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【小説】 ハニーリング 後編 【酒井商店シリーズ】

【前編はこちらから】


 ミズナに告白されてしまった夜、家に帰ってもドキドキしっぱなしで眠ることが出来ず、結局次の日は一睡もしないまま出社した。
 仕事中も無意識のうちにミズナのことが頭に浮かんでしまい、仕事に全く身が入らなかった。ぼんやりしていると、同僚の安居という熟女好きにポンと肩を叩かれた。

「庄野、どうしたんだよ? にやにやしちまってよ」
「お……おう、よくぞ聞いてくれた。なんとだな、実は僕に彼女が出来てしまったのだ」
「彼女? まさか! あぁ、あれか、ゲームの中の話?」
「失敬な。むふふ、聞きたいならば敢えて教えてやろう」

 僕は多少話を盛りつつ、キャバクラで出会ったミズナに告白されたことを安居に話して聞かせた。今まで二人きりで会ったことはないという現代では奇跡的にプラトニックな関係を貫いていることや、他のテーブルでは見せない笑顔を僕にだけは見せてくれるという惚気話まで話してやった。
 すると、安居の表情は徐々に神妙なものになり、嫉妬で気が狂ったのか突然こんなことを言い始めた。

「おまえ……それって騙されてるぞ」

 僕は驚きのあまり「へぇ!?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。なんという見当違いな妄言、狂言、漫言! 嫉妬で我を失った人間というのはやはり甚だ理解し難い言動をするものなんだと、僕は狂気に満ちた安居の真顔を眺めつつ、肝を冷やしていた。

「いーや! 安居、あの笑顔は本物だ。それに、僕らは自分達のことを「うちら」って呼ぶしな」
「うちらぁ? 何だよそれ、気色悪ぃ」
「気色悪い? おまえ……いくらおまえでも許さないぞ。撤回しろ」
「あのなぁ、これでも俺は庄野を心配して言ってやってるんだ。な?」
「違うね! うちらに嫉妬してるだけだね! だって、うちらは運命なんだ。同じ店で偶然「運命の人と出会える」指輪を買っていたんだ」
「なんだよそれ。カルトじゃないんだからさぁ、そのミズキちゃん? だっけ?」
「ミズナだ!」
「どうでもいいけど。その女の本名、知ってんのかよ?」
「本名がなんだよ、名前なんか……どうだっていいだろう」
「あと、何でそんなに昼も夜も休みなく働いてんだよ?」
「ふん、彼女には夢があるんだ。その、自分のショップを持つっていう夢の為にだな、昼夜頑張っている訳で」
「はい、出ました。「ショップ開くのが夢」。キャバクラ行けば三人に一人が同じこと言うぞ。試しに他の店行ってみろよ、同じようなこと言う奴が絶対にいるから。なんなら今日行くか? 奢るぞ」
「は、はぁーん……おまえ、僕に若くて美人な彼女が出来たから内心羨ましいんだろう? 僕だったらまぁ、嫉妬で頭が爆発しちゃうね」
「馬鹿野郎。心配して言ってやってんだよ……あと、呆れてんの。女ってのは五十からが食べ頃だよ? 小便臭い嘘つき女はやめてさ、熟女にしろよ。な? 可愛がってもらえるぞぉ」

 思わず所得顔で話す安居をぶっ飛ばしてやりたくなったが、嫉妬で頭と価値観がイカれた可哀想な奴なんだと思うことにした。

 それでも家に帰るまでの間、安居に言われたことが案外ダメージとして心に響いていたようで、僕は自分でもどうかしていると思いながら、多少ミズナのことを疑い始めていた。
 帰ってから一人で酒を飲んでいたけれど、それが良くなかった。
 不安をこじらせた僕はミズナが仕事中だと分かっていながらも、何度も彼女に電話を掛けた。
 もちろんミズナは電話に出なかったけれど、電話を掛けてから一時間後に彼女からメッセージが送られて来た。

