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【小説】 ハニーリング 前編 【酒井商店シリーズ】

「相原さん! ぼ、僕とお付き合いして下さい!」
「はぁ? 無理」

 そんな風に職場の相原さんに見事にフラれたこの日は、僕にとって記念すべき日になった。告白失敗数が晴れて三十回を数えたその夜、僕は盛大に泣いた。
 中学の頃から僕は全くモテなかった。背は低い癖に眉は太く、身体も太り気味だし、そもそも女の子を前にした途端、緊張してしまってどうにも上手く話せないのだ。その癖、性欲ばかりは人一倍強いから、女の子の側にいると無意識に胸や股やお尻にばかり目がいってしまい、高校の頃はみんなから「変態マン」と呼ばれていた。
 大学に入った僕はダメな自分を何とか挽回しようと「モテ合宿セミナー」に参加費八十万を支払って参加したものの、肌が黒いイケイケ講師に洗脳されたせいで妙な自信がついてしまい、かえって女の子から避けられるようになってしまった。

 こんな苦い経験、というか失敗談がある。

 セミナーから帰って来た僕は手あたり次第に女の子を映画に誘ってみると、優香ちゃんという同じゼミの子がなんと僕の誘いに乗ってくれたのだ。セミナーで「男らしさを武器にしろ!」と講師が言っていたことを思い出した僕は、優香ちゃんが「これ観たい!」と言ってはしゃいでいたロマンス映画を「インスタ臭い」と罵倒し、否定しまくった挙句、当時流行っていたアメリカンヒーローものの映画を指さし、

「当然、これにキマリっしょ? 優香、行くぞ」

 と言ってみた所、見事に帰られてしまったという苦い過去がある。その苦い過去こそが唯一、女の子と二人きりで出掛けた思い出だった。

 なんで僕はこんなにモテないんだろう……。相原さんにフラれた翌日、仕事を休んだ僕はそんなことを思いながら商店街をアテもなく歩いていた。
 どのお店でもいいから、とにかく気を紛らわせなければと思って入った店内で、ふと顔を上げてみて驚いた。
 僕が入ったのはリサイクルショップだったようで、店の中は所狭しとガラクタが山積みになっていて、おまけに歩く隙間さえ上手く確保出来そうになかった。売られている商品のおおよそが粗大ゴミにしか見えないのに、一丁前に値札がつけられていた。
 頭の割れた狸の置物が五千円、ノズルなしの本体のみの掃除機が三千円、何とも怪しげな袋に入った「龍の粉」は一万円、命の素なんてかなりインチキ臭い商品もあったり、ここは間違いなくボッタクリショップだと思い、すぐに店を出ようとすると背後から声を掛けられてしまった。

「いらっしゃーい。ゆっくり見ていってねぇー」

 振り返るとそこには丸眼鏡をした中国人チックな髭を生やす店主らしき人物立っていた。濃緑のエプロンを掛け、ニコニコと機嫌良さそうに微笑んでる。今時ベースボールキャップを逆さまに被るスタイルで、なんだか気の良さそうな人ではあった。
 ゆっくり見るもクソも、こんなガラクタなんか見ていても気分が悪くなるだけだ。よし、出よう。そう思っていると、目の前の棚に置かれていたある商品に目が行ってしまった。

《最高の出会いを約束します。ハニーリング》

 元新品だったのか、そう書かれた陽に焼けたタグがついたままになっている丸い指輪につい、興味をそそられてしまった。いやいや、こんな商品ハッタリに決まっているさ。最高の出会いなんて、出会いなんて……出会い……あったらいいのに……。そう思っていると、店主がタイミングよく声を掛けて来る。

「あー、それまだあったんだぁ」
「いえっ、あのっ、別に興味はないですから」
「いやいや、お客さんのことはどうでも良くてねぇ。そんな在庫まだあったんだなぁって、そんな独り言のつもりだったんだけど」
「そっ、そうですか。はぁ、在庫ですか。それは、まぁ、誰かが買わないと捌けませんよねぇ、ええ」
「ふーん……お客さん、欲しいんじゃないのぉ?」
「まっ、まさか! たかが指輪をしたくらいで最高の出会いが約束されるなら、こ、困る人なんていなくなるはずですから」
「バッチリ説明書き読んでるんじゃない。それねぇ、日本がまだバブルの時にフランスで流行ってたジョーク品らしいんだけどね。欲しいなら百円でいいよ」
「ひゃっ、百円ですか!?」
「うん。置いてあるのも忘れてたくらいだし」
「じゃ……じゃあ、ひとつ、ください」
「へーい。毎度ありー」

 しまった、店主のぺースについ乗せられてしまった。
 でもまぁ、たかが百円だし。神社で恋みくじを引いたと思えば安いもんだ。気も良くて人の良い店主に運を与えられた気分になった僕は、店主のことを幸運の女神、いや、男神に思えて来てしまった。

