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論文紹介 プーチンの思想はロシアの対外政策にどう影響しているか?

国家が対外政策を形成する過程を説明するために政治学者はさまざまな理論を提案しています。かつては国家間の勢力関係で説明する理論が有力視されていましたが、最近では国内政治の重要性が認識されるようになり、現在では個別の政治家の利害、認知、信念などの影響が大きいことも分かってきています。

今回は、ロシアの対外政策を説明する上でウラジミール・プーチン大統領(2000~2008;2012~現職)の個人的な特性、特に彼の思想信条の特性が重要な影響を及ぼしており、そのためにロシアが軍事的、経済的な観点から見て、必ずしも合理的な政策選択を行っているわけではないと主張する研究成果を紹介してみようと思います。

Michael McFaulが2020年に『インターナショナル・セキュリティー』で掲載した論文「プーチン、プーチン主義、ロシアの対外政策の国内要因(Putin, Putinism, and the Domestic Determinants of Russian Foreign Policy)」の中で、ロシアの対外政策に関する権限がプーチン大統領に一元化されている状況を指摘した上で、プーチン大統領が信じる反欧米的な世界観が、対外政策の決定に強く反映されているという考察をまとめています。

Michael McFaul. Putin, Putinism, and the Domestic Determinants of Russian Foreign Policy. International Security (2020) 45 (2): 95–139. https://doi.org/10.1162/isec_a_00390

ロシアの対外政策を説明する既存の理論

はじめに著者は2014年以降にロシアとウクライナの対立が激化したことを受け、アメリカ・西側とロシアとの関係が急激に悪化したことについて、過去の研究がどのような理論で説明してきたのかを確認しています。

学界で一般的に支持されている理論は、安全保障の側面を強調するものです。その理論によれば、ソ連が崩壊した直後にロシアが衰退したため、アメリカに対して劣勢に立たされましたが、その安全を確保するためにアメリカに対抗する姿勢を強めたと説明しています。この理論は国家の相対的な能力の優劣に応じて対外政策が調整されることを前提としているため、国内政治の影響を考慮から外していると言えます。

これとは別の理論に、ロシアの対外政策には歴史的に連続性があったことを強調するものがあります。ロシア帝国の時代にまでさかのぼり、ロシアが近隣諸国の領土を求めて、あるいは同盟国や友好国を支援するため、武力を行使してきた歴史に一貫したパターンがあると推定しています。こちらの理論ではロシアに固有の性質を考慮に入れているため、国内の要因を考慮に入れていると言えますが、時の権力者の属性、認知、信念が政策の選択に影響を及ぼすことは考慮していませんでした。

プーチン大統領の思想の影響

著者は、これまでの研究でロシアで指導者の地位にある人物が絶大な影響力を行使することが想定されていないことを問題視しています。

現在のロシアではプーチン大統領が強い権力を握っており、野党が政権を奪取できるような状態にはありません。彼は自由と民主主義の価値観を批判し、アメリカをはじめとする西側を敵視しているため、ロシアの対外政策はアメリカや西側にとって強硬なものに変化していったと著者は考えています。社会に対する国家の統制、政治的自由の抑圧、そしてロシア民族の伝統の重視などはプーチンの思想の特徴であり、それらをまとめてプーチン主義(Putinism)と著者は表現しています。

仮にプーチン大統領の個人的な思想信条が対外政策に独自の影響を及ぼしていることが事実だとしても、それを利用可能な情報で検証することは容易なことではなく、そのことがこの研究成果の限界にもなっています。より詳細な分析が可能になるのは、ずっと将来のことになるでしょう。ひとまず現段階で著者は過程追跡(process-tracing)と反実仮想推論(counterfactual reasoning)を組み合わせた定性分析を展開しており、論文では3つの事例を使った分析結果が示されています。著者の理論の妥当性を考えるために、その分析結果を一部だけ紹介します。

2014年のウクライナ紛争におけるロシアの対応

2014年、ウクライナで政変が起こり、ロシアが軍事的介入に踏み切りました。当時、ウクライナは欧州連合との経済連携を強化するための協定を締結しようと動いていましたが、ロシアがウクライナを自国が主導する経済同盟に加盟させるために圧力を加え、また利益を提供することを約束することで何とか断念させています。この政策決定を受けてウクライ国内では大規模な反政府運動が組織されており、武装した治安部隊が出動し、多数の犠牲者が出る事態になりました。最終的に野党を中心とする政権交代が実現し、西側に接近する路線が採用されましたが、この事態をプーチン大統領は「クーデター」として強く非難しています。

