見出し画像

蟹との対話

料理は得意だけれど、最近は食への興味が薄れてきたのであまり作らない。たまに無性にラーメンが食べたくなる以外は、ご飯と梅干やらキムチといった「おとも」があれば生きていける。そんなわたしが急に思い立って蟹のトマトクリームパスタを作ることにした。

本記事は蟹を通じた哲学というか、料理エッセイ。

冷凍庫で眠るボイル花咲蟹

子どものころからお菓子づくりが趣味だったわたしは、最近食べることは減っているのだが、手軽にクリエイティブを発揮できる手段として今も作っている。そんな中、ちょうど先月のロールケーキで余った中途半端な生クリームが残っていて、賞味期限が迫っていることがずっと気がかりだった。

そして、クレカのポイントでゲットしたボイル蟹が冷凍庫で眠っていた。母が好きだろうと思って取り寄せたのだが、さほどうれしそうでもなく当てが外れた。そもそも、うちの家族はめったに蟹を食べない。おいしいけれど、食べるのがめんどくさいからだ。「大人は蟹が好きなはず」と勝手に決めてかかっていたが、そういえばわたしも食べにくいのであまり好きではなかった。それでもせっかくの機会だからと先日かにすきをしたところ、味は確かに良いけれど食べるだけで疲れた。母は殻を噛んで歯が欠けたらしく、軽いトラウマにすらなっていた。

そういう訳で、積極的に食べたがらない家族の元へとやってきた冷凍ボイル蟹が数杯、どう使うべきか目的が定まらないまま時を過ごしていた。

偶然か必然か。条件がそろう

この日は時間が有り余っていた。そして偶然、知り合いにもらったパスタのレシピ本があった。古い付き合いながら20年以上会っていなかった知り合いで、久々に会ったときになぜレシピ本をくれたのかは少し謎であり、パラパラめくることはあれど一度も参考にしたことはなかった。断捨離を趣味としているわたしが早々に手放さなかったというのも奇跡に近かった。それが、久々に本を手に取り何の気なしに開いたページに、カニのトマトクリームパスタのレシピがあり、これまた偶然なことに、全ての材料が家にあった。

レシピを見ると、玉ねぎとにんにくがあるのは普通として、蟹はカニ缶とあったのだが、カニ缶はないけど蟹がある。生クリームにトマト缶、ついでに粉チーズはなかったがエダムチーズがあった。無駄に贅沢な材料がそろっている。

ここで純粋にカニのトマトクリームパスタとやらが食べたいと思い、「ここで蟹を使わずしていつ使う」との考えがよぎった。よし、やるか。

命をいただくということ

ここから蟹との対話が始まった。

プチプチに包まれて大きな輪ゴムで足を縛られた花咲蟹を冷凍庫から取り出す。先日、かにすきをした際に解凍方法を調べてみると、食べる直前に流水で解凍するのが良いと書かれていたのでそれに従うことにした。

薄く霜がついた蟹は小さく縮こまり、輪ゴムを掛けられてすぐにボイルされたのかと思うと少し切なくなった。そして「食べにくい」などと言ったことを反省した。生命をいただいているというのに何たる傲慢。スーパーに並べられた肉や魚の運命は知っているつもりだったけれど、リアルなのを想像するとやはり怖い。哺乳類でも鳥類でもない蟹にこれだけのことを感じるのだから、やはり食事は感謝して食べなければいけない、と改めて思う。

輪ゴムを外そうとすると凍りついて取れないので、そのままボウルに入れて水道水を細く出す。間もなく輪ゴムは取れた。

全ての作業を行うことこそ供養になる

蟹の解体をはじめる。

情けない話だが、蟹の足をもぐことすら恐ろしい。子どもの頃の方がまだ蟹を食べる機会が多く、当時はそれほど抵抗はなかったはずなのだが、いまのわたしは「足をもぐなんて残酷…」など思ってしまう。大まかな解体を母に頼もうかとも思ったが、それはダメだろうと思いなおす。料理をして食べるわたしが目を背けずに残酷な作業すべてを行ってこそ、蟹への供養になるはず。余計な感情に振り回されないように、目の前のことに集中しようと思った。

ボキリと足を取り、キッチンバサミを入れて殻をはぎ、身をとりだしていく。花咲蟹は全身にあるトゲが特徴で、その色もまた濃い朱が美しい。おそらくだが、この鮮やかな朱はボイルされることによって変化するのだろう。生きている間、自分がこんなにも美しい色をしているなんて知る由もないはず。しかもボイルされないと分からない。それを言うならば北寄貝もあの美しいピンクは火を通すからこそ。そう考えるとこういった海の幸は人に茹でられて食べられることが運命だったのかな、なんてことも思うが、それはやっぱり傲慢なのだろうか。

こんな造形と色をした生き物がいるのが不思議で、自然が生み出した芸術品に改めて感動した。

蟹生に思いをはせる

体中にあるトゲが指にささるわ、切った殻の縁も刺さるわで痛い思いをしながら、取れる身はほんのわずかだった。1本1本脚をもぐのは何度やっても慣れない。もぐときに触る蟹の腹は柔らかく、関節も緩やかに動く。いままで食品としか認識していなかったものが、生き物だったことに今さらながらきづく。殻の外側にはたまに小さな藻のようなものや、カイガラムシのような白い汚れみたいなのもついていた。正直気持ち悪い。業者さんもとってくれたらいいのに、なんてことを思ってしまったが、よく考えてみれば一杯ずつ殻を磨くわけにもいかないだろう。オホーツク海か日本海かの海で何カ月か何年かかけて育ち、大きくなったところで引き揚げられて茹でられた蟹なのだ。蟹にも短い歴史、人生ならぬ蟹生があるに違いなかった。

ここで最近見たツイートを思い出す。とあるインフルエンサーが、「甲殻類がおいしいなら、ダンゴムシもおいしいのかな」といっていた。「げっ」と気味悪く思ったのだが、もしかしたらそうかもしれない、と納得している自分もいた。でもいまだけは思い出したくなかった。だって蟹って蜘蛛に似てるんだもの。気を抜くと触っている蟹が蜘蛛に見えてくるので想像をかき消す。ぷろ○ごめ…

蟹はどこで思考するのか?

