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#5 「譲れないから誇りなのさ」

第3回テーマは、私のバイブルに登場する台詞について。一話完結。
私のバイブルは、まさに、#人生を変えた一冊。
その名も・・・

『家庭教師ヒットマンREBORN』【34巻】 (天野明/集英社)

そうです。私のバイブルは、この漫画なんです。
どうか、「漫画かよ」とページを閉じないでください!なぜこの漫画が私のバイブルとなり得ているかには、ちゃんとした理由があるのです。

※思い出話から始めたら内容が本題と離れてしまったので、この漫画に出会った経緯は最後に書いています。時間がある方はぜひ、目次の「思い出話」を先に読んでみてください~。

・・・


どーん。

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今回話したいことをイラストにまとめてみました。
最後のまとめにも載せてあるので、読んだ後にはこのイラストの意味が分かるようになってもらえたらなと思ってます。では、始まります。


さて、バイブルとの出会いの経緯を飛ばしたため、さっそく本題に入る。
この漫画内の一匹狼キャラ「雲雀恭弥」の台詞が、私が全漫画の中で最も感銘を受け、最も強く影響されている台詞である。
今記事のタイトルにもさせて頂いたが、ズバリその言葉とは・・・

「譲れないから 誇りなのさ」



である。今見てもやはり色褪せない、深い深い言葉である。

簡単ではあるが文脈は次の通り。

①主人公ツナ(中学生)はひょんなことからマフィアのファミリー(グループ)のボスを後継することになった。
②雲雀恭弥はそのファミリーの一員。普段は、学校の「風紀」を乱されることを最も嫌う風紀委員長。群れを好まない。
③別のファミリーと、「誇り」をかけて戦いをすることに。
④主人公ツナはある精神的なダメージから、自分の「誇り」を見つけられずにいる。完全に憔悴しきった状態。

こんな文脈の中で、雲雀恭弥の戦いの順が回ってくる。彼は群れを嫌い、いつもは素っ気ない態度なのだが、今回は、「今の君の顔 つまらないな」「見てて 僕の戦い」と、主人公ツナに何かを教えてくれるよう。

戦いの最中、彼は言う。

“風紀”の2文字は何があっても譲らないよ
でも誇りだから譲らないんじゃない
譲れないから誇りなのさ

そこでツナはハッと気づく。「譲れないもの・・・」と、大事なものに気付き始めるのだ。そして私も、ツナと同じ反応であった。正確には、ふとした度にこのページに立ち返り、何度も気付かされていることがある。


多くの人は、その人なりの信念や信条をもって生きているだろう。こだわりや譲れないものは、誰にでもあるはずだ。

しかし、それは果たして本当の意味での信条なのだろうか。
もっといえば、信条を先に決めてはいないだろうか。

例を挙げよう。
信条とは、分かりやすいもので言えば「座右の銘」である。初めて「考えさせられる」のは小中学校の授業や受験の面接練習だろうか。大人になっても機会はある。自己啓発本はごまんとあり、このnoteも読み手によってはそんな位置づけかもしれないからだ。つまり座右の銘という信条は、年代問わず誰もが持ち得るものなのである。

しかし、ここで私が「考えさせられる」という表現をしたことに意味がある。要は、意識して信条を考えているのではないか、「これを信じて生きたい」と思えた信条を先に定めてしまっているのではないか。ひいては、それを元に行動を選択していないか、それに自分の行動を制約されていないか、ということである。

もしそうであれば、「逆だよ!」と大きな声で指摘したい。
なぜなら、私自身、そのような先に定めた信条に囚われ、自分に適した行動がとれていなかった経験があるからだ。あとの記事で書こうと思うためここでは簡単な紹介にとどめるが、「何事にも全力で取り組み、最後までやりきる」という信条の元で頑張っていたらパンクし、行動の回顧と再考の結果、「何事も“楽しんで”取り組み、最後までやりきる」という信条に変わったという経験である。実体験に則して、自分に最適な信条にたどり着いたのだ。

これこそが、私が言いたいことだ。
信条とは、頭の中で作り出すものではない。
生きていく上で積み重ねられていく様々な経験をもとに自然と形成されるものなのである。

具体的に言えば、ある時点の自分の心情・考えと、とった行動、そしてその結果の是非からのフィードバックを繰り返すことで、次の自分がとる行動が変わっていき、次第にそれが自分特有の行動方針(=信条)になるということだ。そしてフィードバックなどと書いたが、大抵は「前これでダメだったから変えよっと」くらいの自然な感じで行われるものである。

