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衣服の持つ宿命を背負って 石内都展とわたしの「ひろしま」

見に行くのに覚悟が必要だった。

先月まで西宮市大谷記念美術館で開催されていた「見える見えない、写真のゆくえ」石内都展 だ。

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石内都 写真家 1947年群馬県生まれ。染織を学んだ後、独学で写真技術を習得した石内は、独自のモノクロームの写真表現で1979年に木村伊兵衛賞を受賞。以後、身体にのこる傷跡、母親の下着や口紅といった遺品などを撮ることで、目には見えない「時間」を写真に写しこむ試みを続けてきた。代表作に原爆による被害者の遺品を写した「ひろしま」、フリーダ・カーロの遺品を被写体とした「Frida Love and Pain」などがある。

今回の展示では、初期の横須賀の作品を始め、「ひろしま」「フリーダ・カーロ」のシリーズなど、今までの代表作や最近の作品が展示されるようだった。

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わたしはすでに「ひろしま」のシリーズを、2008年に広島市現代美術館で見ていたが、もう一度「ひろしま」を見るにはすこし覚悟が必要だった。

「ひろしま」は、石内都が広島平和記念資料館の依頼により、作品として原爆の犠牲者の遺品の「衣服」を撮影したシリーズである。

石内は広島平和記念資料館に保管されている遺品のなかから、肌身に直接触れた品物や女性が着たものを中心に選び、東京から運んできたライトボックスにそっと乗せて撮影していった。

原爆被害者の遺品となった衣服、花柄のブラウスや、水玉のワンピース、補強と飾りを兼ねた手縫いのステッチ、赤いボタンをあしらわれたかわいい子供服。もし、それらが原爆の犠牲者の遺品ということを知らされていなければ、戦時下の人々のささやかながらもできる限りお洒落を楽しんでいた様子を知り、微笑ましく思ったことだろう。すべて手作りか、お仕立てのもの、手で繕われたものだということがわかる。光に透けた服たちはとても鮮やかで、美しかった。しかしそれらは、その服のなかでこと切れたひとたちの、からだの跡でもあった。

広島に生まれて

広島県で生まれ育ったわたしは、原爆の悲惨さ、核兵器の恐ろしさ、平和の大切さを小さい頃から教わってきた。8月6日の原爆記念日は登校日で、みんなで黙祷をささげる。そして恐ろしい体験記や資料で戦争の悲惨さを学び、二度と愚かな戦争を繰り返さないことを、幼いながらも心に誓ったのだ。(その8月6日の登校日が、全国的なスタンダードでないことは、大きくなって広島県を離れてから知った。)

広島平和記念資料館にも行き原爆の悲惨さを学んできた。しかし、どんな悲惨なものを見るよりも、遺品である衣服を見ることのほうが、圧倒的に苦しく、おそろしかった。なぜなら衣服に、ひとが見えるから。さっきまで、ささやかでも工夫をしておしゃれをしたり、誰かのために作ったり繕ったりしていたひとたちの日常がみえる。原爆の犠牲者約二十数万人という数字じゃなくて、それぞれにひとびとの暮らしがあったことがわかる。

わたしは今、ドレスのお直しやリメイクを仕事にしている。「ひろしま」を最初に見た当時はまだアパレル企業の会社員で、人の着た衣服を実際に直した経験が少なかった。10年以上たった今では、いろんなことがわかりすぎてしまって見るのが苦しくなるのではないか。それが怖かったのだ。

服を直していると、いろいろなことが手に取るようにわかってしまう。着ていた人の身体の特徴はもちろん、行動のくせ、生活スタイル、職業、場合によっては着脱やお手入れの仕方で性格までわかるときもある。人の記憶が、服に残るからだ。身体の記憶も。

けれども、今のわたしで、やはり見ておきたかった。これからわたしが言葉で表現しようとしていることにも関わることだから。

二度目に見た「ひろしま」はやはり悲しく、苦しかった。けれどもわたしの心の中に、強い使命感のような気持ちが生まれてきていることにも気がついた。

わたし自身が表現者として、服とことばでできることもあるはずだと。


名前のないドレス

改めて目に止まった写真もいくつかあった。

赤いバラ模様の防空頭巾。顔まわりにバラ模様がきて華やかになるように、工夫して裁断され、作られたものだろう。それがあちこち破れ、なかから白い綿が出ている。白い綿の隣にある赤いバラの色にドキっとする。

子供服には配色で赤いボタンが施されている。我が子を思って、縫い付けられたボタンや名前。わたし自身も子どもの服を作ってきた。それを母親の視点で見ると、かなりくるものがある。

そして、それらの衣服には、それぞれ着ていたひとの名前が記されていることに気がついた。

そのなかに、名前のわからないドレスが2着あった。

光に透ける水玉のワンピースと、ピンクの小花模様のワンピース。


「記憶の博物館」

わたしがこのnoteを書こうとしていたときにちょうど、元広島平和記念資料館館長で、広島大学教授の志賀賢治氏のエッセイを読む機会があった。『原爆がもたらしたもの、奪ったものー「記憶の博物館」の軌跡と課題』(博物館研究8月号)の中に、広島平和記念館のなりたちと、その「遺品の名前」についての記述があったので、記しておきたい。

