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論文紹介 冷戦期の米国でCIAの情報活動の質の悪さを指摘した研究者の批判

ロバート・ジャーヴィスは、国際政治を理解するためには、人間の認知が対外政策の形成に与える影響を知ることが重要であると主張した政治学者です。彼は国家の情報活動も分析しており、その研究成果を「情報処理の何が問題か?(What's Wrong with the Intelligence Process?)」(1986)でまとめています。この論文は、1980年代のアメリカの中央情報局を中心に情報コミュニティの現状を厳しく批判したものですが、情報業務に必要な教育や組織などに関して興味深い論点が示されています。この記事で、その内容の一部を紹介してみましょう。

Jervis, R. (1986). What's wrong with the intelligence process?,
International Journal of Intelligence and CounterIntelligence, 1:1, 28-41, DOI: 10.1080/08850608608434997


アメリカには中央情報局(CIA)をはじめとする情報機関があり、多くの人々が情報活動に従事しています。しかし、彼らの能力をもってしても、世界の情勢をアメリカ政府が完全に把握できているわけではありません。アメリカは1978年にイラン革命が発生するリスクを見過ごし、1973年の第四次中東戦争の兆候も把握できていませんでした。

こうした限界が認識されていた中で、当時の著者は情報機関が優秀であったとしても、あらゆる出来事を予測できるわけではなく、そのような能力を期待することは「非現実的である」と述べています(Jervis 1986: 28)。あらゆる危険を予測する情報活動は不可能であり、その理由について著者は「本質的な難しさで最初に挙げられるのは、そもそも世界が予測不可能であるということである」と述べ、さらに「これは、部分的には我々の知識に限界があるためである。だが、将来的により多くのことが分かるようになると楽観したとしても、政治が不規則な関係、偶発的で例外的な状況によって特徴づけられるという事実を見失うことはあってはならない」と述べています(Ibid.)。

たとえ、中央情報局の人員の質を高めるとしても、その結果として産出される情報の質が無条件に高まるはずだと考えるべきではありません。このことを前提としながら、著者はアメリカの情報活動を部分的にでも改善する具体的な方策を探りました。

著者が最初に着目しているのは、教育訓練の充実です。中央情報局の新規採用者に実施する研修だけでなく、管理職や分析官の地位に就いた人々を対象とする研修の開発に力を入れるべきではないかと著者は提案しました。研修を開発すること自体が分析官の人的資本の形成に寄与するとされており、「教壇に立ったことがある者であれば、誰も自分が世界を完全に理解できるとは信じておらず、また自分が知っていると考えていることの全部を聴衆に伝えることができるとも信じていない。前者に関しては我々自身の研究が謙虚さを教えてくれる。後者に関しては試験の採点が我々自身の指導能力の限界を示してくれる」と語っています(Ibid.)。

すでに情報業務で経験を積んできた分析官でも、再教育の機会に新しい手法に触れることの意義を著者は強調しており、通常の業務で考えたことがなかったアプローチを探求する時間と自由が得られるようになると期待される効果を説明しています(Ibid.)。

次に著者が注目するのは専門性の向上ですが、論文では「ある程度の」専門性という言い方がされています。ある人材に求める専門性をどの程度に設定すべきかを定めることは簡単ではなく、頻繁な人事異動によって多方面の業務経験を持つ人材は、十分な専門性を持ちませんが、特定の地域の問題しか考えたことがない分析官が優れているとも限りません。これは、自分が特異だと考える国の事情に関して知識をたくさん持っていても、それを理解するための概念的な分析枠組みが貧弱である場合、分析官としての視野が狭まってしまうためだと考えられています(Ibid.)。

それでも、ある地域、ある領域に関して重要な状況の展開を察知し、解釈するためには、十分な専門知識を持っている必要があり、「別の場所で得た概念、モデル、信念を情報に押し付ける傾向がある」ので、ある専門領域で適度な深さの知識を持っていることが望ましいと著者は判断しています(Ibid.: 32)。

ここで著者が念頭に置いている専門性とは、その地域の歴史や文化に関するものであり、例えば、イラン革命で起きていたことを理解するためには、イランの歴史と文化に対して深い理解をもっていることが必要だとされています。イラン人は時としてパラノイアに近い世界観を持っており、自国の重大な出来事は外部からほとんどコントロールされているという信念が強く保持される傾向にあると著者は述べています。このような信念を持つために、イラン人はアメリカの友人に対して「なぜアメリカはホメイニ師を権力の座に据えたのか」と質問することさえあり、イラン革命の原因が国内の政治にあるとは信じられなくなっているとされています(Ibid.)。

「ある国家や地域で現在発生している問題の多くは、その歴史的な経過の中でなければ理解できないものである。特定の意思決定者の行動を解釈するためには、その背景にある詳細について精通していなければならない場合が多い。また、その国家の歴史や社会の構造に由来する国民の文化も、その国家の特異な行動を説明する要因になることが多く、それを理解するためには相当の専門知識が必要になる」

(Ibid.)

