。僕は色んな種を育てている。そして気が向いた種に対して気ままに養分を与えている。気ままなので、養分は効率的に成長には効いてこない。そうなると育つ芽と育たない芽が自然に別れていく。そんなんでいいだろう。

最短で世に価値を出さなければならないのなら、その最短ルートを歩み、直ぐに出せる価値を創出すればいい。ただ、ぼくはそこで競り合えない。できる人がやればいい。

僕が自由に生きているだけでは、死ぬまでにどこかに価値を作れるかは分からない。だけど、価値を作れなかったならそれまでだ。それならそれでいい。そもそもあまり価値はないんだ。そんなスタンスだがら、僕はこれから社会で少しの義務を行い、興味を大切に、ただ、沢山の種を自分の庭で育ててみる。

こんな心境になっているのは、多分環境が優しいからだ。一般的に、社会に出ればこんな悠長なことを言っていられなくなるだろう。だから、僕はこの優しい環境の中で考えた。自分のスタンスに寛容な場に行こうと思った。僕はまずライフスタイルを考え、働きたい場を選んだ。これからその会社に僕を評価してもらい、マッチすれば採用していただきたい。おっと、また就職の話になった、、やめよう。

そう、僕は色んなことについて興味はあるが、現在育っている芽は少ない。しかし僕は自分という庭を素敵なものにしたい。それをやってみる環境に行くのがやはり僕の中で1番大切だ。

僕は本で色んな情報を得ながら、自分の立場と照らし合わせ、取り込めることは取り込み、取り込みがたい部分は理解しキープしている。そのイメージは、自分の庭と、別荘の庭にそれぞれ蓄えている感じだ。そこで気ままに芽を育てている。

好きな本は歴史・思想・心理学で、時に小説も読む。個人的経験より、それを統括した研究に基づいているものをよく選ぶ。そんなものを読み、抽象的な事実としての情報を好んでいる。それを知ってどうなる事でもないが、目的があるとすれば、これから出会うものに興味が出る程度に知識を得ることだろう。僕が1番大切にしていることは、面白いことに出会い続けることだ。面白くなくなってしまうと困るから、次の面白さにたどり着くための本を選んでいる。

やはり今日も書いてて思ったが、僕は具体的なことを全然言わない。具体的なものを取り込んでそこから抽象的なことを言うだけだ。だがしかし、これは全部自分が理解するために書いてるから当然だ。

いったい何度このように自分の嗜好性を書き連ねていくのだろう。毎度違うきっかけから、興味の向くままに書き始め、いつも似たような話になる。僕は目的もなく書き始めるので、必ずと言っていいほど自分の欲求の話に行き着く。

このように無目的に自分がアウトプットしてしまう事が、自分が考えたいことなんだろう。ある意味で、ぼくの宇野さんへの理解が正しければ、僕も似たような状況なのかもしれない。宇野さんは常に世の中についての考察をしている。それに用いる視点は様々だが。

僕は色んなことに興味を持ち、それを通して結局自分について考えている。案外、外に興味が向いているようで実は自分のことばかり見ているようだ。

今日描き始めたきっかけは、宇野さんを見て、「どうしていつも同じことを言い続けられるんだろう。」と思ったことだ。これは多分、何かをきっかけに話し始めたら、結局偶然同じような結論にたどり着いているんだ、と思った今日だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?