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#6 第3章(2) 「はやり病」

前回、第3章(1)で、「朸(おうこ)」から寄り道をした。第3章(2)では、そのおうこで汲み上げた水の続きで、椿の里に起きた出来事を語る。

椿の里に、はやり病

父が出征して、母の実家、椿の里のとみ爺の家*1 に、留守家族3人が疎開した。井戸とランプの生活が待っていた。あろうことか、椿の里に、はやり病が発生した。赤痢の流行である。扇状に広がる集落の要の所にある【 れずの井戸 】が原因ではないかと噂された。集落中の生活排水が下がっていき、その井戸に入り込んだのではないかと疑われた。

椿の里には、医師はいない。八重本村やえほんむらに、お産以外はすべて診てくれる医師(母は、カックーさんと呼んでいた)がいた。集落の人々は、平素へいそ、めったなことでは医師にかからない。自分で何とかしたものだ。

6歳の私は、見ること聞くこと初めてのことばかり、周囲の大人達の狼狽うろたりを、目を見張り、耳をそばだてて、はやり病に注目した。と言っても、すぐに私と妹は、長崎市に住む叔父の所に隔離されたので、その後のことは、はやりやまい終焉しゅうえんで、椿の里に戻ってきてからの、又聞またぎきである。
私の強烈な幼児体験ですが、この章をお読みくださる方には、不快に思われる場面もあることでしょう。
病気の段は、斜め読み、あるいは上の目次より飛ばしてお読みください。
母の予防法の段か、万葉集所載しょさいの短歌の段、あたりから読んでくださると、がたく思います。

by Tajima Shizuka

最初は親戚のミチシタ家の婆様が赤痢にかかった。家も近く、これまでも交流があり世話になっている親戚である。母は、その家の母より少し若いエツさんと仲良くしていた。ハトコになる関係らしかった。
有効な薬もない時代である。婆様はアッという間に亡くなってしまった。自宅で葬式を出すことになり、エツさんに頼まれて、母は、通夜振る舞いの手伝いに出向いた。そこで母は、赤痢菌をもらってしまった。

赤痢に感染したのは、「煮物の味見が原因である」と、母は断言した。台所で、料理の手伝いをしていて、煮物の鍋の前にいる人から、「ちょっと、味見バしてくれんね」と、厚揚げを菜箸さいばしでつまんで差し出された。母は、手のひらで、それを受けて取ってしまった。
「人の手ほど、よそわしかものはなかとに、ウッカリ手を出してしまったとよ」(人間の手ぐらい汚いものはないのに、ウッカリ手を出してしまったのよ)
母は、繰り返し自分の軽率な行動を悔やんだ。

ミチシタ家は、住まいの家を上段に、石垣の下に、牛小屋と堆肥たいひ小屋を設けていた。トイレも堆肥小屋の続きにあった。それでも上段の住まいの台所には蠅が飛び回っていた。水道はない。井戸水である。
扇状に広がる椿の里の、扇の要に当たる窪地に【 涸れずの井戸 】があった。井戸はへり近くまで、水を湛えていた。夏でも変わらなかった。
自宅の井戸が涸れると、人々はこの井戸水を汲んで運び上げた。井戸の周囲で洗濯もした。洗濯の排水は、傾斜をつけた洗い場から側溝へ流れ落ちていく構造で、汚れた水が井戸の中に入らない工夫がされていた。しかし、井戸を囲む手すりも屋根もなかった。釣瓶つるべが作り付けられてないので、各自が瓢箪ひょうたん柄杓ひしゃくで井戸水をくみ上げた。夕暮れに、井戸を使った人がトタンのふたかぶせた。
上水道も下水道もない時代である。【 涸れずの井戸 】が はやり病の元になったのかどうかは、不明に終った。

赤痢に感染した母は、激しい下痢で寝こんでしまった。しぶり腹で苦しんだ。当時、同居していた母の妹キヲ(私の叔母)が看病した。叔母は当時24歳、独身であった。

八重本村の医師・カックーさんが往診に来た。わらの束を左手に持ち、右手に往診かばんを下げていた。藁束を縁側えんがわに置いて、その上に往診カバンをのせ、「どうですか」と、寝ている母を覗き込んだ。医師は、集落中の患家をそのスタイルで回った。病人のそばには近づかないで、離れた所から様子を診て、その後、看病をする家族に諸注意を与えた。

その間、私と2つ下の妹は長崎市内に住む、叔父一家に預けられた。が、既に2人とも赤痢に罹患していた。子供が罹ると疫痢えきりと名前が変わる。叔父と叔母の迅速な対応のお陰で、2人ともぐ回復した。

母は、白湯以外の飲食を絶って、ひたすら体力勝負で耐えた。キヲ叔母は医師からの注意を忠実に守り、許しが出るまで病床には白湯しか運んでこなかった。叔母は、排泄物の処理、自分の手洗い等々、医師の指示を厳重に守り、自分が感染しないように努めた。自分の食べるものはその都度つど、火を使い、作り置きを食べることはしなかった。
赤痢は今も発生している。有効な薬があるので、滅多なことでは死ぬことはない。私は幼いながら、この集落のはやり病に出会ったことで、暮らしの大事な知恵を得た。上下水道の意義、手洗いの方法、赤痢菌という細菌の存在を学んだ。後で学んで知識とまぜこぜになっているが、椿の里の赤痢の流行、母の感染、自分の疫痢感染は、私に暮らしの基本を示してくれた。

母の予防法、カッカラの葉!?

