レオニード貴海
3000字程度までの短めの拙作を集めました。どうぞよろしく。
1000字程度までの短めの拙作を集めました。どうぞよろしく。
ショートショートnote杯に応募した拙作を集めてます。 各話400字程度。
幻覚を見ているのかと思った。 車窓には呆けた顔をした自分の姿が写っている。 『俺』は目を細めた。 雲の下、ぼやけた夕日の遠景を突っ切って二輪を走らせているのは、あれはマイケルだ。 一緒に買った悪趣味な黒と赤のヘルメットを見ればわかる。 「大アホめ」 思わず小さく呟いて巡ってくる記憶をかき消す。 俺たちは困難へ向かっていく。どちらも、どこにいてもただ息をしているだけでも。これまでのようにうまくはいかない。この世界に俺たちの居場所なんかないんだ。 言葉にすると安っ
「引っ越すことになった」 私が言うと、振り向いた彼女の目は火が点いたように一瞬輝き、すぐにまたいつもの色に戻った。シミひとつない、磨き抜かれた黒曜石のような瞳。 「急な話だったんだ」 言葉にしてしまうと、なんだか馬鹿みたいに感じる。必要以上に言い訳がましく聞こえるのだ。私は何度か頷き、仕方がないことを言外に伝えようと試みる。だが彼女はこちらを向いてさえいない。俯いて、怒りを殺しているのだ。肩は震えていない。彼女はいつも雨水を吸い込んだハンカチのようにして怒るのだ。私は最後
エマは受け取った花を瓶に挿し、テーブルの隅に置いた。窓からは曇り空の、午後の淡い光が差し込んでいた。 「貴方の顔を覚えていたのが不思議なくらい」 反対側に座ったリックはわずかに口元を歪め、しかたなさそうに笑った。それからしばらくの間、石のような沈黙が部屋を満たしていた。 「何という植物なの」 「モルフォ草」とリックは言った。エマは怪訝な顔をしてリックの目を覗き見た。 「ずいぶん大きい気がするけど。形も違うわね、私が知るのとは」 「重力が小さいからね」とリックは言った
ロミオはジュリエットを愛していた。しかし、ジュリエットはロミオを愛していたのだった。 「ああ、美しいジュリエット。この想いが、何故届かないのか」 嘆くロミオ。 「おお、麗しきロミオ。私の心は、あなたのもの」 咽び泣くジュリエット。 しかし、ロミオはジュリエットとの婚約を目論んでいた。 「なんといっても、あのジュリエットだ。顔は、あまりタイプではないが、すごい金持ちだ。俺は絶対に働きたくないんだ」 ジュリエットの考えは、ひとつも揺らがない。 「私にふさわしいのは、当然
「もう、こんな時間か」 男は壁の掛け時計をぼんやりと見上げ、自嘲するように薄く笑った。他の客は、皆すでに帰ったようだった。 店主は煙草を吹かしながら向こうを見ていた。吐き出された紫煙が音なく漂っている。 「マスター」 呼ばれると、店主は灰皿で煙草をもみ消した。 「一番きついのをくれ」 店主は短く頷いた。 「ロック?」 男は軽く返事をしたが、すぐに考え直した。 「いや、ストレートで」 店主は男を見た。男は不敵な笑みを作り、店主を見返した。 「大丈夫。あと一杯飲んだら
「犯人は、あなただ!」 名指しされたのはA子。しかし、探偵の推理には欠陥があった。 「それでは、あなたが犯人というわけだ」 B夫はうんざりした顔で、首を横に振った。またも推理は破綻していた。 「なるほど、読めてきましたよ。あなたが犯人ですね?」 C美はネイルを点検しながら、根拠資料の提出を求めた。そんなものはなかった。 「最初から分かっていたんだ。犯人は、あなた以外にいない」 D氏は探偵をぎろりと睨んだ。探偵はハンチング帽を深く被り直した。 「ふう、そろそろ遊びは終い
「うん、いいな」 「ありがとうございます」 男はぱりぽりと、ロシア文学の酢漬けを食べながら言った。 「これぞまさしく『おおきなかぶ』。よきものは、古きもの、だ」 続けて男は、歴史学の和え物を口に運んだ。 「悪くない。ノブナガの切れ味と、ナポレオンの勝ち味が絶妙に合う」 次に運ばれてきたのは、湯気を立てた地質学の煮っころがし。 「いい花崗岩を使ってるな、それから、隠し味は翡翠か」 「さすがです」 「ふふん。まだまだわしも現役よ」 次に用意されたのは、数学の餃子である。
20XX年、地表のほとんどは砂漠化していた。都市は砂塵に埋まり、食物は枯れ、人類は絶望の淵に立たされていた。 「やはり温暖化予測は正しかったのだ。我々は愚かな選択をした」 熱風に運ばれてきた黄色い砂が、博士の顔にべったりと張り付く。 「防護マスクを、博士。肺が焼かれてしまいますよ」 と、博士が突然耳を済ます格好をした。 「む……。おい、君、聞こえるか?」 意識を集中すると、確かに聞こえた。何か巨大なものの駆動音だ。地面を探り、我々は砂地に埋まった入口を見つけた。息を呑
