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中国の地方行政の効率が地域で異なる理由を説明したAccountability without Democracy(2007)の紹介

比較政治学の理論では、政治体制が非民主的である場合、その国の指導者はごく少数のエリートさえ統治に協力させておくことで政権を維持できることを意味するので、その指導者は公共の福祉を充実させる政策を軽視すると予想します。なぜなら、政治家の基本的な関心は政権の安定であるため、少数のエリートの忠誠が多数の民衆の支持より重要である制度の下では、経済の成長を抑制し、社会の格差が拡大するとしても、汚職の蔓延を許容する方が自らの利益になるためです。

中国は非民主的な政治体制を採用する国です。つまり、競争的な選挙の結果によらない手続きに基づいて指導者がその体制を支配するので、先に述べた立場からすれば、一般の民衆の支持を軽視し、公共の福祉を妨げるはずだと推測できます。しかし、細かく調べてみると、地方の状況によって事情がさまざまに異なることが分かります。Lily L. Tsai氏の『民主主義なき説明責任(Accountability without Democracy)』(2007)は、このことを明らかにした研究であり、地方政治に影響力を持つ幹部と緊密なネットワークが確立している農村の共同体は公共事業を巧みに誘致し、公共財の確保に成功していると論じています。

Tsai, L. L. (2007). Accountability without Democracy: Solidary Groups and Public Goods Provision in Rural China. Cambridge University Press.

この研究は、権威主義体制において指導者が行政を恣意的に操作し、少数のエリートの利益に最適化した政策が合理的な選択であったとしても、それを防止することが可能であることを実証的に示しています。著者は中国の農村に注目し、彼らが地域の経済活動に必要な道路や水道などのインフラを維持整備するために、どのような仕方で影響を及ぼしているのかを現地調査に基づいて研究しました。

中国の4省をまたがる316の村を独自に調査した結果、著者は中国では地域によって地方公共財が提供されるレベルに大きな落差が生じていることを見出し、それが村の社会制度によって左右されると考えました。第1章で比較政治学における権威主義体制の特徴や、中国の地方行政の特徴を踏まえ、研究の主題を設定し、第2章と第3章では中国の急激な経済成長、分権改革が地方行政に及ぼした影響を検討しています。一般に分権改革を進めれば、現地の情報を直接参照した地方行政が実行できるため、行政活動の効率は向上していくと考えられていますが、第3章では中国において改革の効果は必ずしも効率的な地方行政をもたらしたわけではないと示されています。多くの地域で汚職が深刻な問題となっており、地域経済の振興のための予算が不正に使われることは特異なことだとはいえません。

第4省から第6章において、著者は中国の農村の社会制度の特徴、特に村の連帯集団(solidarity groups)の規模や特性、そして連帯集団が地元の地方公務員の不正を抑制できているかどうかによって、地方行政のパターンが顕著に変化することを明らかにしていきます。地方公務員が汚職で自らの利益を最大化すると、地方公共財のレベルは必然的に低下しますが、著者がこれを防ぐ効果があるとして注目しているのが農村社会の連帯集団として根付いた宗教団体、具体的には寺院と教会です。中国の地方公務員は寺院との関係を持つことはありますが、中国共産党の指導に基づき教会とは距離を置きます。著者の調査によれば、この違いは地方公務員の行動パターンを変えるものであり、寺院を通じて地方公務員が地元の農民と社会的なネットワークを形成しているような場合は、自らの職務に伴う義務に対してより忠実に振舞うようになり、地方公務員として模範的な行動をとり、農村における権威を獲得しようとすると述べられています。

また、中国の農村社会の連帯集団としてもう一つ重要なのが血縁関係です。著者は、農民の血縁関係の広がりが行政区画と一致する程度によっても地方行政のあり方が変わることを見出しています。つまり、血縁関係がある集団が行政区画と一致するほど、その地域における地方公務員は汚職を抑制し、地方公共財の供給に注意を払うようになるのです。ここでも血縁関係が汚職公務員の行動を抑制する効果が見出されています。こうした非公式な社会制度は公式な政治制度よりもはるかに直接的に地方行政を規律するというのが著者の発見であり、それは制度化された仕組みの効果を上回ります。第7章では、中国の村政に限定的な民主的手続きが導入されたことが検討されていますが、著者は連帯集団のメカニズムがあまりにも強力である場合、このような制度改革の効果は失われてしまいます。第8章では中国の官僚制の特徴についても検討していますが、そこでも連帯集団に比べて影響がはるかに劣っていると判断されています。

権威主義体制の下で公務員の汚職が蔓延し、行政の効率が低下しやすいこと自体は以前から知られていますが、地方の状況によって地方公務員の行動パターンを変えることができる場合、その地方における公共財の状態が改善するという発見は独創的なものだといえます。アメリカの政治学者ロバート・パットナムは民主主義の研究において、地域住民が協力関係を維持する上で有用な付き合いの蓄積を社会関係資本と呼んでおり、これが蓄積されている度合いによって地方行政の効率にも影響が出ることを明らかにしていますが、著者の議論もこの系譜に位置づけることができるでしょう。地方行政の議論から離れ、中国社会の特徴を考える上でも興味深い研究だと思います。

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