著者の見解では、もしイランの行動を理解しようとすれば、イラン人の視点でアメリカの行動がどのように解釈されるのかを知らなければならず、そのためにはイラン人の考え方を把握することが重要になります。この種の知識は短期間で習得できるものではありませんが、著者はアメリカの情報コミュニティでソ連や中国のような特定国に比べると、それほど重要ではないとされる中小国、例えばイラクに関する専門家がほとんどいないことに対して警告を発しています(Ibid.: 33)。このような国々の専門家がいないことは、情報業務に支障を来す恐れがあります。

著者は、情報業務を効率的に遂行する場合、与えられた事象に対して複数の競合する説明を示し、それぞれの説明の妥当性を裏付ける証拠について資料を集め、検討することが必要であると論じています。これは大学の研究者は本質的にこれと同じことであるとされており、その違いは研究者が理解に重点を置くのに対して、分析官が予測に重点を置くことだとされています(Ibid.: 33-34)。それでも、この違いは過度に誇張されるべきではなく、本質的に分析官は研究者と同程度の慎重さで推論を組み立てなければならないはずです。

しかし、これまでの情報コミュニティでこのような考え方が受け入れられておらず、質の低い分析が行われていたと著者は批判しています。「現在の状況としては、ほとんどの政治分析は政治報道と呼ばれた方が適切であろう。つまり、分析官は状況の展開を分析し、出来事に関する複数の説明を提示し、それらの説明から得られる異なった予測を行っているのではなく、最近の現地から上がった報告を要約すること、すなわち要旨報告を行うことが期待されている」と述べています(Ibid.: 34)。このような方法が機能するのは現場から上がる報告が正確である場合だけです。

1981年にロナルド・レーガン政権の下で中央情報局の局長を務めたウィリアム・ケーシーという人物がいます。ケーシーは、アメリカ大統領が目を通す国家情報見積(National Intelligence Estimate)の文章表現を大幅に見直し、異なる見解があるテーマに関しては、担当者の見解の相違があることが明確に伝わるように変更しました(Ibid.: 35)。著者は、このような見解の相違を許容する姿勢が情報コミュニティの健全な発展においてますます重要になると評価していました(Ibid.)。

情報コミュニティは、組織として見ると垂直的な階層構造が優勢なので、現場の分析官は経験的に妥当な分析を展開し、情報の質を高めることが妨げられます。つまり、上層部に権限が集中する組織の中で昇進するためには、その問題にあまり精通していない上司に自分の見解を分かりやすく売り込むことで自分の利益を追求することが有利になるので、「一流の分析官の多くが二流の管理者になってしまう」という現象が起こります(Ibid.: 36)。このような状況では、複数の異なる見解を持つ同僚が建設的に討議することが妨げられる場合があります。事実、アメリカの情報機関が出す政治分野の情報は分析の質が悪く、ある事象に関して複数の異なる説明が同時に提示されることはほとんどありません。ある事象に関して複数の説明を提示することは、読み手を混乱させる恐れがあるという固定観念があると著者は批判的に論じています。情報コミュニティの慣習では、ただ事実を提示することが重視されていることも著者は問題視しており、深い分析がなされていないともされています(Ibid.: 37)。

著者は、中央情報局の勤務地がバージニア州ラングレーという他の政府機関から地理的に隔絶された場所に立地していることにも触れており、その職員が国務省の関係者と話し合うことができる安全な通信回線が設定されていないことも問題として提起しています(Ibid.)。このような職場環境は情報活動の従事者の視野を狭めることに繋がり、悪意を持った勢力の欺騙に対して脆弱になります。著者の議論は1980年代のアメリカの情報コミュニティを対象にしたものではありますが、現代の情報活動の課題に通じる指摘が多く含まれていると思います。

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