「誰も見ていない」という嘘
・誰も見ていないからポイ捨てしてもいいや…
・どうせ誰も見てないから信号無視しよう…
・誰も見てないから人のせいにしちゃおう…
これらの「誰も見てない」は嘘…
そう聞くと「神様が見てる」とか、
そんなことをイメージすると思います。
ぼくはまさにそんなことを考えました。
「神様が見てるって言っても
それで罰が与えられるわけでもないし…」
なんて穿ったことを考えていましたが、
そうではなく…
「自分自身が見ている」
「自分で自分に刷り込んでいる」
「自分を傷付けている」
なんてことを目にして
「神様が…」よりもよっぽど腹落ちしました。
「自分自身」は見ている
これは「メモ活」という本に書いてあったものです。
▼「メモ活」から引用
誰も見ていないのではない。自分が見ているのです。しかも、悪いことだと思ってやっているわけですから、悪いことだと自覚している。
本当にそうだなーと感じます。
「誰も見てないから…」と思ってやることは、
大抵良くないこと。
良くないとわかりながら、
罪悪感を抱えて行動するのは
自分を傷付けていることに他ならない。
自分はひどいことをする人間だ、と自分で自分に刷り込んでいるようなものなのです。自分を激しく傷つけている、ということです。
引用:メモ活
「誰も見ていない」という考え方を捨てることによるメリット
この「誰も見ていない」という考え方を捨てることで…
・自己肯定感の向上
・行動の統一性によるワーキングメモリー節約
こんなメリットがあると考えました。
自己肯定感については…
「誰も見てないけど自分が見てるから…」と考えて、
自分自身をコントロールすることで
自己肯定感の向上に繋がります。
行動の統一性について…
誰かが見てるからやらない、誰も見てないからやる
これでは他人が判断基準になってしまっていて、
そこをいちいち気にする必要があります。
他人の目ではなく、自分自身の思考によって
行動を決めることで行動に統一性が出てます。
その場その場で判断ぜずに済むので、
ワーキングメモリーの節約になる!
そんな2つのメリットがある!
こんなことを自分自身に言い聞かせながら、
子どもたちにも伝えたいと思います!
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