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権威主義国は公的雇用を通じて民衆を手懐けている『権威主義的中産階級』(2021)の紹介

政治学の文献では古くから中産階級を民主化の担い手、独裁制の抵抗勢力として位置づける議論があり、高所得者でも、低所得者でもない彼らを穏健派の基盤、政治の安定化に欠かせない存在と見なしています。政治学者ブリン・ローゼンフェルドはこの古典的な見方に挑戦しています。

彼女の著書『権威主義的中産階級(The Autocratic Middle Class)』(2021)は、ロシアやベラルーシなどの旧共産圏の国々で多くの中産階級の人々が権威主義体制の支持者として振舞っていることを指摘し、その理由をミクロな視点で説明しています。それによると、中産階級の政治態度は必ずしも一様に民主化を求めるとは限らず、家計収入を公的部門に依存する個人については、体制の忠実な支持者となっていくとされています。

Rosenfeld, Bryn. (2021). The Autocratic Middle Class: How State Dependency Reduces the Demand for Democracy, Princeton University Press.

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どのような政治家であっても、自分一人だけでは政権を維持することは不可能です。彼らは政権を安定させ、退陣の危険を遠ざけるために、ある程度の大きさの支持基盤を確保する必要があり、これは権威主義体制であっても、民主主義体制であっても本質的に変わることがありません。

支持者を獲得し、組織化するために必要とされるのは相応の見返りをであり、どのような属性を持つ人々に対し、どのような方法で利益誘導を実施するかが政治の根本問題であるといえます。ただ、権威主義体制では政権の維持に必要な支持者の数を厳しく限定することができるので、利益誘導でも特定の集団にのみ利益をもたらす賄賂、汚職のような手法の有効性が高まります。

政治学では、経済発展が進み、国民所得が伸びるにつれて、政治家が支持者を手懐けるために支出すべき費用が上昇していくので、次第に体制を維持できなくなり、民主化に至ると考えています。もし一定の資産を有する中産階級が増加すれば、それだけ利益誘導に反応しない有権者が増えると想定されるので、独裁的な政治家であっても、民衆を動員し続け、政権を長期にわたって独占することが難しくなるのです。

つまり、中産階級が増加することは、政治体制を権威主義から民主主義へと移行させる大きな原動力になると考えられるのですが、著者が疑問の目を向けているのは、まさにこのような考え方です。著者の見解では、中産階級の家計収入が公共部門に依存している場合、彼らは民主化を望もうとはしません。むしろ、既存の体制を積極的に支持し、政権の呼びかけに応じて動員に参加するようになります。

著者は中産階級の指標として、高い学歴を有すること、ホワイトカラー労働者であることを重視していますが、旧ソ連の権威主義諸国、例えばロシア、ベラルーシ、カザフスタンなどでは、国営企業のような公的部門において雇用される場合が多いことをデータで示しています。これらの国々における国営企業の事業内容はさまざまですが、金融、運輸、武器、資源採掘、医療などでは市場を独占しており、例えばロシアでは私立の病院は全体の6.5%に相当する357件にすぎず、ベラルーシに至っては1件も存在しません(42)。

このような国では、民間部門より公的部門の方が給与、勤務時間、有給休暇、交通費、医療保険、住宅手当、融資の面で有利になっており、中産階級は豊かな生活を求めて公的部門に就職しようと努めます(Ibid.)。ある調査では、ロシアの公的部門で働く労働者のうち3人に1人は週の勤務時間が40時間未満ですが、民間部門でこれほど短時間勤務で済ませている労働者は10人に1人であると報告されています(Ibid.)。権威主義国では公的雇用の分配を通じて中産階級を現体制の受益者に組み込み、彼らが民主化の運動に参加することを妨げることが可能です。

1989年以降に中東欧諸国で広がった政治の民主化、経済の自由化を支援するために設立された欧州復興開発銀行という国際機関があるのですが、そこが発表している多国間データを使って分析を行ったところ、旧共産圏の権威主義国において中間階級がそうでない層に比べて民主主義を支持しない傾向を強く示すことが明らかになりました(Ch. 3)。この分析結果は中産階級の定義、あるいは民主主義の支持の指標を切り替えた場合でも一貫しており、共産主義体制の下で教育を受けた世代であるかどうかといった条件でも左右されませんでした。

この著作は単に権威主義体制の安定性を説くだけでなく、それが不安定化する条件についても示唆を与えてくれています。ウクライナは他の多くの中東欧諸国と同じように、巨大な公的部門を有しており、その事業は化学、銀行、金融、鉱業、エネルギー、土木建設など多岐にわたっています。ただ、その事情はロシアとは大きく異なります。ウクライナにおける公務員の役得は限定的であり、その身分は民間企業より安定していますが、賃金や待遇で特段に優位に立っているわけではありません。著者は、ウクライナで公的雇用が弱い理由は、他の旧共産圏の国々のように天然資源に恵まれておらず、国家収入に中産階級を依存させることに財政的な無理があるためであると説明しています。ウクライナの政治では民族的なアイデンティティが政治態度と強く結びついていることも忘れてはなりませんが、本書ではこの点をあまり掘り下げることはできていません。

ウクライナの分析で面白いのは、著者がウクライナの大学生の政治態度を長期にわたり追跡調査した成果です。たとえ在学中に民主主義を支持していた学生であったとしても、労働市場に参加することで彼らの政治態度が変化し始め、公的部門に就職すると民主主義に対する支持を大きく低下させることが報告されています。このグループは、政府の予算に依存しない民間部門に就職した他のグループとは異なり、民主化を求める運動に参加する可能が低くなり、現職の政治家を支持する傾向を強めました。これは有権者の政治態度が家計収入の源泉と深い関係にあること、もし家計収入が何らかの理由で絶たれた場合には、彼らが現体制の支持者であることを止める可能性があることを示唆しています。

本書は、権威主義国がイデオロギーだけで中産階級の忠誠を繋ぎ止めているわけではなく、公的部門の雇用とそれに伴う恩恵を政治的に活用していることを示した挑戦的な研究です。経済構造と政治体制の関係が不可分のものであることを再確認するだけでなく、ロシアの権威主義体制の特性を理解する上でも参考になる研究であると思います。

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