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走る、歩く、夢を見る、

僕にとって爆風スランプの『Runner』は長い間、名曲ではなく忌まわしい曲としてあり続けた。

それというのも、通っていた小学校で持久走の半月ほど前からこの曲が使用されていたからだ。

どういうことかというと、持久走週間というものがあり、持久走までの数週間、毎日お昼休みにひたすら15分、グラウンドを走り回るのだ。その時、BGMとして『Runner』が流れていた。

それも、いきなりサビからだった。「走るー、走るー!」と聞こえた刹那、僕らはドッグレースのようにグラウンドをひたすらグルグル回って走るのである。

今にして思えば、自分の意志で走っている子も多かったはずだ。でも僕はメダルを狙う子でも、真っ直ぐで真面目な子でも、走ることが好きな子でもなかった。大半のありふれた、苦痛を感じて走る子供だった。

一応サッカー少年団でスポーツを楽しんではいた。サッカーはよく走るので、こんなことよくあるにも関わらず、怠惰のせいかやる気が一向に起きなかった。

「ボールは友達」とはよく言ったものだ。白黒のまだらで球体状の親友がそばにいてくれないと、僕はまるでバイキンマンに水をかけられた某和風・菓子パン男になってしまうのである。

そのシーズンになると、すごろくのような用紙が配られる。3周ごとに1マスとかそんな感じで、塗っていくと「筑波山」「富士山」「エベレスト」とかめちゃくちゃな地理感覚で書いてある(この辺がうろ覚え)。

「走るー走るー、俺〜たち」と聴くたびに「そんな歌わなくても、もう走ってるよ」と達者なクラスメートが呟き、サビの最後に来るとまたそいつが「誰に何を打ち明けるんだよ、いい加減打ち明けろよ」などと言い皆でそこそこ走った。

そのくせ皆、実際に周った距離の4、5倍走ったことにして塗りたくるので、どう考えてもおかしいのに「エベレスト」にたどり着いた(ことになっていた)。

僕は変なところで真面目だったので、正直に「富士山」どまりの紙を堂々と提出していた。卑下するわけじゃないけれど、開き直った正直者ほど扱いづらいものはない。

そんな過去も遠ざかり、サンプラザ中野くんの歌声を聴いてから20年弱の時が経った。僕はアラサーになった。というか、30を過ぎた。

その間に得たものと失ったものはそれぞれたくさんある。

失っていたものは「夢を見ること」、正確に言えば夢を見ていることを隠さないことだ。

ずっと作家になりたかった。でも、中途半端だった。

20代をダラダラと、くだらないことで悩みながら過ごして友達に慰められ、カラオケに行ったりするうちに時は過ぎた。一時期持病持ちだったこともあり、ずっとフリーターの図書館司書だった。