《なんかあったの? 出れなくてゴメン》

僕はどうしようと思いながら、本音を伝えることが出来ずにこんな嘘をついた。

《悪ぃ。風呂に入ってる間に、猫が勝手にスマホ押しちゃってた》

 酔っているのももちろんあったけれど、もう少しマシな嘘をつけば良かったとすぐに後悔した。すると、すぐに返信が入った。

《猫飼ってたなんて初耳。猫、なんて名前なの?》
《今、実家に帰って来てるんだ。ミーって名前》
《猫いいなー。写真ないの?》
《チョー機嫌悪いから撮らせてくれねーンだわ。ミーの機嫌良くなったら、写真送るぜ》

 猫なんか今まで飼ったことはなかった。それに実家にいるのは大きなインコみたいな小汚い鳥だけだ。僕は自分でついた嘘に焦ってしまい、探してもすぐには辿り着けなさそうな素人が撮った猫画像を検索し始めた。すると、ミズナから返信が入った。

《待ってるね》

 その「待ってるね」が猫の画像なのか、それとも僕が店に来ることなのかが分からず、胸中の不安が一斉に噴き上がって来た。聞いてはいけない、そう思ったものの、僕は酔いに任せてこんなメッセージを送っていた。

《うちらってこれからも店でしか会えないの?》

 送った瞬間に既読が付き、その途端に怖くなってスマホを裏返しにした僕は布団を被った。これはマズイ。確実にミズナの地雷を踏んでしまったはずだ。こんな女々しい男だなんて思ってもいなかっただろうし、ミズナの前で僕はいつでも「身近で優しい面倒見の良いお兄さん」を演じ続けていた。
 そう思うと、僕も相当な嘘つきだったんだと気が付いた。
 きっと、もう返信はないかもしれない。そう思いながら恐る恐るスマホを手に取ると、ミズナからとても長い文の返信が入っていた。

《いつも時間が取れなくて本当にごめんなさい。私は正ちゃんがとっても好きで、その気持ちに嘘はないです。もちろんお店の外でも会いたいなって思っているけど、今は働かないといけない事情があります。正ちゃんに会う前の私は本当にダメな人間で、ホストクラブでたくさんの借金を作ってしまいました。自分のことを丁寧に持ち上げてくれる男の人に囲まれているのが、とっても気持ち良かったの。でも、おどおどしてるけど真っすぐで正直者の正ちゃんに出会ってから、私は変わりました。ちゃんと生きたいって思えるようになった。前を向きたいって思った。まだ私はちゃんと生きて行く途中の人間で、いつか正直に生きている正ちゃんに追いつきたいなって思ってます。だから、置いていかないで待っていてくれたらうれしい。絶対に追いつくから。二人で外で会えるようになったら、世界中の人たちに「うちら」の仲の良さを見せてやりたいです。本当に、心配掛けてごめんなさい。正ちゃんが大好きです。だから、私がちゃんとするまではお店に来なくていいよ。時間が出来たら、ゆっくり会おうね。私はちゃんとした人間になってから正ちゃんに会う為に、頑張り続けます》

 このメッセージを読みながら、僕は号泣した。自分の心配事は何て愚かしいものだったのかと、スマホを抱き締めながら反省もした。だから、僕はミズナを信じて待ってみることにしたのだった。

 それから二週間が経った。ミズナがちゃんと出来るまでの間は店には行かないと決めたものの、寂しさは日を追うごとに増して行った。しかし、ミズナに何度かメッセージを送ってみても何の返信もなかった。店のホームページで出勤情報を見れば出勤はしているようだったので、生きてはいるのだろう。
 ミズナの決意のようなものを感じて、僕は徹底的に待ってみることにした。