広島平和記念館の初代館長となったのは、鉱物学研究者の長岡省吾だったという。長岡は被曝の翌日、原爆ドームの向かいの神社の境内で狛犬の台座の異常な変化に気づく。花崗岩の表面が溶けて棘立っていたのである。この変化をもたらした爆弾が従来のものとは全く異なると考えた彼は、破壊の痕跡をとどめた石、瓦片、ガラス瓶などを収集し始めた。次第に協力者も現れ、広島市長の目にも留まることとになる。そして市長は研究活動の支援と暫定的な展示施設を用意する。それが広島平和記念館のはじまりだった。

 長岡が集めたのは、熱線によって科学的な変化を起こしたものだけではなかった。いつの頃からか原爆の犠牲となった人々の遺品を遺族から譲り受けるようになってもいたのである。収集の協力者は、必ず所有者の氏名を記載するよう指示を受けていたそうである。(中略)鉱物研究者として兵器の科学的探求を開始した長岡ではあったが、このとき既に犠牲者の記憶を残すことも心に決めていたようだ。志賀賢治『原爆がもたらしたもの、奪ったものー「記憶の博物館」の軌跡と課題』(博物館研究8月号)

近年、「被爆者の視点」で原爆の日を描くことに軸足を置いた資料館は、従来型の熱線、爆風、放射線による人的被害という「原爆がもたらしたもの」を前面に押し出した展示から、原爆が「奪い去ったもの」を展示の中心に据えることになったという。おそらくこの方針の一環のなかに、もしくはその方針に影響を与えるものとして、石内都の「ひろしま」があったのではなかろうか。

原爆が奪い去ったものは、石内都が写真で表現したような、人々のささやかな暮らし、家族の時間、手作りやお仕立てのお洋服でおしゃれする気持ち、その愛すべきひとびとの営み、その存在のすべてだ。そして名前までも。

この残されたモノ達に万感の想いを込めて、何ひとつとして記録のない(資料集めの初期の遺品)誰のものかまったくわからない2着のワンピースへ、美しき乙女の姿態を重ねながら、この写真集を上梓する。 石内都『ひろしま』集英社、2008年

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ふたつの宿命を背負って

服はひとのかたちをしている。それゆえに重く背負っている宿命があるように思う。特にお母様のウェディングドレスのお直しなんて、よく考えてみたらわたし、ものすごく重たいことをしているものだ。

遺品を写真に撮るということを、石内都はどのような気持ちで行なっているのか興味があった。すると写真集「ひろしま」の中にこのような一文があった。

今、私にできることは、眼の前にあるモノ達と共有している空気にピントを合わせ、その場の時間をたぐり寄せながらシャッターを押すだけだ。 石内都『ひろしま』集英社、2008年

ああ、繕うこともいっしょだなと思った。眼の前にあるドレスと共有している空気にピントを合わせ、時間をたぐり寄せながら縫うだけなのだ。


そして、私のもうひとつの宿命は「ヒロシマ」だ。広島県に生まれ育ち、小さい頃から平和教育を受けていながらも、今その場所にいないと、少し薄れるというか、発言を控えてしまうというか、そういうところがある。しかし私の心の根っこの根っこには、戦争への嫌悪感と、強い平和への思いがある。

アレクサンダー・マックイーンが自らのルーツであるスコットランドや、虐待される女性や弱き者たちを創作の背景にしていたように、アンゼルム・キーファーがドイツの歴史を背負っていたように、そして石内都が母親の遺品やからだに残る傷跡を作品のテーマにしたように。

わたしもひとりの表現者として、直接的になるのか間接的になるのか、どういうかたちになるかはわからないけれど、服とことばで、「ヒロシマ」に向き合っていきたいと思った。

それが、わたしが文章を書くことを学んでいる理由のひとつでもある。


最後に

ここまで長く重たい話に付き合ってくださり、ありがとうございます。

最後に、今、文芸の勉強をしている京都芸術大学の、藝術学舎設立の理念より。

芸術の運動にこそ人類の未来がかかっている。「戦争と平和」「戦争と芸術」の問題を、愚直にどこまでも訴え続けていこう。『藝術学舎設立の辞』徳山詳直



わたしは愚直に創り続け、書き続けます。 

2021年8月6日 黙祷



参考文献

・石内都『ひろしま』集英社、2008年

・志賀賢治『原爆がもたらしたもの、奪ったもの ー「記憶の博物館」の軌跡と課題』 「博物館研究」8月号、巻頭エッセイ

・鷲田清一「〈衣〉の無言」 集英社、『ひろしま』栞より

・柳田邦男「風化を拒否する表現」 集英社、『ひろしま』栞より

・井上ひさし「より鮮明になる記憶」 集英社、『ひろしま』栞より

・大辻都「アートとしての論述入門」藝術学舎、2017年




ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!