サッカー以外にやりたいことのなかった少年が「あの試合」をきっかけに大学で外国語を学ぶまで。
小さい頃からの夢をそのまま叶えられる人は、いったい世の中にどれくらいいるのだろうか。
例えばサッカー選手。今も昔も「こどもの将来の夢ランキング」では必ず上位に君臨する「サッカー選手」だが、実際にプロ選手になれる人はほんの一握りだ。ましてや日本代表や、海外のクラブチームでプレーする選手だなんて、ほんのひとつまみ、いや、下手すると塩一粒くらい?
ある日その子たちに「たぶん選手は無理やな」と思う瞬間がやってくる。それは怪我などの身体的な理由だったり、経済的なものだったり、他にも様々な事情があるだろう。だけど今まで、好きで好きでサッカー以外にはないという濃密な時間を過ごして来たのだ。夢を諦めたその子たちの情熱は、一体どこへ向かっていけばいいのか。
かつての息子もそうだった。
「サッカー以外でやりたいことって言われてもわからへん」ほんの3年前まではそう言っていた。そりゃそうだ。高校までサッカーしかやって来なかった。サッカーを中心に彼の人生が回っていたのだ。いきなり、他にやりたいことないの?って言われても。
そんな息子が変わったのは、あの試合がきっかけだった。
2019年8月のイングランドプレミアリーグ。リバプールFC 対アーセナルの試合だ。試合が行われたのはイギリス・リバプールFCの聖地アンフィールド・スタジアム。
その試合の話をするのには、2002年の日韓ワールドカップまで遡る。(だいぶ遡るな)申し訳ないのだが、サッカーを巡る時間の旅にしばしお付き合いいただきたい。「付き合いきれへんわ!リバプールの試合のことだけ知りたいねん!」という方は聖地アンフィールドへの段落へスキップしてくださいませ。
2002年日韓W杯
2002年といえば、日韓ワールドカップイヤーである。サッカーをよく知らなかった私たちまで、ベッカムにときめき、九州の中津江村にカメルーン代表が来るのかどうかハラハラし、トルコ戦での敗退に涙したのだ。少年は、その時私のお腹の中で腹を蹴りまくっていた。外側から目視できるほどの足の存在感。とんでもない脚力だ。「サッカーやらしたらいいんちゃう?」って冗談で言っていた。
冗談ではすまなかった。彼はサッカー少年になった。しかも本気のやつだ。
サッカー少年の出来上がり
人が夢中になると、あんな感じになるんだ。息子は頭の中にサッカーボール詰まってんちゃうか、というくらいサッカーのことしか考えていなかった。小学3年生から電車を乗り継ぎ週5日、外部のサッカークラブに通っていた。週5日だよ。
後の週2日は英語に。なんで英語かというと、本田圭佑が海外のクラブチームに移籍する時に外国語で会見をしていたから。海外でサッカーするなら外国語も必要やで。まずは英語。と言ったらすんなり英語を学ぶようになった。サッカーって言えばなんでもするんかい!
雪が降り、大人なら一歩も外に出たくないような日でも、息子は当たり前のように玄関でシューズを履いていた。小さな息子の背中を「行ってらっしゃい」と見送る朝5時。
サッカー少年の挫折
その瞬間は急にやってきた。中2の頃だ。
サッカー特有の足の怪我だった。成長期とも重なり、1ヶ月ほどのドクターストップがかかった。サッカーができないイライラと反抗期が同時にやってきた。台所で言い合いになり、押されてバランスを崩し、調理中のフライパンの中身をぶちまけてしまったこともある。その時私が学んだことは、「余計なことは言わんとこ。本人の好きなようにさせよう」だった。じゃないと食材がもったいないもん。
怪我は治り、またサッカーもできるようになったが、その頃から「サッカー選手になる」という選択肢はなくなっていたのだと思う。チームメイト達がサッカーで進学する高校を決めて行く中、息子が選択したのは普通の高校だった。
高校進学後最初の三者面談で、進路のことを聞かれた。息子は何も答えられなかった。
私は帰り際に「何か他にやりたいことはないの」と聞いてみた。
息子はポツリと答えた。
「サッカー以外でやりたいことって言われても、わからへん」
サッカー以外でやりたいことがわからへん…だと?
