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(3/3)【「探究」に挑む教師の私がこれから子どもたちと取り組む具体アクション7選+2つの留意点】「学校」をつくり直す(苫野一徳)



子どもが本音を言える、安心感のある教室をつくる

子どもの安心感を第一に学級や学校での活動を進めることを通して、周りからの目や評価を気にして委縮するのではなく、意欲を高め実際に行動に移す子どもたちを育てます。

①わからないことを「わからない」と言えるクラスづくり

学校の問題の本質について、苫野さんは次のように述べています。

みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる

「学校」をつくり直す (苫野一徳)
第4章 学校をこう変える② 「ゆるやかな協同性」に支えられた「個」の学び
「学びの個別化」の必要 より

こうした営みが繰り返されてきた学級においては、見えない同調圧力やクラス内の力学が渦巻いていることがあります。私たち教師が気づいていないだけで、実は裏にはドロドロした関係性がすでに出来上がっているものです。

「わかりません」と言おうものなら、「こんなことも分からないのか」「能力低いな」「困ったやつだ」というような目にさらされるのではないか、とビクビクする子がいるかもしれないという想像力、あなたにはありますか?

「間違っても笑わない」というようなルールを示す人もいるでしょう。
自分が言われたらいやなことは言わないでね、と。
でもそれは知識レベルで上から降ってきた表面的なものです。子どもたちは知識だけでは定着しているとは言えません。

だからこそ、子どもたちには正解を導き出したり、正しい行動をとったりできるかどうかではなく、学習や生活を通して「受け入れてもらえる体験」を数多く積み重ねることの方が重要です。クラスでの安心感をゆるぎないものにしていく過程こそ学びであり、教師が最も重要視すべきものです。

具体アクション
「わからない」は力学に留意して取り上げる。
「わからない」と言える勇気をほめる。
「わからない」に共感し、表面的な答えではなく問題を解く過程に注目する。


②押しつけ道徳をやめ、子どもたちがリアルを語れる道徳に

教科化された「特別の教科 道徳」の教科書には内容項目があり、それらを網羅するように教科書が作成されています。
その教科書には軸となる発問が教材ごとに設定されていることがありますが、それらの質について問い直したことはありますか?

教科書・指導書を作成するのも、それを用いて授業にするのも人ですから、そこには恣意的な価値が生まれているものです。

何も考えずに教材通りの発問をしていると、結局のところ大人のコントロールに乗っかる子を育てたり、教師が考える正解を探って「キレイゴト」をそれらしく発言する子が生まれたりします。本音ではなく「タテマエ」を言える子が教師にほめられる世界です。

それでは大人の価値観に盲目的に従う子どもを育てることに加担してしまい、はみ出すエネルギーや創造性をもつ子どもを育てることができません。探究に粘り強く取り組める子は後者の姿をしているはずです。

そこで、発問に恣意的なものがないか、自分のエゴが潜んでいないかを注意深く考える必要があります。
そして、発問では教材や自分のエゴを切り離したものを問うのです。

「ウソがよくないのはわかってるけど、ついてしまったことはない?」
「約束は確かに大事なのだけれど、それをすっぽかしたらもう人間関係は修復できないと思う?」
「謝られて、すぐに許せることと許せないことってあるじゃない?その二つの違いって何だろう?」

方法論を問うと、子どもたちは教師の価値観に合う行動・言動を忖度して発表しがちです。
それよりも問うべきは「子どもたちのリアル」「損得のない価値判断」なのではないかなと考えています。(無理に話させる必要はありません)

なぜかというと、これらの発言は否定しようがないからです。
否定しようがないことは、どの子も受容して聞くことができます。

反対に、話した子にとっては受容された経験にもなります。
いつも教師に反抗してばかりの子が、家での苦しみを自らポロっとつぶやいた時には涙が出そうになります。
そして、その子の人間らしさのようなものを垣間見ることができます。
もし教師の正解主義的な道徳ばかりになっていたとしたら、その瞬間は一生出会えない瞬間だと私は思います。

道徳の教え方は中堅になった今でも難しい・・・
これを問うていいのかな?と日々自問しています。

具体アクション
問うていいことと問うてはいけないことを考える。
教材の発問例を疑う。
子どもたちのリアルや関係性の力学に配慮した授業をする。


③係活動・学級内クラブの活動時間を学活の時間で保障

係活動や学級内クラブなど、各グループの創造性が発揮される活動は、子どもたちの癒しの側面も大きいです。
しかし、意識的に進んで取り組める子たちはいいですが、休み時間は遊びたい子たちにとってはたとえ「やりたい」と宣言した活動であってもボールを持って外へ飛び出していってしまうものです。

そこで、学活の時間でできるだけ係活動や学級内クラブの活動時間を保障することで、あまり取り組めていなかったグループにも活動させてみましょう。
やり始めると案外楽しくて、次のやりたいことが生まれてくるものです。