「あれですか、店長さんはもう既にそのぉ、恋人さんがいらっしゃる訳ですか?」
「ははは。俺はもう恋人なんて年じゃないよー。嫁もいたし子供もいたけど、ぜーんぶ過去の話」
「そ、そうなんですか。ほう、人生のあらかた成すべきことを経験なさってる訳ですね」
「そう。ぜーんぶ、過去の話……」
「ほう……」

 店主のトーンが落ちて行ったと思ったら、にこにこしていた顔が突然真顔になり始める。何かヤバイことを聞いてしまったのかと勘繰ったが、目が合った途端、僕の身体は動かなくなった。
 独り言のように「ぜーんぶ、過去の話……」と呟き続ける店主の目から、白目が全て消え去ったように見えた。その瞬間に背筋が一気に冷たくなり、得体の知れない恐怖に背中から喰われるような感覚になる。

「ぜーんぶ……過去の話だよ……ぜーんぶ、ね」
「し……失礼します」

 なんとか身体が動かせた隙に、僕は急いで店を飛び出した。
 一体、今のは何だったのだろうか。真新しい看板を見ると「酒井商店」と書かれていて、どうやら最近出来たばかりのお店のようだった。しかし、もう二度と来ることはないだろう。こんな怖い思いをするなんて思いもしなかった。

 その夜。僕は昼間買った「ハニーリング」の存在もすっかり忘れて繁華街をウロウロしていた。相原さんにフラれた寂しさをまだ引き摺っていて、誰でもいいからとにかく女の子と話したくて仕方なかったのだ。
 何処か店に入ろうか悩んでいた所で、僕とは私生活でまるで縁のなさそうなチャラいキャッチのお兄さんに声を掛けられた。

「兄さん、抜きっすか? 飲みっすか? いい店紹介しますよ!」
「あ、あの、キャ……キャバクラとか、かな」
「キャバっすね。すぐご案内出来る店あるんで、どうっすか? 初回二千円で飲み放題っす」
「じゃ、じゃあ、そ、そこで」
「ありがとうございまーっす」

 お兄さんに連れられて向かった先は繁華街の地下にある「シエンタ」という至ってどこにでもありそうな薄暗い照明のキャバクラだった。
 ビートの激しい曲が掛かっている店内はかなり賑わっていて、おじさんよりも若い客の方がずっと多く、集団で盛り上がっているテーブルがいくつか目についた。

「女の子すぐに着きますんで」

 愛想のないボーイにそう言われボックス席で待っていると、一人目は頭を盛りに盛った女の子がやって来た。胸がとっても大きくて、つい目線をそっちに向けていると「お兄さん、童貞?」と笑われてしまった。二人目の子はボブカットの大人しそうな子で、ちょっとタイプだったけど終始「もう帰りたい。だるーい」としか言わず、まるで話にならなかった。
 ここは失敗だったのかもしれない……そう後悔し始めていると三人目の女の子がやって来た。

「ミズナです。よろしくお願いします」

 僕は堪らず唾を飲み込んだ。三人目の彼女はまるでモデルのような体系で、とても綺麗だったのだ。茶色のロングヘアーにエキゾチックな一重の彼女が隣に座ると、僕の緊張はたちまちピークに達した。目を逸らしていても良い匂いが漂って来て、身体中がどうにかなってしまいそうだった。

「お兄さん、仕事帰りですか?」
「うん、いやっ……今日は、さ、さぼり」
「あははっ! 素直ですね。お名前なんて言うんですか?」
「しょ、庄野正平っだす」
「だす? それって訛りなの?」
「ち、違う! 緊張、してるから」
「そういうことね。緊張なんかしなくて大丈夫ですよ。楽しく飲みましょうよ。ね?」
「あ……ああ」
「乾杯」
「か、乾杯」

 大人っぽい雰囲気のミズナ嬢は前の二人よりもずっと話易くて、僕は安心した。その日、お互いの出身地や趣味の話なんかでいっぱい盛り上がった。ミズナも僕も共通のアニメが好きで、その話を夢中でしたりもした。
 相手が女の子だっていうことを途中で忘れるくらいいっぱい話したし、ミズナも楽しそうにたくさん笑っていた。
 気が付けば三時間を越えていて、料金はがっつり三万円くらい取られた。
 だけど、ずいぶん楽しかったから寂しい気持ちもかなり紛れた。

