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8月24日、エリザベス・キューブラー=ロスの命日の日に「死」を考える

考え方や作品だけでなく、「このひとはどうしてこういった生き方をしたんだろう」と惹きつけられるひとに出会えることは、一生の興味に出会えたようで幸せですね。


今日8月24日は、エリザベス・キューブラー=ロスの命日です。

『死ぬ瞬間』で「死の受容のプロセス」を世界中に説いただけではなく、自身も「怒り」などと向き合い続けたひとでした。聖人として振る舞うことができる立場だったにもかかわらず。

氏の最大の功績は『死ぬ瞬間』を書いたことでも、「死の受容のプロセス」を見出したことでもなく、その生き方をもって「死の受容のプロセス」を歩もうとしたことだと思います。

確かに評価はわかれるようです。特に晩年の「死後の世界」やイメージとかけ離れた言動は、多くのひとを驚かせたようです。それでも、死や悲嘆が身近にあるひとに、いつまでも寄り添ってくださいます。こういった大きな悩みは、誰にも話せない、共有できなくなる「独りの悩み」です。そのときに氏の本は、言葉は、理論は、そして生き方は強く導いてくれます。ときには生き方の見本として、ときには友人として。

エリザベス・キューブラー=ロスの一連の著作、そして生き方。必要としているひとに届きますように。

〜ここで「退職学™️」に話をスイッチ〜

「退職学™️」はエリザベス・キューブラー=ロス、死との向き合い方に大きく影響を受けています。退職を「できれば避けたい後ろめたい手続き」から「退職後も声をかけられ続ける人物に成長するための学び」に転換するには、「終わり方」の先行研究が必要でした。

誰もが経験して、しかも悩む「終わり方」といえば死です。その死を誰よりも深く見つめたのは誰か、と調べて行ったところ、エリザベス・キューブラー=ロスを思い出しました。

「退職と死を同列に語るなんてできない」と指摘されることもあります。すべてが同じではないでしょう。それでも、終わるプロセスであり、そこに何か意味や学びを付与できるという点で、退職が死から学べることは多いです。

さらには「退職は死の予行演習である」とさえ思います。私たちははじめること、成長することにばかり目を奪われがちです。「死は誰にでも平等に訪れて、しかもいつやって来るかわからない」のに。仕事や遊びのスケジュールは立てるのに、死のスケジュールは立てません。だからこそ、誰もが経験する「終わりのプロセス」として退職を捉え、必ず訪れる最大の終わりである死の予行演習として退職を使う。

「退職は死の予行演習である」は、遺作として生きているうちに何とか残したいと思います。

                      「退職学™️」・佐野創太

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