そして「作家になりたい」という夢に眉をひそめられる機会が増えた。

ここでいう「作家」とは、短歌、作詞、小説、エッセイ、ラジオドラマの脚本、漫画原作、コントから漫才の台本まで様々だ。

「作家になりたいんだ。格好いいもんね、作家先生なんて」

そんなことを言われた時もあったような気がする。でも、違う。そうじゃない。もどかしくて、いつも上手に説明できなかったけれど、作家になりたい理由があるわけじゃない。

頭の中を通り過ぎる言葉たちを堰き止めて、透明な器で掬って光に翳すと言葉たちがキラキラ輝く。

そんな遊びを繰り返しているうちにその名前は「夢」であり、それを行う人は「作家」だと知った。

偽悪的に「食べていくため」と書いたことはあるものの、僕の原点は言葉を掬う遊びから来ている。

特定の職業というより、やりたいことがジャンルを超えて無数にある。いつもスマホのメモ帳には、形にしたい作品があり、短歌に関してはそれなりの評価も得ていた。

ただ、無数のアイディアを仕事にするためには、ある程度長い文章をモノにする必要があった。

長く大きな作品を創るには、それ相応の器をこしらえ、激流を堰き止めるように言葉を受け止める必要がある。早い話、エネルギーと根気がいるのだ。

陸上だけでなく言葉にもせっかちで堪え性が無かった僕は、メモ帳にある芽吹きの殆どを、いつまでも芽のままにしていた。

そんな覚悟の無さを見抜かれたのだろう。大学生の頃から「堅実な仕事につくのが一番」、「いつまで夢みたいなこと言ってるの」と言った声が増えた。

そして、いつしかその言葉に応える自分がいた。

「正規で就職するのが何よりですね」
「書くことでなんて食べていけないんだから」

そう話せば「大人たち」は満足げに頷き、僕を受け入れてくれる。そのうち聞かれてもいないのに、

「書くことは仕事にしません、趣味ですから」

と呪文のように呟いて、必要以上に世間を意識している僕がいた。文筆アマチュア宣言は僕を守るためのおまじないだった。

大学卒業を前後して、短歌を本格的に始めたのも大きかった。
詩や短歌は商業的には成り立ちにくいので、殆ど皆が別の仕事をしっかりして、お金を貰うのではなくお金を払い短歌を作る。

そんなしっかりと社会に適応している人たちを見ていると、自分が夢追い人だとますます言い出せずに、また歳を重ねた。

それでも諦めきれず、原稿用紙数枚のコンテストに小説を書いては出し、落選していた。いつしか、20代が過ぎ去っても、小説の入選歴は超ショートショート一回のみだった。

気づけば30歳の年、12月だった。

そして、昔メモ書き程度に第一稿を書いた小説を頭から書き直した。これで終わりにしよう。

小学5年生、11歳の頃に書いたSF風の作文。これをいつか恋愛要素を絡めラブコメ小説にしよう。10代半ばの頃にそう思っていたのだ。

書こう、書こうと決めて15年近く作文のまま、大学院生になってようやく骨格だけ書いた小説。

その小説を食らいつくように書き直した。ああ、今俺、走ってる。そう思いながら、肩凝りに、ぼんやりとする意識に、胃もたれに耐えながらなんとか形になった小説を「コバルト短編小説新人賞」に応募した。

そして、こう思っていた。夢なんて見るもんじゃない、こんなに頑張ったのにこの程度の小説しか書けなかったじゃん。ひたすら仕事して、時間が空いたら短歌を時々作ろう、それが良い。贅沢過ぎるくらいだ。

走り疲れて書いた小説に自信がなかった僕は、ひたすら頭の中をグルグルと回るように諦める理由を追いかけ、ようやく捕まえた。

そして、年が明けてから4月のこと。小説、エッセイ、作詞、シナリオ……頭の中にあるアイディアが宛先もないままスマホのメモ帳に溜まっていく日々。

短歌やnoteは書いていたけれど、いろいろなことに挑戦する自分の才能に見切りをつける準備は満点だった。

少しの未練を残して本格的に諦めかけていた僕は、そう言えばと思い「第223回コバルト短編小説新人賞」の結果発表を調べた。

まったく期待していなかったホームページに、僕の名前と自作のタイトルがあった。

どうやら、「もう一歩」という上位12〜16%の中に入ったらしい。

コバルト文庫が好きな短歌の若手仲間からも反響があり、noteでも告知したらコメントで祝福して貰えた。

結果発表のだいぶ後に見たけれど、ここに掲載されることはなかなかのことらしい。

やれば出来るじゃん。そう思った僕は、YouTubeで音楽を流しながら、再び書きたい小説、エッセイ、文章術などを再開した。宛名のなかったメモたちが、再び歩き出した。

