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あれから12年・・・

もう干支が一回りした

当時、長きにわたり地球の反対側で過ごし、新たなプロジェクトを立ち上げに一時帰国している時に職場だった東京が揺れた

いつこの辺りに大きな地震が来てもおかしくないと思っていたのは日本を旅立つ前から

帰ってきてからも常に警戒はしていたので、即座に職場の人たちを調べていた近くの避難所であるお寺へとまずは移動してもらって待機していたときだ


暫くは動けないだろうと境内の隅の方で寝そべっていたら、地面の奥底の方から何かが襲ってきた・・・地鳴りと共に・・・その揺れは徐々に大きくなり、四角いお寺の敷地の周りの全てのビルが明らかに視認できるほど揺れ始め、そこに集まってた人たちの巨大な悲鳴と共に揺れは収まるどころか増幅し続ける。目の前のビルの室外機がビルの揺れとは逆に振り子のように揺れ続け、なぜかそのタイミングで筋斗雲より少し大きめだが真っ黒な雲の塊が前方から漂って来るのを見て発狂する人たちが現れた・・・


この星は生きている


この惑星自体が生命体であるということを脅威と共に体感したのはあの時が初めてだったのかも知れない


その翌日に福島第一原発が爆発し、都内の放射線量は一気に上がる。余震は一ヶ月ほど信じられない回数が昼夜問わず続き、何人かの仲間は都内から西へ避難した

気仙沼



それとは真逆に東日本へ北上して岩手から南相馬と飯館村まで10ヶ所ぐらいの被災地にお邪魔させていただいた。あの時に病院も薬局も治療院も流されて依存できる医療が崩壊している時に、避難所で「お兄ちゃん薬ちょーだい」と懇願された時の光景を今でもよく思い出す

私の幼少期からの腰の爆弾、車椅子宣告されたこの椎間板ヘルニアの治し方を教えてくれた大兄貴と案内人の方と共に被災地入りし、各地で始まったワークショップ

アシスタントをしながら必死に覚え、その後も何度も被災地に通わせていただきながら次々と日本古来からの術を教えてくださる達人の方々に出会うのはご縁だったとしか言いようがない


最も被害が大きかったと言われる石巻の、学校も住居も全て流されてしまった地域の子供たちの学童をされてる方々に呼んでいただいた時に、子供たちを夜迎えに来られたお母さんたちが疲れ果てていた。皆様、満身創痍で夜もまともに眠れないと聞いて
「一度しか会えないかも知れない人に、依存せずに自立してカラダや鬱状態を自分で改善できる術」
を伝えたい、お母さんたちが元気にならないと子供たちがスパークできない、とセンター長にお願いして始めさせてもらったのが

ここから全ては始まった・・・



今はスペインを拠点にヨーロッパでも展開している
"自分のカラダを自分で治す"
というタイトルで続けている日本古来からのカラダとメンタルの治し方を最先端の研究を融合させてきたメソッドです



病院も薬局も治療院もなく、物資も足りない中でもどうサバイバルしていけるか
11年前のあのとき、気仙沼から少し内陸に入った根室山の辺りを走っているときに
「これから10年後ぐらいに同じような状況が世界中で起こるかも知れない」
となぜか直感し、それまでに世界中の必要とされる方に伝えられるレベルまで育てようと日々実践と研究を重ね、その後スペインへ渡って暫くしてから世界的な騒動と規制ラッシュが起こったのだがが・・・まさか、世界的な災害ではない形で互いの国を行き来できなくなるとは想像もしていなかった


そして、昨年からロシア・ウクライナでの代理戦争開戦により多くの方の生活が変化している。目の前に迫る食糧危機。この戦争も終わりを見せない。益々、先行きが見えなくなっている。メディアの情報はどれが本当かの答え合わせもないまま、垂れ流され続ける


3.11と原発事故を当時日本で受けなければ、直ぐにまた海外へ出ていたに違いない。日本で暫く学ぶことを決め、そして家族ができた。その家族と今はバルセロナにいます


今年も時差があり日本時間の14:46に黙祷できませんでしたが、遅ればせながら

あの時に亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします
そして、あの時被災地で歓迎して下さった皆様がお元気であることをいつも願ってます

宮古から南相馬まで南下していく最中、どこの方も温かく迎えてくれて、お酒を並べて歓待してくださいました。
「兄ちゃん!東京に戻ったらみんな心配してると思うけど、気軽に遊びに来てくれって伝えてな!魚は獲れないけど蕎麦や山菜はたくさんあるから」
地酒を交わしながらいただいたこのセリフと笑顔は忘れない。被災地に行ったら迷惑になるとばかり、震災直後は思っていたが応援じゃなくてむしろ遊びに来て欲しい。それが何よりの復興になる、とあの時行かなければ分からなかった


あとは石巻のガキンチョたちがもうすっかり大きくなってる!スペインに遊びに来い!待ってるぞ!

いや・・・ここから全ては始まったのだ


※写真は石巻の子供たち作
私の頭が毎日キャンパスになっておりました
もう大学生や社会人になってる
それまで世界中の子供たち、第三世界の子供たちと遊んできたがあの震災を体験したあの子たちの持っている感性は特別だった。あの歳で、目の前で死に直面した彼らしか見えてない世界

この後、何度か行かせてもらったのだが、やがて「ピッコロが来ると子供たちが元気になり過ぎて収集つかなくなる」と言われて学童から呼ばれなくなる・・・

魔封波!

激動の時代を乗り越えていくために
依存せず自らの手でカラダとメンタルを治す
いついかなる時も、世界中のどのような場所でも、自分と家族を守れるようになるために
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