見出し画像

夫婦喧嘩は絆を深めるのか

私が幼い頃、父と母は頻繁に喧嘩していた。
一週間に数回は近所中に怒号が鳴り響くほど喧嘩していた。

喧嘩の要因はそれぞれだ。
父が酒を飲みすぎたり、母がヒステリックになったり、家族旅行中に道に迷ってしまったり、私が食事を残したことなどだったりと、小さなことから大きなことまであらゆることが夫婦喧嘩の火種になった。

夫婦喧嘩にもしレベルがあったとすれば私が育った家庭は相当上級だったに違いない。

一度幼馴染の友人の家に遊びに行った時に彼の親が怒っている現場に遭遇したことがあるが私からすれば「これが本当に怒っているのか?」と思うぐらいに穏やかな家庭に観えたからだ。


けれど不思議なことに私は父と母の夫婦仲が悪いとは思っていなかった

もちろん夫婦喧嘩の現場にいる時は恐怖や息苦しさを感じたし、早く仲直りしてほしいとも思った。

けれど、どんなに激しい喧嘩を繰り広げられようとも、大抵は時間の経過と共にいつもの父と母に戻っていた。

うまく言葉で説明できないが、子供ながら両親がお互いを愛し合っていることを直感的に理解していたからだと思う。

そして家庭を円満にするには時として夫婦喧嘩も必要であるという自分なりの成功哲学を持った。


そして今私は結婚し、3年目を迎えようとしている。

妻と付き合ってきた頃から振り返ってきてやはりこの成功哲学を持っていて良かったと思っている。

もちろんただやみくも喧嘩をすれば円満になると言っているわけではない。


大事なのは喧嘩によってお互いになにを学ぶかである。

というのも夫婦喧嘩の要因は基本的に価値観と価値観のぶつかり合いだ。

洗濯はどう干すとか、旅先でどう過ごすとか、親、親戚との付き合いとか、子供の育て方とか、お互いの育ってきた家庭環境で培った家庭観のすり合わせである。


私達が今も結婚当初と変わらず、円満でいられるのは正しさを主張せず、お互いを変えようとしなかったからだと思っている。

喧嘩の時は感情的になるがその後は誰でも無意識的に反省点を見つけようとする。

その時にやっとパートナーの立場になって考えることができる。

観念が外れ、純粋に自分を客観視できるようになる。

するとお互いの態度に微妙な変化が生まれる。


その微妙な変化をお互いに察知するから夫婦の絆が深まる。

おそらく私の父も母もそれを繰り返してきたのではないだろうか。


日々物書きとして修行中の身です。記事が読みものとして評価に値するならサポート頂けると大変嬉しいです。 ご支援頂いたものはより良いものが書けるよう自己投資に使わせて頂きます。