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「写真と文学」 - 世界を視るメディア

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2017年初夏からインプレス社刊行のデジタルカメラマガジンにて連載していた12回分の記事をまとめたマガジンに、その後似たようなテーマで書いた文章を追加してます。
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#雑記

便宜上付与された壊れたスイッチとしての「私」(あるいは「作家性」と「物語性」について)

便宜上付与された壊れたスイッチとしての「私」(あるいは「作家性」と「物語性」について)

1.幽霊として古い写真仲間が時々僕のことを「たっくさん」と呼んでくれます。とても古い名残。写真をオンラインで投稿し始めた頃、今とは違って本名は使っておらず、タック・バルキントンという名前でやっていました。ちょっと恥ずかしい過去なんですが、10年近く前に、ふとした思いつきで数秒で決めたその偽名で今でも呼ばれることがあるのは、とても不思議な気持ちです。

それはそれとして、その名前の由来について、まず

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キルケゴールを読んで絶望したあの頃

キルケゴールを読んで絶望したあの頃

人生でいくつかあった衝撃の一つは、他の人からみたらすごくささやかに見えるだろう、ある一冊の本との出会いです。それは僕にとってかなり決定的な出来事の一つでした。下の引用がその本の冒頭部分です。

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関

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写真と文学 最終回 「世界の断絶と写真という小さな窓」

写真と文学 最終回 「世界の断絶と写真という小さな窓」

大学での最初の授業のことをいまだによく覚えている。広い構内の南東にあった教室は年月を経た建造物特有のカビと木の懐かしい匂いで満たされていて、小さな窓から斜めに入る光が舞い上がる埃を輝かしく照らしていた。それは新しいデジタルカメラで撮影された、とても古い写真を見ているような光景だった。目の前のすべてはクリアに存在しているのに、その光景はどうしようもなく遠く懐かしいという不思議なアンビバレント。その教

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写真と文学 第十一回 「パラレルワールドと認識の拡張」

写真と文学 第十一回 「パラレルワールドと認識の拡張」

 1995年、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」という目を引くタイトルの映画が公開された。もともとはテレビのオムニバスドラマの一編だったが、あまりにも出来が良かったために映画として翌年公開されたという逸話が残っている。

監督は映画「Love Letter」でその名を日本中に知らしめた若き岩井俊二だった。この2本の映像作品をきっかけとして岩井俊二監督が頭角を現したというのは、映画ファン

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写真と文学 第十回 「実像と鏡像の狭間に揺れる自己」

写真と文学 第十回 「実像と鏡像の狭間に揺れる自己」

 朝目覚める。あなたはまず何をするだろう。目覚めたばかりの脳は全身をうまくコントロールできず、刷り込まれた慣習に従って、例えばベッドサイドの眼鏡を手に取るかもしれない。そうして1日が始まる。だが、あなたはまだ目覚めていない。眠る前に残してきた自身とのつながりを失っている。本格的に目覚めるのは数分後のことだ。しばらくリビングをうろつきながら、今日やることを思い出す。そうしておもむろに身支度を始める。

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写真と文学 第九回 「時を呼び起こす時間と光の記録」

写真と文学 第九回 「時を呼び起こす時間と光の記録」

 2018年の年始、ちょうど「しぶんぎ座流星群」が極大の日に、新年らしい話題作が地上波で初放送された。「君の名は。」だ。この映画に関しては一度取り上げたが、何よりの功績は「大きな物語」が喪失した現代にあって、多くの人が享受し得る物語を作り出した点だ。1つの物語を世界に流通させるということは、ほとんど世界を1つ作ってしまうことに等しい。

 しかし、今回のテーマは映画自体の話ではない。映画の間に挟ま

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写真と文学 第八回 「不在の中心が生み出す物語」

写真と文学 第八回 「不在の中心が生み出す物語」

 本屋で『桐島、部活やめるってよ』というタイトルを見た瞬間、思わず手に取った。あまりにも斬新なタイトルの作品が、どんな文章で始まるのかを確認しないではいられなかったのだ。1ページ目を開いたとき、タイトルに引かれた自分の直感が、予想よりはるかに鋭い形で具現化しているのに驚愕した。「え、ガチで?」という冒頭の1行。震えが来たとはこのことだった。それに続く言葉のすべてが、新しい時代の声と抑揚と響きを伴っ

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写真と文学 第六回 「存在したことのない真実」

写真と文学 第六回 「存在したことのない真実」

 真実を写すと書いて「写真」。一方、英語では「photograph」と書かれるこの言葉は、ギリシャ語のphos(光)とgraphein(描くこと)の合成語であり、その原義に近づけて訳すならば「光で描く画」となる。「真実を写し出すもの」としての写真と「光で描かれた画」としての写真。どちらが正しいという不毛な論争を展開したいわけではないが、人間は基本的に「言葉」によって精神も身体も構成される存在である

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写真と文学 第二回「逆光がもたらす見えないもののドラマ」

写真と文学 第二回「逆光がもたらす見えないもののドラマ」

 2016年に最も世間の話題をさらったエンターテイメント作品といえば、新海誠監督の映画「君の名は。」だろう。そのキービジュアルは2人の主人公である立花瀧と宮水三葉の2人が、太陽と流星を背に描かれているシーンだ。

宣伝で多用された最も有名な1枚だろう。この1枚以外にも、「君の名は。」の多くの映像には共通点がある。逆光が多いのだ、それも非常に。映画全編に渡って、新海誠監督は朝焼けや夕焼け、強い光源を

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写真と文学 第一回「そこに風の歌は聴こえるだろうか?」

写真と文学 第一回「そこに風の歌は聴こえるだろうか?」

【承前】
 次回からはこの前置きはなしでいきなり本文に入りますが、noteで初のマガジンを作ります。12回完結です。内容は、2017年から2018年まで、一年間、「デジタルカメラマガジン」で連載した「写真と文学」という記事の全文公開です。デジタルカメラマガジン編集部及び出版元インプレスさんの理解を得て、この12回分の連載記事を公開することが可能になりました。
 この文章、僕にとっては多分、これから

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