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ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦の展開を捉え、その時々のソ連の指導部がどのような意図を持っていたのかを明らかにした歴史学的研究の成果です。ソ連の首脳部における政策論争の記録から個人の日記までが幅広く検討されており、その成果に基づいてスターリンからゴルバチョフに至るまでのソ連の歴史を通観しています。

Zubok, V. M. (2007). A Failed Empire: The Soviet Union in the Cold
War from Stalin to Gorbachev, Chapel Hill: University of North Carolina Press.

この研究の特徴は、その時代のソ連の指導者の個人的な特性に焦点を合わせ、それが対外政策に及ぼした影響を詳細に記述していることでしょう。例えば、安全保障に対するヨシフ・スターリンの考え方は1935年9月に送信した電報の内容によく表れていると著者は述べています。

1935年のドイツはイタリアとの関係を強化し、軍備の拡張を進めていました。当時、ソ連の外交を統括していた外務人民委員マクシム・リトヴィノフはドイツの動きから危険を察知し、イギリスやフランスと関係を強化すべきと考えていましたが、スターリンはまったく違った見解を持っていました。つまり、「二つの同盟が現れつつある。一つはイタリアとフランスの陣営、もう一つはイギリスとドイツの陣営である。我々は両方の陣営にパンを売ることができるのだから、双方は戦い続けるであろう。今、一方が他方を打ち負かしても、我々には何ら利益がない。一方が他方に迅速に打ち勝つことなく、可能な限りこの争いが長く続くのを眺めることが我々の利益である」とスターリンは考えていました(Zubok 1997: 17)。1939年にスターリンが独ソ不可侵条約を締結していますが、これもヨーロッパにおいて二つの資本主義国の陣営が長く争い続けることを促すことを意図したものでした。

しかし、1941年に独ソ戦が勃発したことで、スターリンは自分の判断がいかに間違っていたのかを思い知らされることになりました(Ibid.: 18)。スターリンが判断を誤った一因について、著者は彼がマルクス主義の「科学的」理論に精通しているという強い自負があり、資本主義諸国の崩壊は間近に迫っているという判断が根底にあったことを指摘しています(Ibid.)。また、スターリンが悲観的で、疑い深い性格の持ち主であったことも指摘されており、あらゆる協力関係は遅かれ早かれ対立関係に取って代わるので、単独行動主義と武力が最も信頼できる政策手段であるとスターリンが考えていたことも、この時期のソ連外交の方向性を規定したとされています(Ibid.: 19)。第二次世界大戦が終結したとき、どのような犠牲を払うことになったとしても、東ヨーロッパとバルカン半島をソ連の支配下に置いておこうとスターリンが決意したのは、イデオロギー的に相容れない存在である資本主義国に対し、安全を確保する必要があると判断したためでした(Ibid.: 21)。

1953年にスターリンが死去してから、ソ連の外交にも新しい動きが見られるようになりますが、著者はソ連の指導者が安全保障に対する強い関心を維持し、そのことが米ソ関係に継続的な影響を及ぼしたことを明らかにしています。ニキータ・フルシチョフはヨーロッパ大陸で1949年に設置された北大西洋条約機構(NATO)の影響力を後退させるため、1955年にワルシャワ条約機構(WPO)を設立し、アメリカ軍の部隊をヨーロッパから撤退させることを目指しました(p. 102)。1965年4月にアメリカがドミニカ内戦に軍事的介入を行ったことに続いて、同年5月に北ベトナムに対する爆撃を本格化させたことを受けて、ソ連軍のロディオン・マリノフスキー国防大臣は1962年のキューバ危機の経験を踏まえ、再びアメリカのキューバに対する軍事行動が差し迫ってきたと判断し、東ドイツの国境周辺で軍事演習を実施し、事態の急変に備えました(p. 199)。こうしたソ連の視点で冷戦の推移を捉え直すと、米ソ関係が双方の対外政策の相互作用で変化していったことが分かります。

著者の議論で印象的なものの一つは、おそらくミハイル・ゴルバチョフに対する評価でしょう。ソ連の解体、冷戦の終結については諸説ありますが、著者はゴルバチョフが社会主義イデオロギーの中核的な信条を手放し、東ヨーロッパを勢力下に置くというスターリンが確立したソ連の地政学的立場を否定し、自らの「新たな政治的思考」を通じて求心的な改革を推進しようとしたことを強調しています(Ibid.: 310)。ゴルバチョフは、国家の安全保障よりも、国際的な協調と非暴力的な手段に基づく世界秩序を構想する理想主義的な人物であったと著者は評価しています(Ibid.: 314-5)。ただし、その理想を実現させる実力を持っていたかどうかという点について著者の見方は厳しいものです。

国家の政策を説明するとき、指導者の個性にどれだけの重みを持たせることが適当であるかという難しい問題があります。著者の議論は、ソ連の政治を動かした指導者の思想や行動がソ連の政策を動かしたメカニズムの説明に集中しているため、ソ連の階層化された官僚制が政策の立案や実施に及ぼした影響が過小に評価されている可能性は否めません。しかし、そのような欠点があったとしても、この著作はソ連の政治史を理解する上で重要な業績であることに変わりはないと思います。

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