そして先月『Runner』に再会した。

『乃木坂スター誕生』という4期生中心の歌番組の切り抜きがYouTubeにアップされていた。

懐かしいなぁ、と思いながらサムネに映る推しメン・カッキーこと賀喜遥香をクリックした。

瞳の中風を宿した悲しいほど誠実な
君に何をいえばよかったのだろう

かげりのない少年の
季節はすぎさってく
風はいつも強く吹いている

走る走る俺たち
流れる汗もそのままに
いつかたどり着いたら
君にうちあけられるだろ

爆風スランプ『Runner』

美しいアイドルたちからサンプラザ中野くんがリレーで歌うその詩に、心打たれた。

こんなに切なくて、でもその迷いを振り切るような歌詞だったのか。ひたすらグラウンドを走っていたあの頃には気づかなかった。

正直、痩せこけたサンプラザ中野くんがあらゆる番組で『Runner』で歌うのを見るたび、「昔のヒット曲をそんなに何度も歌ってまで芸能界にしがみつきたいかね」と冷ややかな視線を送っていた。

中途半端に夢を追っていて目標にさえ変えられなかった自分自身が、一生懸命に歌う中野くんを嘲笑していたのだ。

でも、改めて聴くと心に響く。

その後、この歌詞は商業的な「売れる曲」を求められることに葛藤を抱えた末にバンドを辞めたメンバーに、サンプラザ中野くんが餞別として書いた内容だと知る。

爆風スランプのメンバーは、袂を分かった仲間を思い、同時に感傷を振り払いながら商業主義のど真ん中を走り続けている。そう思うとグッとくるものがある。

でも、経緯なんて関係ない。改めて、曲が、歌詞が、すべてひっくるめたパフォーマンスが胸を打つのならその歌は素晴らしい。

そんな作品を、僕は言葉で紡ぎたい。例えそこに、過酷なスケジュールや匿名の批判があったとしても。

やりたいことがあるなら、全部挑戦すればいい。生活のことを言われるなら、これまで以上にしっかり働いて稼げばいい。

スタートラインに立つことを邪魔していたのは、他の誰でもない僕自身だった。

僕は、より図書館司書に専念できる職場を探し、仮採用ながら新しい職場で働いている。

その方が、結果的に書くことにも集中できると思ったからだ。それに、社会で責任を負ったことのない人間が誰かの心を打てるだろうか?と考えるようにもなった。

僕は自分の夢に、目標に、やりたいことに句点はつけたくない。思い描いた未来に「。」をつけて、終わらせることは簡単だ。でも、粘って粘って粘り続ける。

もう走れないと思ったら読点「、」をつけて、その都度少し立ち止まる。そうしてまた少しずつ歩き出して、いつしか走るんだ。

その後、思い出した。

大人になってから惰性で飲むビールより、子どもの頃に一生懸命リフティングをして、100回終えた後に家の庭に寝転んでから飲むお茶の方が数十倍も美味しかったことを。

休み時間に隙あらばサッカーをして、次の授業前に慌てて飲んだ水道水を超える味は無いかもしれない。

たくさん走って、美味しい水を飲もう。走り疲れたら、時々歩いて、立ち止まって、また走り出す。

今月から新しい職場が始まった。本格的な司書の仕事に充実感を感じながら、今も文章を書き続けている。

先月、再びコバルト短編小説新人賞に応募した。小説を書きながら、公式MVの『Runner』を流していた。

忌まわしかったあの曲は、今では僕の応援歌だ。

そして、この記事を初めて書いた夏から、今は年の瀬。僕は仮採用から正式採用となり、準社員という契約でフルタイムの司書として働き続けている。

やはり、責任ある勤務形態になればなるほど気付く、職場や会社の倫理というものがある。まだ解っていない職場の機微がザクザクお宝のように隠されているのだろう。

そして、大切な人と生きること、自分を生きることが書くことより何よりもかけがえがないという真実にも気付いた。

その上で伝えたいことが今も湧き出て、イメージを形にしたくて、読んでもらい誰かと同じ絵を描きたい自分がいる。

だから、疲れた身体と相談しながらも短歌、小説、エッセイなどを書いている。

人生も夢も応援歌も、鳴り止むことをもう暫くは知りそうにない。そのことが嬉しくて、正直ホッとしている。

まだまだ、僕の夢に「。」がつくことはないだろう。

P.S
職場に再確認したところ準社員「候補」でした!笑。そこも含めて頑張ります!

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