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「答えが向こうからやってくる感覚」を味わうには

あることに悩んでいて、本を読んでも答えが見つからず、考えをやめて別なことをしていた時に答えがひょっこり現れる。誰しもそんな体験をしたことがあると思う。

週末の大学の授業で取り上げられた鶴見俊輔の『文章心得帖』にもそのようなことが書いてあった。

まったく違ったことをしているときに、こっちのことが思い浮かぶという、ジャンルの転移は、おそらくだれにとってもあるんじゃないでしょうか。それは、ある程度一般的な心理学の法則じゃないかと思います。一所懸命そのことにかかっているときには、案外できないで、それを全部忘れて別のことをやっているときに思い浮かぶ。その感覚は言葉で言えるような感覚じゃない。 鶴見俊輔『文章心得帖』ちくま学芸文庫、2013年、163頁

それがまさに、今週末の授業中にやって来た。うわあ、解決しちゃったよ。ついでに今書こうとしていた別の科目の論述にも使えそう。ってことで、それについてはもう一冊本を読んでから近いうちにnoteにまとめますね。

で、その「答えが向こうからやってくるとき」ってなにか条件があるのだろうかと考えてみた。

いっかい脳をクタクタにする

スクーリング(大学の集中対面授業)を終えた月曜日の朝はなぜか体重が減っている。食べ過ぎると眠くなるから集中するためにあえて少食にしているのと、たぶん脳がだいぶカロリーを使っちゃってるんだと思う。授業の帰りに一緒だったクラスメイトも「なんか将棋の対局終わったあとみたいですよね」と言っていた。わかるわ〜、棋士がダイレクトにブドウ糖を補給しながら対局する感じ。対局したことないけど。

それもそのはず。今回の2日間の授業はこんな感じ。

1日目、3講時「講義」 4講時「600字エッセイを執筆」 5講時「講評」 2日目に書くエッセイのお題が与えられる

2日目、1講時「事前講義」 2講時「800字〜1200字エッセイを執筆」 3講時「講評」 4講時「講評」 5講時「講評後、エッセイを清書して提出」

1日目はともかく、2日目のエッセイが試験になるので単位に直結する。1日目の帰宅後が勝負だ。京都の大学から神戸の自宅までは片道2時間かかる。つまり帰宅して家を出るまでの一晩で、睡眠時間も含めて11時間以内にエッセイの下書きをしてくる必要があるのだ。かといって睡眠不足だと2日目の授業にさしさわる。

うわ〜、焦る。と、思いながらワクワクしている自分もいる。ダラダラ時間が与えられているよりもパッと区切られたほうが私の性に合っている。

お題を出された瞬間に書くことは決まったので、その方向性で問題の意図とずれていないか、そのために必要な情報を(一晩で)調べるのはどうしたらいいかだけを講師に確認して帰宅。帰りのバスと電車で、構想を練り、スマホで調べものや事実確認をしておいて、家に帰ってから一気に書き上げた。寝る前に二度ほど推敲をして一晩寝かせる。(5時間睡眠)

朝4時半起床。一晩寝かせておいたエッセイをもう一度推敲し、プリントアウト。プリントアウトしたものをまた推敲し、大学へ。道中では別の本を一冊読み終え、さらに『文章心得帖』を読み返す。

わたしの脳、けっこう頑張った。

答えがやって来た

そうしてむかえた2日目の授業で、「答えがやって来た」わけだ。むこうからトコトコ歩いてやって来た。「よっ」って、気楽な感じで。

さて、エッセイは無事書き終わることができた。クタクタだ。書いてても手汗がすごくて、原稿用紙にくっつくくらいだった。とにかくやりきった。

考えて考えて、いっかい脳をクッタクタにしてから、ふと別のことをしていてゆるめると、答えやひらめきがやってくるようだ。

その感覚を味わうには、時々脳に負荷を与えて追い詰めてやることが必要なんだと思う。キツいけど。

まとめないという書き方

そしてもうひとつ、今回の大学の授業ですごくいい答えをいただいた。

わたしの書いたnoteに関して、別のSNSで知らない人に「最後のまとめが尻つぼみ」みたいな評価をされていた。ほっとけや。「ま、最後まで読んでくれたってことやん」と気にしないふりをしながらも、やっぱり気になって、まとめてみたりもした。けどなんかしっくりこない。

だけど今回の授業で先生が、「書きたいことを書き尽くしたら、終わりは無理にまとめようとしなくてくてもいいです」とおっしゃっていたので、これからは無理にまとめないことにした。 


これは大学校舎の出口から見える景色。どしゃ降りのあとのひかり。

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