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【小説】 海の向こう 【ショートショート】

 朝起きてテレビを点けたら、海の向こうで戦争が始まっていた。近頃きな臭いニュースばかりが流れていたが、やっぱり来たかと思いながら朝の支度を始めると彼女からメッセージが入った。

《来週の土曜日、大丈夫だよね?》

 あぁ、と思いすぐに返事をする。

《大丈夫。昼に行けばいいんだっけ》
《そう。遅れないでね》
《うん》

 僕らは来週の土曜日、婚姻届を提出して夫婦になる。
 そんなことをぼんやり思いながら、僕はミサイルで吹き飛んだ倉庫跡の映像を目に焼き付けている。  

 休憩所のテレビの前で同僚や他の部署の人達が神妙な面持ちでニュースを見守っている。中には

「株やられちゃったよ」

 と本気で嘆いている人もいた。味気のない仕出し弁当を食べながらニュースに見入っていると、侵攻はもの凄いスピードで進んでいて二日後には首都に迫ると危機感を煽っていた。未だに残されている邦人もいるらしく、国会では救助方法について野党が追求を始めている。そんなニュースを眺めていると、画面が切り替わって昼の情報バラエティ番組が賑やかな声を響かせ始めた。
 チャンネルを変えたのはパートのおばちゃん連中で、悪びれる様子もなく楽しげな笑い声を上げている。

「この前キムチ鍋にクリームとお味噌入れるやつやっててね、試したら娘がすっごく喜んでたのよ!」
「えー! 意外な組み合わせ。おいしいの?」
「それがね、私は全然わかんなかったのよ。普通のキムチ鍋でいいわ〜って言ったけど娘は「今度からこれにしてよ!」って聞かないのよ」
「若い子はコッテリしたの好きだもんねぇ。ババアには無理よ〜」

 そんな呑気な会話が始まると、休憩所にいたニュースを見守っていた面々の表情も徐々に解れて行った。
 翌る日になるとニュースを見守る人達の表情はぼんやりしたものになり、その次の日にはテレビ画面の中を戦車やミサイルが行き交うのがすっかり日常になっていた。
 なんとなく、これでいいのだろうかと思っていると同僚に肩を叩かれた。

「廣瀬。どうしたんだよ、難しい顔して」
「いや。なんかさ、外国じゃ戦争してるんだなぁって思って」
「あいつら血の気が多すぎるんだよ。日本が平和なのは「禅」があるおかげなんだぜ。禅やればいいんだよ」
「ゼンって、あのゼンか? 寺とかの」
「そう。心を落ち着かせる瞬間が日常にないから、他人の上に平気で腰を下ろせるんだよ」
「そんなもんなのかな」
「そうだよ。それよりもそろそろ入籍だろ?」
「うん。来週の土曜日」
「結婚生活は共同作業だからな。お互いの信頼が大切だよ」
「おまえ独身だろ」
「あぁ。言ってみたかっただけだよ」

 そう言って笑って、良い意味で下らないなぁと感じている。なんとも平和で、ありふれた日常の中を生きているんだと実感する。

 入籍を済まし、無事に夫婦となった僕らはトースターを買うついでにドライブをしている。ガソリンスタンドに目を向けると、ガソリンがやたらと値上がりしていることに少し驚いた。

「将暉、なんでこんなにガソリン高いの?」
「戦争してるからね。入って来ないんだよ」
「ふーん。戦争なんかやめたらいいのに」
「そうもいかないんだろ。簡単にやめられるくらいなら、話し合いで解決出来ただろうし」
「じゃあずっとガソリンは値上がりしっぱなしなの?」
「うーん、多分しばらくは」
「じゃあ、車やめる?」
「それは困る」
「だったら戦争やめた方がいいじゃない。そうでしょ?」
「確かに」

 妻は勝ち誇ったような顔をして、ダッシューボードを二回軽く手で叩いた。春の陽射しを肌が反射して、とても冷たくて柔らかそうな肌だと感じていた。

 春が来ると出掛ける機会も増えた。家から少し離れた公園を歩いていると、楽しげにはしゃぐ子供達の群れが足にぶつかりながら僕らの間を通り抜けて行った。

「ってぇーなぁ。親は何してんだよ」
「怒らなくていいじゃん、子供のすることだよ」

 妻は普段保母をやっているから慣れているのだろう。しかし、子供の扱いに慣れていない僕は少しのことでも思わず腹を立ててしまう。それは子供に対してではなく、それを保護する大人達に対する怒りだけれど。
 晴れた青空の下を歩いていると、季節の心地よさに思わず眠気を感じてしまう。陽射しは十分に暖かいのに風がまだ少し冷たくて、その心地よさに肌が喜んでいるのが自分でも良く分かった。
 ベンチに座って目を瞑ってみると、子供達の嬌声に混じって上空を飛んで行く飛行機の音が聞こえて来た。こんなご時世だけど飛行機は飛んでいる。きっと国内便だろう、と思っていると、とある子供の声が耳に飛び込んで来た。

「あー! ミサイル!」

 思わず目を開けて上空を確認すると、飛んでいたのは間違いなく飛行機だった。春の光を反射して、きらきらと輝きながら真っ青な空を魚のように飛んでいた。
 隣に座る妻が笑う。

「今さ、凄く小さな声で「はっ」て言ってたよ」
「え? そうだった?」
「面白かったなぁ。ミサイルだと思ってビックリしたんでしょ?」
「うん……ビックリした」
「日本は平和だよ。ミサイルなんて飛んで来る訳ないじゃない」
「どうだろ、わからないよ? これから先のことなんて」
「今、平和じゃん」

 目の前の芝生では子供達が寝転んだり走ったりしていて、大人達はブルーシートを敷いてお弁当を食べたり話に夢中になったりしている。タコスのキッチンカーの店主は狭い車内で暇そうにスマホを弄っているし、犬の散歩をする老人がくしゃみをすると、犬が驚いてその場で立ち止まってしまった。

 なんて、平和なんだろう。
 なぜ、平和なんだろう。

 そんなことを思いながら無意識に煙草に火を点けようとして、妻に叱られる。

「何吸おうとしてんの!? ビックリしたぁ。ダメよ、吸うならちゃんと喫煙所で吸って」
「あぁ、ごめん。つい、吸いたくなって」
「いい加減やめなよ。ガソリンだって値上がりしてるのにさぁ」
「……考えとく」

 少しだけ気分が沈んで、目の前の光景に妻から目を逃す。
 そんな沈んだ気分でさえ、平和そのものだと感じていられる。
 真っ青な空を泳ぐ飛行機はだんだんと小さな粒になって、やがて空には何も見えなくなった。
 その日はそれ以降、上空から音が聞こえて来ても空を見上げることは無かった。

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