この時期にウクライナの南部に位置するクリミア半島のセヴァストポリ海軍基地をロシア海軍が利用できなくなることや、ウクライナ国内においてロシア系の住民に対する暴力的な抑圧が加えられる危険があることがロシア側のメディアから発信されており、プーチン大統領自らもウクライナが北大西洋条約機構に加盟することになるかもしれないという懸念を表明しています。どの程度まで現実的な危険だったのかについて著者は疑問を呈していますが、それは2004年のウクライナで起きたオレンジ革命でロシアが軍事的介入を避けたことがあるためです。

当時もウクライナ国内では大規模な反政府運動が展開されており、政権交代が発生していますが、プーチン大統領はウクライナに対して軍事的に介入することを思いとどまりました。その後、ロシア海軍はセヴァストポリ海軍基地の利用を続けることをウクライナ政府から認められており、ウクライナでロシア系の住民に対する非人道的な虐殺が起こることはなく、ウクライナが北大西洋条約機構に加盟することもありませんでした。著者は2004年と2014年のウクライナの政治状況が類似しているにもかかわらず、ロシアの対応がこれほど違ったものになった理由は、既存の理論で説明することが難しいと指摘しています。

ロシアの対外政策が領土拡張に向けて強硬な行動をとる連続性を持っているという理論が正しいのであれば、ロシアが2004年に思いとどまったにもかかわらず、2014年に武力攻撃に踏み切った理由を説明することができません。2014年にロシアがウクライナに軍事的介入を決断したことによって、ロシアの安全保障環境はむしろ悪化しているため、安全保障上の動機に基づく行動としても説明が困難です。

ウクライナの東部地域ドンバスでは、ロシアの援助を受ける武装勢力が実効支配を確立しているため、これがロシアの安全保障に寄与したという見方もあるかもしれませんが、著者はそれには反対しています。ドンバスの有権者がウクライナから切り離されたことによって、ウクライナの政界における親ロシア派の影響力は大きく後退しており、ますます西側に接近する傾向を強めたためです。2019年にウクライナで親ロシア派の候補を破り、大統領に当選したゼレンスキーが最初の外国訪問先として、モスクワではなくブリュッセルを選んだことは、その帰結を表しています。

プーチン大統領の決断が西側諸国をウクライナに対する援助へと駆り立てたことも見過ごせません。2014年以降、西側はロシアを脅威として認識するようになっており、特にアメリカは2020年にウクライナに15億ドルに達する軍事援助を提供しました。プーチン大統領がウクライナが欧州連合に接近することを阻止しようとしたのは、もともとロシアが主導するユーラシア経済連合にウクライナを組み入れるためでしたが、もはやそのような政策目的を達成することは絶望的になっています。

研究の意義と限界について

著者の理論は、ロシアの対外政策が必ずしも成功を収めていないことを踏まえ、指導者の属性、信念、行動がもたらす影響を考慮に入れることを提案したものとして意義があると思います。著者の見方が正しいとすれば、ロシアとの外交交渉を推進しようとしても、プーチン大統領の考えを改めさせることができない限り成果は望めないでしょう。

2014年のウクライナにおける武力紛争でプーチン大統領が戦略的成功を収めたとは言えないと指摘しているのは著者だけではありません。フリードマンは2014年に「ウクライナ問題と限定戦争の技術(Ukraine and the Art of Limited War)」でプーチン大統領の軍事的介入が成果を上げていないと評価しており(論文紹介 ロシアの戦略にどれほどの計画性があるのか?)、ランド研究所の研究員らがまとめた報告書でもロシアにとって有利な成果を得ることができていないことが指摘されています(研究紹介 クリミアと東ウクライナでロシアは成功を収めたと言えるのか?)。これらの研究で示されるロシアの軍事的介入の欠陥が何に由来するものであったのかを考える上で著者の考察には価値があると思います。

ただし、ロシアが非効率的な対外政策を選択するようになった理由をプーチンの個人的な思想だけで説明することには限界があると思われます。プーチン大統領の思想が対外政策の選択において重要であることは理解できますが、それ以外の要因がどのように作用しているのか全体を把握できるまでには至っていないので、その因果関係にどの程度の重きを置くべきかについては依然として議論の余地が残ります。

例えば、プーチン大統領の思想形成に影響を及ぼすことを意図した一部の側近が長期にわたって操作された情報を提供し、内容に偏向がある状況説明を繰り返しているとすれば、決定を下しているのがプーチンだとしても、その決定をプーチンの思想だけに帰することは妥当とは言えません。このような可能性に関して今後さらに調査研究を行う必要があるでしょう。

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