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自己表現の考え方

トラウマの絵

先日実家に子供を連れて帰っている時、車を運転しながら自己表現について考えました。

初めて車を買った時から10年ほどがたち、いつしかドライブしながらものを考えたり、作品のアイデアを練ったりすることが癖になりました。

最近作品作りへの考え方が大きく変わってきてまして、あまり自分を中心に置かなくなったところがあります。

以前だったら、当時描いていた風景画なら「自分のフィルター」を通して見るのだから、見た瞬間の印象だけを表現するべしなど目の前に拡がる風景以外の主観を入れ込もうとしていました。そこにはちゃんと上手に描けないことへの逃げのような幼稚な理由もあります。。


風景画の後に描き始めた様々な心象画は、幼い頃からしていた落書きの延長を絵画にしてしまおうとか、いじめられていた時代のことをより深く思い出し、心の暗い部分に住んでいる住人を描いていこう、とか。

それは今になってみれば、子供のトラウマや独り言を掘り返して世の中にぶちまけるという行為のように思えてしまうくらいのことです。

表現を発表することと辛さを世間にぶつけることの違いが分からなくて、自分のことばかり考えていたと思います。



作品を開発する

革製品に絵を描く事業をはじめてビジネスとしてアートを考えるようになり、いろんな人の絵を見たり、本を読んだり、テレビ番組を見たりして意識的に、分析的に情報をインプットしていくうちに、ふと次の作品のことを考える時、「作品を開発しなきゃ」というワードで考えるようになりました。

開発といっても分かりにくいですので、説明させていただくと、作られた作品は常に驚きと感動と疑問(思考の余地)を与えるものであることが大切だと考えるようになっていました。

自分が生きている時代や、自分の人生の背景をよく観察し、今の世の中にどんな作品を投げられるかと考えます。

絵本屋さんであり左的思考をもつ両親に育まれた僕の思考や性格を通して、世の中を見た時に何を思うのか。遡って幼少期から感じてきたのか。このあたりを掘り起こすと、とても素直に自分が表現すべきことが見つかりました。

それが今革製品と同時に進めているジオラマ人形の作品です。人の平等性、人種の平等性、皆が同じ地に生きることの難しさ、を表現します。

人に伝えるためには美しいことやおもしろいことで、人の目を惹きつける必要がありますし、小さい頃はおもちゃやフィギュアが大好きだったぼくにとっては、ジオラマという素材はうってつけであるように思えました。




一方で自分の内面を表してる自己表現の作品は、結局「過去」になっていくものなので、その作品で表現したかったことは意味を成さなくなってしまうと気付きました。


ただそのような作品を描くべき時期というのは必ずありまして、過去の自分を消化しないと人は次のステップに進めません。とにかく描きまくって曝け出して、過去と訣別しないことには今の自分や世の中とは向き合えるはずがないと思うのです。

様々なステップを踏んで、人それぞれの今があります。大切なのは消化することと、消化しきった後にスッキリした目で社会を見た時、感じたことや思ったことをいかに作品に落とし込むか、といった発想に至るかどうかです。

そこに至るには、きっと自分の内面を深く深く考えていくことで、人の心理や行動原理を紐解く考え方をする術を得るから始まっているのだと思います。

これからも様々な作品を描き、自己表現を完成させていきます。

たいへいクラフト革製品絵付け専門店

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