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論文紹介 ロシアの戦略にどれほどの計画性があるのか?

2014年以降に、ロシアとウクライナが対立を深めてきた原因を特定するためには、ロシアの戦略がどのようなものなのかを理解しなければなりません。ただ、ロシアの戦略にどれほどの計画性を見出せるのか研究者の間で微妙な見解の相違があります。

この相違を大まかに説明するために、二つの理論を取り上げます。一つ目の理論はロシアの戦略に計画性が欠落しているため、合理性は限定的であり、場当たり的に行動方針を選択しているにすぎないと説明する理論です。二つ目の理論は、ロシアが現代世界において超大国の地位を取り戻すことを最終的な目標に設定し、それを達成するために合理的な行動方針を選択しているとする理論です。

限定戦争の戦略としての限界

一つ目の理論に支持している研究者としてフリードマンがいます。フリードマンは2014年に「ウクライナ問題と限定戦争の技術(Ukraine and the Art of Limited War)」という表題の論文を『サバイバル』で発表しました。フリードマンは、ロシアがウクライナを自国の勢力圏のように見なしており、優越した関係を保持することを国益として考えてきたことを議論の前提としています。議論の対象としているのは、その国益を実現するために選択した行動方針であり、それは戦略として慎重に検討されたものではなく、その場しのぎの行動方針から編み出された戦略にすぎないと主張しています。

ウクライナ問題の発端は2013年以降にウクライナが西側の欧州連合に接近することをロシアが阻止しようとしたことにあります。当時、ロシアは自国が主導する形で旧ソ連を構成していた国々の経済統合を推進するユーラシア連合にウクライナを加盟させようと働きかけました。ロシアの動きを受けて、ウクライナの国内では欧州連合とユーラシア連合のどちらに加わるべきかをめぐって政治対立が生じていましたが、2013年末の政変の結果として欧州連合との関係を重視する新政府が発足しています。

ここでロシアは行動方針を見直し、武力を用いてウクライナを屈服させる行動方針に転換しています。2014年3月にクリミア半島を軍事占領し、住民投票の手続きを経て形式上の独立国とし、その直後にロシア領に編入することでクリミア半島を獲得しました。さらに、ウクライナの東部にあたるドンバス地方で武装勢力による内乱が発生し、領域支配を確立したこともウクライナにとって大きな危機でした。この武装勢力はロシアから政治的、外交的な支援を受けており、ウクライナ軍が武装勢力に対して優位に立ったときには、ロシアは軍隊を投入して戦局の挽回に貢献しています。

ウクライナに対するロシアの戦略行動が巧妙な「ハイブリッド戦争」として組み立てられていたという議論がありますが、フリードマンは、このようなロシアの戦略行動は十分な成果を上げていないと指摘し、そのような概念で分析することに疑問を示しています。そもそも、ロシアが当初から目指していたウクライナの対外政策の転向は実現に至っていません。また、ドンバス地方の武装勢力はロシアへの編入を望んでいますが、ロシアはウクライナ領の一体性を維持すべきという立場をとっています。

これはロシアがウクライナ問題を処理する上で、クリミア半島とドンバス地方にまったく異なる戦略を適用していることを意味しています。ロシアがドンバス地方を自国の領土に編入することを避けているのは、ドンバス地方それ自体を獲得することが戦略上の目標ではないことの現れであるとフリードマンは説明しています。ウクライナの対外政策を親ロシア路線に転向させなければ、ロシアの立場から見たウクライナ問題は解決とは言えないでしょう。ウクライナ政治に対する影響力を行使する上で、ロシアはドンバス地方の武装勢力の存在を通じて低烈度の限定戦争を仕掛けていると見なすことができます。

もちろん、ロシアがクリミアを獲得したことは確かなので、限定的な利益を得たことまでを否定しているわけではありません。しかし、西側から厳しい経済制裁を受けたこと、ドンバス地方で活動する武装勢力のために財政的、軍事的な援助を維持しなければならない負担は決して小さなものではありません。フリードマンは、ロシアが一連の戦略行動で得たものに対し、失ったものが大きいことを指摘し、戦略としての合理性は限定的であるという見方を打ち出しています。

地政学的な戦略としての一貫性

このフリードマンの見解に批判を加える余地があるとすれば、その分析対象としている期間が2014年に限定されていることです。より長期的観点からロシアの戦略を分析しているツィガンコフは2015年に「ウラジミール・プーチンの最後の抵抗(Vladimir Putin's last stand)」と題する論文を『ポストソヴィエト・アフェアーズ』で発表し、2000年代の半ばからロシアが欧米諸国に対して用いてきた戦略方針が、2014年のウクライナ問題におけるロシアの戦略行動を導き出していること、つまり戦略として高い水準で一貫性が維持されていることを主張しています。

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