祖母は魔女だった。わけのわからない言葉をたくさん使い、風や森や生き物たちと話をした。 姉たちは、そんな祖母の魔力を色濃く受け継いでいた。 長女のハルは、自然の言葉を使うことができた。風も土も水も火も、彼女の声に耳を傾けた。エレメンタル・バイリンガル。 次女のナツは、動物の言葉を使うことができた。カラスや猫、犬やカエルが友達だった。ワイルド・バイリンガル。 三女のアキはちょっと変わり種で、機械の言葉が使えた。冷蔵庫やテレビ、洗濯機。中古のパソコンを買うときは、彼女の言
正社員雇用問題。業態あるいは規模の要求から、派遣や契約社員のみで事業を継続することが困難な企業は正社員を雇用しなくてはならない。新人ガチャ、と人事部は言う。どれだけ丁寧な面接をしようと、雇ってみるまではわからない。そして一度雇ってしまえば、どれだけ使えない給料泥棒だろうと、そう安々とは首を切れないのだ。 そこで彼ら、「株式会社リストラ」の出番だ。彼らの手にかかれば、邪魔者共は三日以内にいなくなる。百万円と高額だが、トータルで考えれば安いものだ。 「いったい、どんな方法を
オークション会場はいつもにも増して賑わいを見せていた。さまざまな銀河からやってきたいろんな姿の異星人たちが、そこそこ広い会場をひしめき合いながら埋め尽くしていた。 「やあ、今日は珍しいものがたくさん出たな」 「地球人か、変わった連中だ」 いわば遺品整理であった。環境汚染と感染症の凶悪化、格差と分断の拡大、結局止めることのできなかった核戦争によって、地球人たちはほとんどいなくなってしまったのだ。 「お次は私の故郷、日本です。列島はいまや三分の一を残して消滅していますが、いく
私はパネルボードに大きな字で質問内容を書き、彼に見せた。彼は嬉しそうに頷いた。そして私と同じようにペンを動かし、ボードをくるりと回した。 ――聞こえます。 私は頷き、次の質問を書きつける。 ――それは比喩的な意味でしょうか? それとも本当に聞こえるのですか? 彼は穏やかな笑みを顔全体に湛えたまま、次の言葉を綴った。 ――本当に聞こえます。私が迷ったとき、彼女はその音を教えてくれるのです。次に配されるべき正しい音符の位置をです。 彼は聾者の作曲家だ。ごく凡庸な調律師と
「ときには背伸びをしてみることだ。そして気に食わない誰かに、その情けない姿を見られて笑われてみることだ。それであんたは、いくらかましになる。何年か経てば、すっかりまともになっているよ」 セイルズはそう言って、大道芸人がステッキを振り回すみたいにして煙管をくるくると回し、机の上でステップを踏んだ。 「気が進まないね」 私はそう言った。ろくでもない言葉だと自分でも思ったが、あいにく、私の声帯はいつも私の意思に先んじて振動を始めるのだ。 「ま、そうだろう」とセイルズは言った。
雨に濡れた飛べない鳥みたいにして、マミはじっとこちらを見ていた。惨めな風采。 見ていた、のだと思う。私は間違っても視線を合わせないように、彼女の姿を視界の端の方、端の方へと寄せていたから、本当のところはわからない。ただの過剰な自意識かもしれない。まあけど多分、見ていた。後ろにいても、うなじのあたりにレーザーを撃たれているような感覚。 私はマミのことが嫌いになったのではない。マミだって私のことを嫌っているわけではない。だからどうしてこんな馬鹿げたことを続けているのか、自
音のない朝、耳鳴りの響きが頭部の周りを埋め尽くしている。いつからか目覚めていた。部屋を見ているのが自分だと理解するのに少し時間がかかった。遠くでカラスが鳴いている。それから、重たいボディを運ぶ四輪の、空気を這うような摩擦音。耳を澄ませていると、微かな振動音が聞こえてくる。どこかで何かが駆動している。人知れず、絶え間なく。 つけっぱなしの照明。いつのまにか寝入っていたらしい。そして再び眠気がやってくる。九月もまだ上旬だというのに、この頃はひどく涼しい。朝の睡眠欲はその引力
実に羊的な羊だった。あるいは概念そのもの、という気がした。この非現実的な光景がそうした認識を私に与えたのかもしれない。ぼんやりとした光が幾重にも重なった透明なカーテンのようにして視界の全体を覆っていた。私たちは羊飼いに連れられて行儀よく歩く羊たちのようにして、その羊に連れられて皆で仲良く丘の上を行進していた。どこまでも続くなだらかな丘には、午睡を楽しむ老婆の寝息のような、とてもおだやかな風と時間が流れていた。 私は右を見、次に左を見、また右を見て、それから諦めてまた正面を