あし8本を無事に取り、あとは本体だけ。たしか甲羅と腹でガバっと手で取れるはずだけれど、ほんとに取れるのかな? と上下左右から眺めてみる。正面から見ると顔周りに触覚?がたくさんあって怖い。柔らかいお腹を触るのも怖い。包丁を入れるか?と思ったけれど、不安定で危ないので手でやることにした。顔の方に親指を立てて力を込めると、意外とあっさりと外れた。甲羅に少しの味噌、腹側にも味噌そして身とワタみたいなのがある。ここまでくると料理店で見る蟹の姿なので怖さはなくなった。

きれいに甲羅と腹に別れた蟹を見て、北海道でウニを食べたときのことを思い出した。それまでウニといえば、身になっているものしか見たことがない。もちろん本やテレビでは見たことはあったが、生のウニをさばいて食べるのはその時が初めてだった。

記憶は定かではないけれど、黒いトゲトゲの中は単純構造で、あのいつも見るウニが入っている以外ほとんど何もなかった気がする。ということは、「ご飯食べよう」とか「動こう」とかはあの”ウニ”が考えているのだろうか。本能だとしても、どこにそのシステムがあるのだろうか。「ウニってウニで考えるのかな…」とつぶやくわたしを見て、当時付き合っていたものすごく頭の良い彼は驚いたあとツボっていた。

ちょうどいいイメージ画像があった

目の前の蟹を見て、同じことを考えた。ウニより多少複雑ではあったけれど、エサを獲ったり逃げたり攻撃したりするだけの思考回路みたいなものが、この内臓でできるのかというのが不思議だった。しかも、足は細い筋があるだけで、あの”身”でしょ?関節は柔らかくつながっているだけ。どういう神経伝達してるんだろう。そんなものは学者たちがとっくの昔に解明しているだろうが、たぶんそれを聞いても不思議なものは不思議だ。
動きや思考が限定されている蟹やウニといった生き物たちは、この世界に産まれて、成長して、子孫を残して死ぬだけなら、こんなにもシンプルな構造で十分事足りるということだろうか。そんなことを言うと、もっと小さいプランクトンやさらに小さいバクテリアだとか、いま思い浮かばない小さくて単純な生命体は無限にあるだろう。

そんな話をする前に、もっと身近な魚も単純構造だった。地球は奇跡の星なのか。

おもちゃより自然の創造物でしょ

生き物としては単純である一方、その形状は複雑だ。「複雑」というのは、人間がつくったおもちゃや構造物と比較してのこと。というのも、幼稚園や小学生の甥っ子たちのことが浮かんだのだった。

ロボットやブロックが好きで、一から組み立てたり変形させたりして遊んでいるのを見ているのだが、そんなのより自然の方がおもしろいんだけどな、と思う。そのロボットや構造物自体が自然や生き物を参考にしているのだから当たり前だ。

この色にこのトゲ、この柔らかい関節に腹。ロボットよりすごくない? って言いたい。数か月に1回しか会わないのでそんな話はしないけれど、特に理系的センスのある上の子には、人の作ったものより先に自然の不思議に思いをはせてほしいものだ、など老婆心が働く。

人生最高のパスタ

のんびり作業で格闘すること1時間ほど。こんなにも苦労して取れた身は150グラムにも満たない。缶詰のありがたみ、料理屋で全部きれいに並べられていることのありがたみをひしひしと感じる。

できる限りきれいに身を取ったつもりだが、出汁もとってみたところ、水を入れすぎて薄かったが取れるには取れた。見た目はちょっと濁った黄色で、高級なリンゴジュースのようだった。殻は畑に撒いて肥料にしたらいい、と考えたが、「猫がくるからやめて」と母に言われて断念した。全てをリサイクルすることは叶わなかったが、できる限りの供養になったのかなと思う。

発酵食品にもハマっており、初めて作った塩麹入りのトマトソースもいい感じに仕上がり、塩はぬちまーすとブラックソルトを使ってみた。これがおいしくない訳がないでしょう。

蟹の風味とトマトソースの旨味、生クリームとチーズのコク、全てが合わさって最高のパスタができた。人生で数回だと思うが、外で食べたそれよりも、当たり前だけど高級レトルトよりもおいしかった。

蟹についてこんなに思いを巡らせたのは人生初のことだった。
はるばる我が家にやってきて、このような機会を与えてくれたこと、そして極上パスタとなってくれた蟹に感謝したい。

完成!絶品パスタ

全部書き終えてから、もう蟹は全部食べたよね?とふと思って冷凍庫を確認すると……いた。ラスト一杯花咲蟹。うはっ、さてどうしよう。

この記事が参加している募集

つくってみた

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?