つまり、何度も言うが、
(心情→行動→結果→フィードバック→心情→・・・)×n回 ➡ 心情→「信条」
という過程が、自然に行われるのだ。

なお、このような過程で形成された「信条」は、まだ変わる余地がある。

本来の意味での「信条」が出来上がってからは、ある程度はそれに従う必要があり、従うことに価値がある。実体験から今の自分に最適だと導かれた方針は積極的に活用すべきであり、もしこれが全く意味をなさなければ、「ブレている」ことになる。

しかしそれにこだわりすぎると、またその信条はただ自分の行動を縛るだけの「心情」に成り下がってしまうのだ。これは、環境の変化などによる学びがなければ、次第にそれが最適ではなくなってしまうからである。

従って、「信条」とは、本当に最適な時にはそれに従うべきであるが、環境変化等によって常に変化し得る、「継続的に成長させるべき考え」なのだ。


いよいよ総括である。
ここまで、雲雀恭弥のたった一つの台詞に学んだ私の「信条観」について語ってきた。以下のようにまとめて締めくくりたい。

「信条」とは
・経験を通じた無意識なフィードバックによって自然に形成される考え
・よって暫定的に最適であるため、従うことに大いに価値がある考え
・しかし環境の変化に伴って継続的に更新し、成長させるべき考え

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ここまで読んで頂き、ありがとうございました。「順序が逆!」というのは物事を批判的にみる手法のひとつですが、いかがだったでしょうか。上のイラストの意味を、読み終えた今は理解できるでしょうか。

それにしても、「誇りだから譲らないんじゃない 譲れないから誇りなのさ」なんて、ジャンプ漫画にさらっと出てきていい言葉なのかと思ってしまうほど深~い言葉でしたね。天野明先生はすごい。他にもたくさん、人生において活かせる言葉があらゆる場面で登場します。今後も時々つまんで紹介したいなーと思います。

皆さんにも、「信条」はありますか?
今回の記事で、自分自身の信条を見直してくれた人もいるでしょうか。
ぜひぜひ今の自分の信条をコメントしていってください!あとで見返して成長を実感できる場になるかも?(笑)

このお話が、皆さんが本当に自分に合った信条を発見するきっかけになれば嬉しいです。🐙
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【思い出話】




時は小学校時代にまで遡る。
私には、父方に年上の従兄弟がいる。何歳離れていたか、5歳くらいだろうか。当時の私にとってはかなり年上で、ずっと先を生きている大人のような印象であった。

父の実家は家から車で2時間半の離れたところにあり、年に一度、泊りがけで遊びに行くというのが恒例であった。しかし、毎回大人たちは大人同士の話で盛り上がっているため、子どもは好きに遊べ、という感じであった(と記憶している)。そこで、暇を持て余していた幼い私を部屋に招き、かまってくれた優しい「大人」が、年上の従兄弟であったのだ。

そしてこの人こそ、私をバイブルに導いてくれた張本人である。

部屋に行くと、本棚にたくさん漫画が並んでいた。自由に読んでいいよと言われ、手に取った。それ以前に漫画を読んだ記憶がないから、恐らく人生初の単行本だったと思う。

その漫画の名前は『うわさの翠くん‼』(池山田剛/小学館)。学園もので恋愛系だが、ちょっとエッチな描写が(多々)ある漫画だ。今思えば年下の小学生に何を読ませたんだと思ってしまうが、それはまだ早いとかなんとか言ってた気もする。しかしその細部はどうであれ、あの瞬間、私は漫画と出会ったのである。

もう夢中に読み続けた。
描写もその誘因のひとつなのは間違いないが(笑)、とにかく面白いなと思った記憶がある。しかし如何せん初めてなもので、読むのが遅く、帰る時までに全巻読み切ることはできなかった。

そして、その訪問であったか次の訪問であったか定かではないが、その部屋で、「家庭教師ヒットマンREBORN」に出会うのである。もはや運命であった。

こちらはジャンプに掲載されていたバトル系の内容であったから、家に帰ってからも親にねだることができた。ゲオで借りてきてもらい、熱中した。どうやら私はバトル・アクション系に強い興味があったようだ。今でも次の巻が借りられていたときのショックを覚えているほどの熱の入れようだった。

しかし、読んでいくうちに、私の関心は次第にキャラの心情・信条に向くようになった。今であれば「推し」をビジュアル、性格、信条で選ぶのは当たり前だが、当時の私の中で、「技がかっこいいから」→「この考え・スタンスがかっこいいから」と自然と変わっていったのだ。幼い私の「推し」は、主人公のツナから次第に、自由奔放で群れを嫌う「雲雀恭弥」へと移った。

(・・・本文につづく・・・)(ここも読んでくれてありがとう!)

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