 連絡先を交換した翌日、僕に奇跡が訪れた。

《昨日はありがとう。正平くんにまた会いたくなっちゃった。どうしよう》

 そんなメッセージが届いていたもんだから、僕のテンションは生まれて今まで味わったことのないくらいに上がりに上がった。神様ってやっぱりいるんだと思ったし、《また会いたくなっちゃった》なんて言われること自体、奇跡のようなものだった。
 過去に散々フラレまくっている僕は今すぐにでも会社を早退したくなり、こんなメッセージを送った。

《早退しようか? すぐに会いにいくよ》

 だけど、返信はどうも僕の心意気を喜んでくれる内容ではなかった。

《会いたくても仕事はちゃんとした方がいいよ。それに私は夜もあるから、お互い頑張ろうね》

 ここで焦り過ぎたらきっと、上手くいかなくなる。そういえば、彼女はショップを開く為に昼間も事務員として働いてると言っていたっけ。ミズナが昼も夜も働き詰めなのに、僕が頑張らなくてどうするんだ! 僕は自分を奮い立たせ、会いたい気持ちをグッと堪えることにした。

 それからは一週間に一度お店に顔を出し、平日はメッセージのやり取りで僕らは互いに愛を深めていった。彼女はとても忙しい人なので二人きりで会うことは出来なかったけれど、お店で会っている時は僕らのテーブルが一番盛り上がっているのは他の席と比べてみると一目瞭然だった。
 あまり盛り上がっていない席を僕は顎で指し、こう言った。

「ミズナ、「うちら」の勝ちだな」
「そうだね。「うちら」の勝利だね」

 店に通い始めてから一ヵ月。僕らは自分達のことを「うちら」と呼ぶようになっていた。その呼び方が僕らだけの秘密のように思えて、僕は何だか誇らしかった。
 その日も酒がススむと、ハニーリングの存在を急に思い出してミズナに話してみることにした。

「このリングがあったから、ミズナに出会えたのかな」

 そう言って胸ポケットからリングを取り出すと、ミズナは「あっ」と呟き、滑らかな太腿の上に置いてあったポーチから同じような指輪を取り出した。

「ねぇ、それってこれじゃない?」
「えっ、ハニーリング!」
「やだぁ、本当に? まさか、あの狭いリサイクルショップ?」
「そうそう! 酒井商店っていう店!」
「ちょっと待ってよぉ、全く一緒なんだけど!」
「おいおい! 「うちら」どんだけ仲良いんだよぉ!」

  ミズナもまさかハニーリングを持っていただなんて。偶然じゃない、これはキセキなんだ。あぁ、楽しい。こんな時間が永遠に続いたら良いのに。
 そう思っていた矢先、「うちら」の邪魔をするかのようにボーイがやって来た。

「お客様、大変申し訳ありません。ミズナさん、お借りします」
「おうっ。すぐ返せよ?」
「お二人、仲が宜しくて羨ましいですよ。それではミズナさん、あちらのテーブルへ」
「ごめんね正ちゃん、行って来るね」
「あ、うん。待ってるよ」

 正ちゃん。なんて悦ばしい響きなんだろう。まるで天使の歌声のようだ。
 そう思いながらミズナがヘルプへ向かったテーブルに目を向けてみると、彼女は笑ってはいたが本気の笑顔ではないのが見てすぐに分かった。彼女の本当の笑顔を知っているのは、絶対にこの店の中では僕だけなんだ。

 ミズナが戻って来てからもう三十分ほど飲んで、金が怪しげになって来た僕は店を出ることにした。見送りでミズナと二人きりになると、ミズナは深々と頭を下げた。

「正ちゃん、いつも来てもらってありがとう」
「いや、外で会いたい所ではあるが、ここでミズナに会うのが一番確実だしな、うん」
「……私ね、正ちゃんのことが好きになっちゃったみたい」

 嘘だろう? そう思って咄嗟に自分の太腿をつねってみたが、ちゃんと痛かった。息が荒くなるのを必死で抑え、ミズナの想いに僕は応えた。

「……僕、いや、お、俺も、す、好きなんだぜ?」
「うん。だから、もっと安心して会えるように頑張るから。私のこと、見捨てないでね?」
「おう、ったりめーだろ? ったく、しゃーねーなぁ! ミズナは俺が面倒見てやっかぁ」
「あはは! じゃあ正ちゃんも頑張らないとね。頑張るのは「うちら」で一緒に頑張ろうよ! ね? またね、正ちゃん。大好きだよ」
「お、おう。またな!」

 いやいや、なんと告白されてしまった。いや、いつかこうなるだろうとは分かってはいたけれど、ちゃんと告白されてしまった。やはりこれはハニーリングのおかげなんだろうか?
 あの店主がにこにこと微笑む風景が自然と頭に浮かぶ。やはりあのお方は恋の男神だったんだろう。 
 万が一でも指輪を失くさないように、僕は指輪を財布に大事に仕舞ってから家路を急いだ。


後編へ続く

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