【掌編】Lost Friday under the rain
雨に濡れた飛べない鳥みたいにして、マミはじっとこちらを見ていた。惨めな風采。
見ていた、のだと思う。私は間違っても視線を合わせないように、彼女の姿を視界の端の方、端の方へと寄せていたから、本当のところはわからない。ただの過剰な自意識かもしれない。まあけど多分、見ていた。後ろにいても、うなじのあたりにレーザーを撃たれているような感覚。
私はマミのことが嫌いになったのではない。マミだって私のことを嫌っているわけではない。だからどうしてこんな馬鹿げたことを続けているのか、自分でも段々わからなくなってくる。
「ケンカでもしたの?」
「べつに」
サオリは気不味そうにしてわずかに顔をしかめ、それをもみ消すようにひょいっと肩をすくめた。金曜日。放課後の廊下。窓外では雨が降っている。しとしとと降る静かな雨だ。どんよりとした灰色の空。重たげな水蒸気の綿。いつもならマミと一緒に駐輪場をすり抜けて帰る。青と赤、二つの傘をぶつけないように揺らしながら。ティーンな心を揺らしながら。センコーの、友達の、馬鹿な男子たちのことを言い合いながら。そして同じ電車に乗って、川を渡り、同じ街で降りる。幼馴染。
でも今日は違う。今日はいつもとは違う。
「よくケンカするよね、あんたたち」
「違うってば」
悪いのはマミだ。悪いのはマミ。約束を破った。それでいて、平気なのだ。許せない。ケンカじゃない。
「どうせ、二、三日したらケロッと忘れるんじゃない。なんの勝負なのよ、それ? 我慢対決なの?」
「ほっといて」
対決じゃない。断罪だ。
靴を履き替え、雨水を垂らす桜並木をくぐり、正門を出る。いつもは裏口から出るけど、反対方向に歩いて帰るサオリ(家まで徒歩五分、羨ましい。そして彼女は毎日のように遅刻をする)となんとなく話をしていると、つい長く一緒に居たくなる。ほんの少しの迂回。ちょっと早く帰るか、ちょっとでも長く話すか。そんなこといちいち考えない。わざわざ比べることじゃない。どっちにしたって大した違いじゃない。でも私たちはそうしたほんの些細な行動の差分で、数秒の差異で、互いの距離を確かめ合う。共有する時間の重みを確認する。
「ばいばい」
「またね」
私が何かを失った時、サオリは静かに、その穴を埋めてくれる。それが具体的にどういうことなのか、うまく説明するのは難しい。ただその説明困難なものが、私たちをしっかりと繋ぎ、やにわには信じがたいほど強く結びつけている。
サオリと別れると、私は一人になった。一人で歩く帰り道。なんてことはない。でも、そのなんてことなさがたまらなくもどかしい。馬鹿みたい。そう思う。なんでこんなことしてるんだろう。そう思う。
これじゃまるで、命令を覚えているだけのロボットみたいだ。
――メイレイニ、シタガッテ、カノジョヲシカトシマス
どうして?
――ケンサク、ケッカガ、ミツカリマセンデシタ
――モウイチド、ホカノキーワードヲ、ニュウリョクシテクダサイ
何のためにこんなことしてるの?
――ケンサク、ケッカガ、ミツカリマセンデシタ
――モウイチド、ホカノキーワードヲ……
電源を落とす。思考停止。
しとしと、しとしと。霧雨は降り止まぬ。
じくじく、じくじく。胸の痛みはだれのせい?
マミ!
本当はそうじゃないって、
わかってるから辛いって、
本当はそう、わかっているんだ。
だけど私は一人で帰る。スマホの電源はオフ。思考停止。
「あー、ごめん、明日駄目になった」
「えー、なんでよ」
マミはもごもごと言い訳をした。すぐバレる嘘を付く。子供みたいだ。でも私はマミの、そういう子供っぽさが、好きなのだ。だから、裏切られると余計に腹が立つ。マミが、私を傷つけようとして裏切るのじゃない。私が勝手に期待して、私が勝手に裏切られるんだ。
「ごめんてば」
怒りの矛先は、本当は私を向いている。私の心臓を貫いて、気弱な背後霊を瞬殺して、一秒で地球を七周半回って、もう一度私に向かってくる。
マミはそういう子なんだ。どうしてそれがわからないの。サオリの言うとおりなんだ。一週間以内に仲直りする。賭けてもいい。でもほんの少しの、ちょっとぞくぞくとする毒々しい期待がある。もしこのまま戻らなければ? 二人の関係が、これっきり途絶えて永遠に交わらなければ?
マミはどう思うだろう。受け入れるだろうか。
(受け入れてほしくない。たっぷり後悔してほしい)
馬鹿みたいだ。信じられない。自分が嫌になる。
私は金曜日の放課後が大好きなのに。一週間のあれやこれから開放されて、翌日から始まるフリータイムの予感をじっくりと味わえる。一週間に一度の、割に切実な時間。それを一人で、こんなしょぼい雨の中で、紺色の傘を寂しく揺らしながら。
マミ。
あなたも同じ気持ちでいるかな。いてくれるかな。
――いびつな心。幼稚な悪意。自己嫌悪のループ。
曇天のロスト・フライデー。
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