その言葉で私の魂に火がついた。
「お前を、イギリスに連れて行く!本場のサッカーを見せたるわい!」
そして1年間、私はむちゃくちゃ働いた。節約もした。本業のドレス制作とウェディング事業だけだと安定しないので、多い時で副業アルバイトも3つくらい掛け持ちしてたな。副業とはいえ業種は全部ウェディングとアパレル関係だったのでちっとも苦にはならなかったんだけど。
それよりも一番苦労したのは、イギリス・プレミアリーグの試合のチケット入手だ。
息子が見たいのは「リバプールFC」だと言う。ただでさえ大人気クラブの上に、前シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで優勝したこともあって、チケットは争奪戦。しかも地元の観客や観覧履歴のある人が優先されるので、外国人の旅行客はまずチケットが入手できない。
色々調べて行き着いたのが、リバプールサポーターズクラブ日本支部 だった。
まずは、本国のリバプールのファンクラブに入会し、日本支部に入会し、様々なやり取りを経て、そして最終的には息子ひとり分だけ、なんとかチケットを入手できたのだった。
聖地アンフィールドへ
ここで最初に断っておきたい。アンフィールドまで行ったのに「あの試合」を私は観ていない。リバプールFC 対アーセナルの試合だ。その試合を観たのは息子だけだ。
チケットを入手できたのは息子の分だけだったが、それでも私だって宿泊していたスタジアムにほど近いB&Bのパブで、地元サポーターと一緒にテレビで観戦することはできたはずだ。
でもしなかった。なぜか。
時差ボケで少し仮眠するだけのつもりが、そのまま爆睡してしまったからである。階下のパブの騒ぎを、おそらくゴールの度にあがる歓声を夢うつつで聴きながら、私はただ眠ってしまっていた。なんともったいないことを!
やっと起きたのは試合が終わった後。外の気配で試合が終わったのを感じ、階下に降りてみた。一階のパブの中はまだ興奮した人達で賑わっている。
外に出ると、サポーターたちが通りに溢れかえっていた。
息子は上気した顔で帰ってきた。
第一声は「勝ったで!」だった。3対1で、リバプールが勝ったらしい。
そこはまず勝ち負けなんやな、とクスッとした。でも私としては、勝ち負けなんてどうでもよくて、目がキラッキラの息子の笑顔を見れただけで十分だった。
あの「サッカー以外でやりたいことって言われてもわからへん」と言った時の乾いた目は、もう二度と見たくない。
試合、見れてよかったね。
その夜は、疲れたのか、晩ご飯も食べずに息子は眠ってしまった。
眠る前にポツリと「俺、リバプールの試合見たんやなあ…」と呟いていた。
サインボールを枕元に置いて寝るなんて、サンタのプレゼントか。たしかにその寝顔は、サンタを待っていた小さい頃とちっとも変わっていない。
やったぜ私、めちゃくちゃ働いた甲斐があったぜ。
その試合をきっかけに
その試合が息子に大きな影響を与えたのは間違いない。けれども試合だけでなく、それにまつわる人との交流や体験もまた、意味があったように思う。
息子は試合の直前に、前述の「リバプール サポーターズクラブ日本支部」のメンバーたちと合流していた。
同じく日本から来たリバプールファンたち。大学生もいれば、社会人もいる。彼らと共に、テレビ番組でも取り上げられた「フードバンク」というボランティアにも参加したようだ。(リバプールのフードバンク協会のTwitterより。左端が息子)
普段は出会うこともない、年上の、好きなことで繋がれた人たち。みんなそれぞれ、お金を貯めたり、仕事をしながら試合を見に来ている。メンバーの一人に言われたらしい。「次は自分の力で来たらいいよ」
次は自分で来る。
息子は決めたようだった。
帰国して息子はすぐに進路を決めた。国際交流や海外に関わる仕事をするため、外国語を学ぶことにしたのだ。
コロナ渦での受験勉強
もともと、英語だけは得意だった。海外でプレーする選手達は語学も堪能であることが、息子が英語を始めた動機だった。それもこれも、サッカーのおかげだ。
コロナ渦の休校中、息子は人が変わったように猛勉強を始めた。部活ができないのでサッカーか勉強かを迷う必要もなく、ただひたすら勉強していた。その後、高校総体(インターハイ)の代替大会が終わる8月までサッカーを続け、あとはまた受験勉強に専念した。
我が子ながらよく頑張っていたと思う。サッカーの練習にひたすら打ち込んで来た体験も役に立った。
「甘さを捨てれる」と、息子は言った。
勉強をしているうちに、さらにやりたいことが明確になってきて「スペイン語かポルトガル語が勉強したい」と言い出した。スペイン、アルゼンチン、ブラジル…。サッカーの強豪国はスペイン語やポルトガル語を話す国が多い。どうやらサッカー関連での起業も視野に入れているようだ。
その後
息子は現在、大学でスペイン語を学んでいる。
「え、大学生ってこんなに勉強するんやったっけ? もっと遊べるイメージやったわ」
と言いながら、真面目にオンライン授業を受けている。
「できるだけ早く海外に行くように」
そう言われたらしい。
海外どころか、今は大学にすら行けてないけれど、きっといまだけの辛抱だ。未来を信じてがんばれ若者たち。
私は密かにまた貯金を始めた。
スペインかあ〜。サグラダ・ファミリアとグエル公園は必須だよね。
ちょっと待って、スペイン語圏だったら、メキシコもいいな。フリーダ・カーロの「青い家」も行ってみたい。
もちろん、息子にこっそりついて行くつもりだ。
行きたい場所や、やりたいことがあるって、ほんとうに素晴らしい。
若者達よ、よい旅を!
¡Ten un buen viaje!
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!