とはいえ、学級会や行事の決め事の話し合いもおろそかにできませんし、事情があってなかなか計画通りに進めにくいのが学活。
少なくとも、教師の都合のための時間とせずに、できるだけ子どもたちがホッと一息つける時間にしていけたらと思います。

具体アクション
学活で取り組む内容は見通しをもっておく
係活動や学級内クラブで活用できるよう、子どもたちが使える掲示スペースを確保する
学活に限らず、余った時間は係活動や学級内クラブに活用し、創造的な活動(+癒し)を味わえるようにする


子どもが企画・計画して実行できるシステムを取り入れる

自分たちが学級や学校に働きかける体験を通して、当事者としての自覚を高めながら、能動的・主体的に探究に取り組む子どもたちの土台作りを進めていきます。

④学級のシステム(給食やそうじ、ものの配置など)を子どもの意見で柔軟に修正する

子どもが学校の主役であることを考えると、何でもかんでも教師の指示でものごとが進むことは避ける必要があります。
「僕たちが声を上げていいんだ」という認識をつくるためにも、システムをいじるときには「なんだかやりにくそうだけど、どこか問題はないかな?」と時々声をかけるのがいいのではないかと思います。

4月の学級びらきのとき、給食当番の仕方や掃除当番表のローテーションなど、いろいろとシステムを示して学級を軌道に乗せていきます。
当然たたき台としてのシステムは教師が考えることになります。
(そこはある程度割り切らないと、時間がかかって授業に入ることができません)

しかし、「こうしなさい」と有無を言わさず押し付けるのでは、当事者性を高めることにはなりません。
「困ったことがあったら言ってね」
「1週間試してみて、いいところと難しかったところを聞くからね」
と子どもたちの声を引き出し、
「そっか、それは気がつかなかったな。よく言ってくれたね」
と認めていくことで、学級に主体的に関わることの喜びを味わえます。

子どもを主役に据え、声を引き出すということに粘り強く取り組んでいる学級は、意見が活発に出ます。一人ひとりが問題を解決する当事者の土俵に立っているからです。

具体アクション
ときどき学級のシステム(給食当番、掃除当番、日ごろの当番活動、生活の様子など)を問い直す機会を設ける。
班会議など、子どもの最近の困っていること、気になることを吸い上げる仕組みをつくる。
継続的な取り組みをするときには、「お試し期間」を設け、気付いたことを挙げてもらう。


⑤ゆるやかな単元内自由進度学習に取り組む

教科をごちゃまぜにし、時間割をも自分たちで決める「自由進度学習」は難しくとも、
・(限られた範囲内での)どこでやるか
・一人でやるか、ペアでやるか、グループでやるか
・基礎的な問題のプリントをやるか、応用的な問題のプリントをやるか
・ノートでやるか、タブレットでやるか
・時間配分(ドリル10分、その後タブレット10分・・・など)
といった「学び方」を子どもたちが少しずつ自分でコントロールできるようにするくらいだったらどうでしょう。

教師に学び方をコントロールされている「だけ」では、真に自分で学びを調整する能力は身に付きません。
見方を変えれば、自立した学び手を育てていないということになりかねない。
教師が言ったことを確実に遂行することをよしとせず、自立した学び手を育てるために手立てを柔軟に見直します。

具体アクション
最初から子どもたちが学び方を自分なりにアレンジするのは難しいので、せめて学び方を「選べる」展開をつくる。
教室内のレイアウトや掲示物を工夫し、様々な学び方ができるようにする。
「やりたいことだけやればいい」ということではないことを示すため、到達目標やチェックポイント、ルーブリックは事前に示しておく。


⑥ユーモラスな生活目標の取り組みを行う

学校の児童会や生徒会から(生徒指導部からという学校もあるかもしれません)出される月の生活目標、形骸化していませんか?

「明るいあいさつをしよう」
「ろうかは静かに歩こう」
といった生活目標に対して、
「意識する」
という取り組みで済ませてしまうのはあまりにもったいないです。(というか、個人の責任にしてしまうとみんなで取り組んだ実感が生まれません)

また、あいまいな取り組み方法だと、振り返りの話し合いでも「できた人とできなかった人がいた。できなかった人は意識が足りなかった」と、非常にあいまいで次への課題すら明らかにならない不毛なまとめになってしまいます。

そこで、生活目標には楽しく、ユーモラスに取り組みます。

廊下歩行の生活目標の時です。
「みんなは廊下走ってるの?」
「いや、そんなに走ってない」
「じゃあ、どこか危ないところある?」
「階段と廊下の交差点で人とぶつかりそうになる」
「じゃあ、どうしたらそこを安全に通れるようになるかな?守りたくなるようなおもしろい取組を考えてみようよ」

そこで出てきたのが、「動物園の案内のように動物の足跡を貼ってはどうか」というアイデアでした。
動物の足跡を調べてきて紙に書いて増刷りし、ラミネートして養生テープを輪っかにして階段と廊下の交差点のところに貼りました。
(もちろん管理職などには取り組みのことは事前に相談し、職員集会で連絡しました)