その後、母は、用便後の手洗いについて繰り返し私に注意した。
「ちょっと指先を濡らしたぐらいでは役に立たん。流れる水で丁寧に洗うことが大切。それに、洗った後の手ぬぐいにも、注意がいる。手洗いの後の手ぬぐいは、家中で使い回しをしてはいけない。頻繁に取替えるか、出来できたら、自分だけの手ぬぐいでぬぐうこと。」
しっこく、うるさかった。多分、医師・カックーさんからの注意であったのだろう。
母は、通夜振る舞いの手伝いをした時、食べ物を手のひらで受けたことを後悔して、後々まで、繰り返しこの話を持ち出した。うっかり手を出してしまった自分のおろかさを話して、私に注意をそくした。

小学校6年生であったか。母が又も赤痢になった時の話をするので、うんざりした私は、
「手で受けたらいかんとなら、どうすっと?(手で受けるのが駄目なら、どうすればいい?)」と質問した。
「お手塩(小皿)に、のせて貰ったらよかと」
「お手塩がなかったら?」
懐紙かいしで受ける」
「何それ?」となった。
お菓子の下に敷いてある紙という母の説明が付いた。
(今にして思えば、母は、いつ、どこで、懐紙などを使う機会があったのであろうか。不思議である。洋菓子はおろか和菓子にも縁のない暮らしであった。)

話は続く。好奇心いっぱいの私は、ピンとこない懐紙を飛ばして、
「懐紙がなかったら」と、質問を重ねた。
「カッカラの葉*2 でもよかと」と、母は即座に答えた。
その時は、葉っぱをお手塩の代わりにするという、何やら要領を得ない会話で終った。

*2   かっからの葉: 母の里言葉。端午の節句の柏餅を包む。柏の葉の代用品。とみ爺の屋敷近くにある木の葉で、柏の葉のような艶はない。

by Tajima Shizuka


ひょんな所で見つけた短歌 〜椎の葉っぱに乗せて

長じて、ある短歌に出会った。その歌には、みやこびとの、旅の途中の食事風景が詠われていた。

「 ……旅にしあればしいの葉に盛る*3 」

カッカラの葉を知っている身には、すぐかる内容である。歴史の授業で学んだ。悲劇の皇子がいたような。そこから先は、記憶がおぼろである。
そのままには出来できない。さっそく寄り道をすることになった。インターネットで探すと、何と、歌を詠んだ人の悲劇に行き当たった。椿の里のはやり病が、飛鳥時代の歌に繋がり、悲劇の主人公まで、辿り着いたのである。(後段に、詠み人の概略を記します)

椿の里の暮らしは、私に、数々の生活の知恵をもたらした。そして、悲劇の主人公である、いにしえの皇子の短歌にまで繋がった。お陰で私は、豊かな歌の世界を知ることが出来できた。

*3 「家にしあればにもるいいを草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」 
万葉集。詠み人は、有馬皇子ありまのみこ

【有間皇子】(640年―658年)7世紀中葉の皇族・歌人。
孝徳天皇の子。斉明天皇の時、謀反の嫌疑を受け、紀伊国藤白坂で刑死。万葉集巻2所載の短歌2首は、その護送中の作と伝えられている。
(引用:三省堂 スーパー大辞林3,0)

意訳:家にいる時は、うつわにご飯を盛って食事をしたものを、旅の途中であるから、椎の葉っぱに乗せて食べることになった。

by Tajima Shizuka

おまけコーナー
有馬皇子の、もう一首の歌。
磐代いわしろの浜松が枝を 引き結び まさきくあらば またかえり見む」
(引用:Wikipedia)                    

意訳:磐代の浜松の枝を今、引き結んで幸を祈るのだが、命ながらえて、戻ってくることが出来できたならこれを見ることになる。

by Tajima Shizuka



続いて、次の章もまたとみ爺の家の暮しぶりを語ることになる。薩摩芋さつまいもばかりの物足りない食事が続くある日、何と、おやつに、見たこともない物が出たのである。


*1 とみ爺の家:詳細は(エッセイ)「猿蓑 の 寄り道、迷い道」 #2  序章「蓑」(2) 〜ドンザ  をご参照下さい。





(エッセイ)「猿蓑 の 寄り道、迷い道」 #6  第3章(2)「はやり病」
をお読みいただきましてありがとうございました。
2024年2月16日#0  連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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