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メモ 第二次世界大戦でソ連が米国に仕掛けた大規模な情報活動の実態

以前、「情報戦でノイズを除去し、本当のシグナルを特定する難しさを論じた『パールハーバー』(1962)の紹介」という書評記事でアメリカが日本に行っていた情報評価に縦割り行政という大きな問題があったことを述べましたが、重要な情報を相手に奪われない防諜・対情報(counter-intelligence)の側面でも大きな問題があったことが分かっています。

ジョン・アール・ヘインズとハーヴェイ・クレアの共著『ヴェノナ(Venona: Decoding Soviet Espionage in America)』(1999;邦訳2010)は、1943年にアメリカ陸軍の情報部「特別局」にいたカーター・クラーク大佐の認可に基づき開始されたソ連の暗号解読計画の成果に基づき、ソ連のアメリカに対する情報活動の実態を明らかにした研究成果です。当時、アメリカとソ連はドイツや日本という共通の敵を持っていた味方でしたが、「特別局」の情報官がソ連とドイツと単独講和の動きがあるという噂を手に入れ、ソ連がアメリカを経由して用いている国際電信の内容を解読する作業に着手しました。解読には膨大な時間と労力を要し、解読に成功したのは戦後の1946年でした。

つまり、暗号解読の努力は結果的に戦争遂行に寄与していませんが、ニューヨークに置かれていたソ連の総領事館とソ連本国の外務省(外務人民委員部)の外交通信の内容を解読したところ、国家保安委員会(KGB)対外諜報局がアメリカに多数の情報員を運用している証拠をつかみました。ソ連の情報活動が政府の中枢にまで及んでいたことから、この情報は極秘の扱いを受けることになり、長らく公開が禁じられていました。しかし、1995年に情報公開が実現し、研究者はヴェノナ作戦で得た2900件以上のソ連の通信文を読むことできるようになりました。その分量は5000頁以上にもなり、1948年から1950年代まで活動していた多数のソ連のスパイで実名で特定されています。

この研究が対情報の視点で見たときに興味深いのは、ソ連がアメリカで重厚な情報網を整えていたことを明らかにしている点です。著者らは、これがアメリカ共産党の政治活動家ジョセフ・ピーターズによるところが大きかったと指摘しており、彼はソ連の指令に基づいてアメリカ共産党の地下組織を拡大しました。アメリカ共産党には、党籍があることを伏せたまま活動する党員が多数おり、彼らは連邦政府に就職先を求めました。当時、ルーズベルト大統領は経済再建を目指す経済政策、ニューディールを推進するため、多数の公務員を採用しなければならず、十分な身元調査が行われていませんでした。そのため、ソ連はアメリカ政府の奥深くに届く情報網を確保できました。

アメリカが対情報に失敗していたことは、ヨーロッパ諸国の対情報にも悪影響を及ぼしていました。ノエル・フィールドは、もともとアメリカの国務省で働いていましたが、後にソ連のスパイとなり、キリスト教系の国際非政府組織ユニテリアン派奉仕委員会に入りました。1941年からフランス南部のマルセイユの事務所で難民支援の仕事を始めていますが、ソ連の指令に基づいてヨーロッパ各国の共産党員とソ連本国の連絡業務を隠蔽するために難民支援業務を利用し、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、ブルガリア、ユーゴスラビアを巡りました。この事例から、ソ連が獲得したアメリカ人のスパイは、アメリカ国外でも運用されていたことが分かります。

アメリカの対情報が十分に機能していなかった理由は一つではありませんでした。まず、政府の秘密保全に関する行政命令が存在しておらず、機密情報にアクセスできる政府職員の資格審査が明確に制度化されていませんでした。第一次世界大戦で、ドイツがアメリカの国内で反戦運動を組織化するために資金を提供していたことが判明したときも、この問題は政府の内部で議論されましたが、一貫した政策は確立できていませんでした。1930年代に入ってからも、陸軍情報部、海軍情報部、連邦捜査局(FBI)が別々に任務を遂行しており、情報共有が行われていませんでした。

連邦捜査局はかなり早い時期にアメリカ共産党に注目していたようですが、1933年時点で人員は300名程度に過ぎずなかったので、対情報活動には限界がありました。アメリカ政府として、対情報で最も厳重に警戒していたのがドイツ、イタリア、日本などの枢軸陣営に限定されていたことが、ソ連のスパイを見逃す要因となっていたと考えられています。

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