 けれど、それから更にひと月が経っても何の連絡もなかった。メッセージを送ってみても、何のリアクションもなければ既読すら付かない。これはミズナが僕を意図的に避けているんじゃないかと、いくら愛し合っているとはいえど、流石にそう思うようになって来た。
 彼女の言う「ちゃんと」の定義すら、僕は聞かされていない。それが一体いつまでなのかも分からない。何がどうなれば「ちゃんと」になるんだよ、ミズナ。「うちら」はハッピーリングで出会ったキセキのカップルのはずだろう? なんで求め合うことをして来ないの? 僕は寂しいよ。ミズナは寂しくないのか? 平気なのか? 僕くらいの気持ちがないから、きっと平気で僕を無視することが出来るんだろう? そうだ、そうに違いない。
 ミズナは僕に至らないんだ。「うちら」のシーソーはいつも僕の方ばかりに傾いている。そんなの、本当の「うちら」じゃない。
 一人酒に溺れる部屋で、僕はミズナへの思いを怒りを込めて叫んでいた。

「ちきしょう! あの乱痴気ホスト狂いがよぉ! 散々っぱら人様に金使わせて世話させといて最後はバックレかよ! ずいぶん良い根性してんじゃねーか、あぁ!? 僕の金がアレか、ミズナのお給金になって、それでホスト通って、お給金がおちんちんに変わる訳だぁ! 今頃ホストとハメハメしてんのかあぁ!? たっかい声であんあん喘いでるんだろうなぁ……だったら僕にもヤラせろよぉ! チキショー! なーにが置いてかないで、だ! なーにが見捨てないで、だ! 人のことをゴミみてぇに捨ててんのはテメェの方じゃねぇか! この現役売女の淫乱狂いのゴミ人間がよぉ! あああああー!」

 ビールを一息に呑み、握り潰した空き缶を壁に向かってぶん投げると、床に積まれた空き缶の上へ空しい音を立てて落ちて行く。その拍子に蝿がブンと舞い、大きなひまわりの種みたいなゴキブリが数匹、積まれた缶の隙間から這い出て行った。けれどそれをわざわざ追い掛ける気力も、理由も僕にはない。
 もう、だめだ。こんな精神状態で生活をしていたらきっと僕は破綻してしまう。
 そう、最初っから分かっていた。こんな女々しくてブサイクな僕がモテるはずもないってことを。こんなハニーリングなんかに、何の力もないってことも。
 多額のお金が出て行ったけれど、少しの夢が見れただけでもこの指輪に百円の価値はあったんだろう。
 結局の所、例えそれが真実のような嘘であろうとも、僕はミズナを待つだけの信念や体力など持ち合わせていなかったのだ。いくら待とうともやって来ない相手を待つだけの自分自身に、疲れ切ってしまったのだ。窓を開け、酒井商店で買った指輪を暗闇に向かって放り投げた。その後すぐに、週末にミズナに会って形だけの別れを切り出す覚悟を決めた。

 週末のシエンタはかなり混んでいて、指名をしてもミズナはすぐにやって来なかった。けれど、その姿だけは確認出来た。遠くのテーブルで笑うミズナはなんだか寂しそうで、それに何だかずいぶんと痩せたように見えた。
 三十分も経った頃になってやっとミズナがやって来た。彼女はやっぱり以前に比べてずいぶんとほっそりしていた。

「やっぱり正ちゃんだった……来たんだ……」
「うん。話したいことがあって」
「なんか……嫌だ。怖い、聞きたくない」
「ごめん、もう嘘はつかなくっていいよ。今まで、ほんの一瞬でも気負わせてしまっていたなら、ごめんよ」
「え……? 何が?」
「いや、もういいよ。楽しい時間だったよ、ありがとう」
「なんか色々と勝手に決めつけてるけど、どういうことなの?」

 この女、そこまでして金が欲しいんだろうか。やつれるまで働き詰めて、どうせまた通い始めているであろうホストで借金を重ね、また働いて、その金の為に自分自身を騙して人を騙すだなんて。
 僕は真っ白なワンピースのドレスで飾られたミズナがとても哀れで貧相な人間に思えて来て、本当にいつかまともな人間になって欲しいと切に願い始める。
 そう思うと、やっぱり僕は馬鹿だけれど、この子のことが本当に好きなんだって実感して、なんだか無性に悲しくなった。

