居場所は「好き」でつくられる 兵庫・豊岡のちいさな図書館「だいかい文庫」で感じたこと
文学は、生きるためにある。
本や文学にできることはまだまだあるし、文学はやっぱり、生きるためにある。とあらためて感じた「ブンガクのまち」城崎と豊岡の旅。
その思いをいっそう強くしたのが、豊岡の「だいかい文庫」との出会いだった。
だいかい文庫とは
「だいかい文庫」とは、ちいさなシェア型の図書館のことだ。ここでは本を借りたり、買ったり、カフェとしてコーヒーを飲むこともできる。どうやら医療福祉の相談所でもあるらしい? カフェはわかるけど、医療の相談所って、どういうことだろう。
手書きの文字と、本棚、あたたかみのある店内の「だいかい文庫」は、兵庫県北部・豊岡市の商店街のなかにある。
本棚とザ・スミスに惹かれて
店先で、まず本棚にひきこまれた。わたしは本屋や図書館などの、本がずらりとならんでいる場所がとにかく大好きなのだ。(通信制大学で文芸を学び、副業として図書館につとめるくらいには)
夫は夫で、正面の棚の「ザ・スミス」の本に目が釘付けになったらしい。モリッシーと目があっちゃったのね。そりゃしかたないよね。なんたって夫はザ・スミスのバンドTシャツをバンドで買うくらい好きなんだから。
ふたりの興味関心が一致し、店内のようすがガラス張りで見えるのも安心感があって、わたしたちはなかに入ってみることにした。
本棚のオーナーになるということ
なかに入ると、席でひとりの女性が静かに本を読んでいた。本棚の本はここで読むこともできるし、図書館のように貸し出しも可能だ。
正面の壁に作りつけられた本棚は、よくみると「一箱」ごとに仕切られている。そして一箱ごとにオーナーが異なる。音楽が好きなひと、本好きなひと、絵本、映画館のオーナーさんの本…それぞれに個性が現れていて楽しい。月々2400円から誰でも一箱本棚のオーナーになり、好きな本を置くことができるのだ。
本棚はおもしろいくらいにひとの性質をあらわす。ああ、旅が好きなんだなとか、アートが好きなんだなとか、旅の行き先と読んでいる作家の傾向から「なるほど、こっち系ね。わかるわかる。わたしもそうだもん」とか、「ああ、このひととわたしたぶん友達になれそう」なんて思ったりする。枠で仕切られた個人の小宇宙をかいま見れるようで楽しい。
夫はさっそく「ザ・スミス」棚の本をじっくり読みこんでいた。他の本もイギリスの音楽に関するもので、夫が好きそうな本ばかりだ。そのひとと友達になれそうだね。
「だいかい文庫」には、交換日記のような交流ノートもあるし、本棚のオーナーに手書きの個別メッセージを書くこともできる。自分の好きな世界観を本棚でつくり、同じことが好きなもの同士でゆるくつながる。そう考えると、本棚は「居場所」だと言えるのかもしれない。
医師が作った居場所としての「図書館」
その日のお店のお当番の方に、お店について聞いてみた。なんとこのだいかい文庫の店主はなんとお医者さんなのだという。そして、その医師がコーヒーの屋台を始め、それがこの図書館につながったのだと。んん? お医者さん、屋台のコーヒー、図書館? なんだかいろんな情報がありすぎてつながらないぞ。どういうことだ。
話をよく聞くと、こういうことだった。
なるほど、だから「だいかい文庫」は医療の「居場所の相談所」でもあったんだ。
さらに「だいかい文庫」からのお便りにはこう書いてある。
「できることはいっしょに悩むくらいかも」っていうことがいいなと思った。それってけっこう大事なことだ。子育てで育児ノイローゼみたいになったとき、話を聞いてもらえただけで楽になったことがあったのを覚えているから。
社会的処方ってなに?
わたしはだいかい文庫で、社会的処方(social prescribing)という考え方があることを知った。
たとえば井戸端会議だとか、商店街でのおしゃべりだとか、となりの家を気にかけてお互い声をかけあったりすること。そんなささやかなことがひとの「居場所」になったりする。そんな「地域のつながりを処方する」という考え方が、とても素敵だと思った。
居場所は好きなことでもできているのではないか
ただ、「地域」と聞いてわたしには少し引っかかるところもある。わたしはいわゆる「地方の田舎」出身だが、かつてそこには10代の頃のわたしの「居場所」はなかった。
当時の田舎は、めちゃくちゃ頭がいいか、もしくはスポーツができるひとが優位に立てるような世界だったので、本が好きで、絵を描くことが大好きで、芸術に興味のあるわたしの居場所はどこにもなかった。その頃のわたしの居場所は「本」や「物語」、そして自分の心のなかだけにあった。いま思えば、それが創作の原動力になっていたとも言えるけど、芸術系の短大に入って、同じものを好きなひとと交流ができることで、やっと自分の居場所ができたような気がした。
つまり居場所は、現実の地域のつながりだけじゃなくて、「好きなこと」のつながりでもできている。リアルで近距離のコミュニケーションよりも、案外そっちのほうが大切ってこともある。そういう意味で、ネット環境によって「好き」でつながりやすくなった今の時代は、「どっちのつながりもどっちの居場所も」持つことのできるいい時代だといえるのかもしれない。
「だいかい文庫」は好きな本や本棚をシェアするという絶妙な距離感(守本氏いわく中距離のコミュニケーション)での「好き」のつながりと、リアルな地域のつながり、両方で「居場所」をつくる、ハイブリッドなものすごいこころみなのだと思った。この居場所感は強い!しかもカフェも医療の居場所相談もついてくる!最強だ。
医師ではないわたしにできることはなんだ?
そこで考えるのは、医師でもない、コーヒーも淹れられないわたしにできることはなんだろうってことだ。
わたしはいまnoteで好きな「ドレスのこと」や「旅のこと」や「学びのこと」を書いているけど、同じようなものが好きなひとと共感しあえ、ゆるくつながれたと感じられたときは、やっぱりものすごくうれしい。
そして、いつかその学びの先に、かつて10代のわたしがそうだったような「本」や「文学」という居場所がつくれたら最高だと思っている。
「本」や「文学」がつくる居場所は、けっして一方的なものではないと思うのだ。自分を楽しませ、元気づけ、ときに救いや支えになってくれる。わたしはなんどもそんな経験をしてきた。本とひとはいっしょに成長し、そのときどきの自分でまた新たな交流ができるものだと思う。
いつか自分にもそんな本をつくることができたなら、だいかい文庫の本棚のオーナーになって、10代のときにわたしの支えになってくれた本とともに、本棚に置かせてもらおう。
10代のときに夢見がちだった少女は、ずいぶん大人になっても相変わらず夢見がちなままで、でもけっこう本気で、いつもそんなことを考えている。
▼店主守本氏のnote
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