効果は絶大で、低学年はもちろん高学年も動物の足跡を踏んでくれました。階段と廊下の衝突事故は激減し、クラスの子どもたちは「おれたちのおかげじゃね?」と鼻高々でした。彼らは総括の時に、「いい取組にするために、おもしろいやり方を考えるのはアリ」ということを話し合っていました。

大人からすれば「そんなこと」と思うような取組でも、子どもたちが真剣に考えた取組は一度乗っかってみるのもいいかもしれません。軌道に乗らないようなら、また修正すればよいのです。
大人のコントロールで形だけ立派な取組をしていても、当の子どもたちがシラケていては意味が薄れます。
子どもたちなりの着地につき合うという意味でも、生活目標は目的とそれに合ったユーモラスでおもしろい取組をきちんと決めて、それを実行して総括する必要があるのです。

具体アクション
子どもたちの決定にとことん付き合う(こともある)。
修正も視野に入れながら、まず取り組んでみる。
同僚への理解を得られるような対応を心掛ける。

問いをもてる子を育てるための環境づくり

そもそも、最初から問いをもてる子なんていません。
安心して自分が出せること
やってみるか、と思えること(意欲)
がそれなりに育つことで、やっと自分のテーマを決められるようになります。
その自分のテーマを決めるために、知的好奇心をくすぐるような環境設定が必要なのではないかと考えています。

⑦○○コーナーづくり

私が取り組んできたのは、理科コーナーやおすすめ図書コーナーづくりです。

理科コーナーでは、校庭の砂と火山灰とをルーペで見れるようにしたり、てこの原理を使った道具を並べて置いてみたりしました。
他にも、月の満ち欠けを気軽に実験できるように、光源と回転いす、ドッジボールを置いといたこともあります。
邪魔にならない程度に(了承を得て)子どもたちに触れてもらえるようにしました。

おすすめ図書コーナーづくりでは、図書室の司書教諭さんにお願いして、国語や社会、理科や総合の単元に関わる本をピックアップしてもらい、長机に並べておきました。
全員が興味をもって見たり読んだりするわけではありませんが、それでも見ている子はいます。また、飽きっぽい子どもたちのためにあまり長々と広げておかずに都度都度更新するようにしました。

今後もあまり負担にならない程度に、続けてみようと思います。

具体アクション
単元が切り替わるごとに司書教諭さんのところに行って本をピックアップしてもらう
子どもたちにもコーナーづくりに協力してもらう
余裕があれば写真を撮って、取り組みを記録して今後の参考にする


探究に限らず留意すること2つ

❶見通しは大事だけれど、逆算しすぎない

行き当たりばったりではいけないのは言うまでもありませんが、見通しを明確に持ちすぎると思い通りに進まなかったときにイライラします。大人が決めたゴールに届かない子へのアプローチが厳しくなるので、ある程度幅を持った見通しをもちましょう。

「いろいろある」から子どもたちと付き合うのは楽しいんです。
困っている子こそ、一番学んでいます。
「どうしたの」
「これからどうしよっか」
と声をかけながら、探究の醍醐味である「行きつ戻りつ」を子どもが味わえるように支援しましょう。


❷方法論を定式化しすぎない

「他人の成功例をまずは真似てみる」は否定しません。教師も「まずはやってみる」というアクティブさは大事です。

しかし、「高名な△△先生がやっていたから、これさえやっておけばいい」という、思考停止状態は避けなければいけません。

目の前の子どもが違うのだから、当然直面している課題も違います。そのため、ベースはあっても手立ては目の前の子どもたちに合わせて柔軟に組み替え、都度修正する必要があります。

手立てを定式化しすぎると、そこからはみ出した子が「困った子」「できない子」として目に映るようになります。

学校の主役は子どもたち、私たち教師は脇役で伴走者であるという立場を今一度確かめながら、子どもたちにとって価値ある経験を支えていきましょう。


まとめ:子どもたちの安心感と意欲、当事者性を育てる学級づくりを進めよう

子どもたちが自立した学び手になるためには、教師の指示だけでは不十分です。大人と子ども、教師と児童生徒という関係性である限り、意識していてもどうしてもトップダウンの流れは避けられないものです。
しかし、そのトップダウンだけでなくボトムアップの流れ、つまり子どもたちから学級や学校へアプローチしていく流れを意識的に生み出し、それを実現していけば、安心感や意欲、当事者性を高めていくことができます。

的確な指示や指導言といった、教師のテクニックが光を浴びやすいですが、わき役に徹し、子どもを主役に押し上げる指導の価値も同様に素晴らしいものです。

今回は「学校」をつくり直す(苫野一徳)を読んで、自分なりに取り組める具体アクションについてまとめました。
今回の記事で触れられた本の内容はごくごく一部になってしまいましたが、自分なりに考えた具体アクションをここまで熱を込めてまとめきれてよかったな、という気持ちです。本当はもっと書きたかった。笑

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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