「ミズナ……ごめん、もう行くよ」
「え? 待ってよ。まだ、席に着いたばっかりじゃない」
「もういいんだ。最後は笑って別れようぜ? な? 今日で「うちら」は解散! ミズナ、元気でやれよ!」
「ちょっと、待ってよ!」
「すいません、チェックでお願いします。ミズナ、どうか……まともな人間になってくれよな」

 ボーイに投げつけるようにして金を払い、僕は背後を振り返らずに薄暗い通路を進んで行く。見送りの為に背後についていたミズナだったが、一瞬振り返ると厨房の方へ消えて行った。そっか、もう金の出ない打ち出の小槌なんかに用は無いよな、そうだよな。
 そう思いながら地上階に出る為の店の階段を上がろうとすると、背中にドンっと重たい衝撃を感じた。一体何が起きたのか分からないでいると、いつの間にか背中にぴったりとくっつくミズナの姿があった。僕に甘えているつもりなんだろうか。「もういいんだよ」と声を掛けようと口を開き掛けた途端、背中に激痛を感じた。あまりの痛みに僕はその場で倒れてしまった。
 血の気を失くした顔のミズナが、倒れた僕の上に覆いかぶさる。真っ白で可愛らしいワンピースのドレスは真っ赤な返り血で染まっている。
 これは、きっと僕の血だ。

「正ちゃん、私を見捨てないって言ったじゃない。私を置いていかないって約束したじゃない」
「ミ……ミズ……痛い」
「ねぇ、正ちゃん? 「うちら」は解散なんかしないよ? ずっとずっと一緒なんだよ? だからね、正ちゃんを永遠にするの。だって、あの指輪は本当だったんだもん。嘘なんかじゃなかったもん。私を変えてくれた正ちゃんに出会えたんだもん。痛いよね? でもすぐ楽になるから、そしたらすぐに一緒にいられるようになるよ? 会うのが我慢出来なかったんだよね、待たせちゃってごめんね。ちゃんとしっかりしてから正ちゃんに会いたかったの。ちゃんとしてからお話したかったの。ちゃんと笑って、正ちゃんに追いついたよって言いたかったの。でも、もう大丈夫だよ」

 背中の痛みが、何度も何度も胸を突き刺す激しい痛みに変わる。視界がぼやけ始めるが、ミズナはとても嬉しそうに笑っているのが見えている。

「いろんなお話、いっぱいしようね。もうすぐだからね」

 何度も何度も、胸の辺りに鋭い痛みが突き刺さる。胸の痛みが身体中の神経を這いずり回り、足の裏までガンガン響いて来る。息が出来ず、空気が漏れ続ける肺が萎んで行くのが自分でもハッキリと分かる。これは数秒の出来事なのかもしれないし、もう何分も経っているようにも思えて来る。段々と麻酔を打たれたように身体中から痛みが引いて行くと、今度は視界が失くなり始める。しかし、不思議と聴覚だけはハッキリとしていて、喧しい店内のビートが耳と心をひりひりさせる。

 ぼんやりした視界の中で、ミズナが僕の身体から何かを引き抜いた。
 次の瞬間、止めに入ろうとする数人が辿り着く前に自らの首にそれを当て、躊躇なく一文字に掻っ切った。ミズナの首元から噴き出したものの温かさを顔に浴び、その感じながら僕は静かに目を閉じる。
 これでもう、何も心配することがなくなった。僕はとても幸せだ。
 いや、「うちら」は世界で一番の、幸せ者なのだ。



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【あとがき】

お楽しみ頂けましたでしょうか。
相も変わらず気持ちの悪い話を書くのが好きです。
酒井商店シリーズは今後もまだまだ続いていきますのでマガジン登録して頂けたら幸いです。

「こんな道具を使ってみて欲しい」など、アイデアがあったら是非コメント欄にお書きください。

それでは、また。

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