「いましかない」一時帰国のありがたさ。(1965文字)



 コロナ禍がいまだおさまることなく、上海に戻る目途も立たないままで、もうすぐ日本滞在も7か月目。
そんななか、初めて父と二人で飲みに行った。
居酒屋でのむこと自体、何年ぶりだろう。店内の消毒、換気、ソーシャルディスタンス対策は万全に取られているけれど、人が集い、気分よく酔い、笑顔で語らう。居酒屋という場所は以前と何も変わらない。



 私はずっと父が苦手だった。
結婚して25歳で家をでるまで、実家でお世話になっていたけれど、話しやすい母と違い、しかめっ面で怒りっぽい父とはなかなか相いれなかった。
「男だから」「お父さんだから」と、古い固定概念や、旧弊なところも息苦しかった。
それでも仕事や母にばかり父の愛情や注意が向いていることがどこかいつもさみしく、「こっちをむいてほしい」いつもそうおもっていたように思う。
 父が不在なことも多く、膝を突き合わすどころか、二人で目を見て話をすることもなかったし、そんな状況をお互いに避けていたように思う。きっと父もそんな私の思いを感じていただろう。



そしてそんな関係にも結婚、出産、転勤、自分のライフステージとともに変化が訪れた。







まめに連絡をしない娘に、定期的に届く便り。「元気にしているか?ご飯ちゃんとたべているか?」
突然休みを取り、うちにきたこともあった。

「仕事やめたから、来月上海にいくわ」
一昨年には長年勤めあげた仕事の突然の退職報告。と同時に、上海渡航宣言。電話の向こうでいたずらっぽく笑う顔が見えた。
そして上海についたその日には、中国語もわからないまま市場へいって、食材を買い込み、我が家のキッチンにたち料理をつくっていた。どこででも酒をのみ、たばこをくわえ、縦横無尽に動き回る。初海外と思えない自由さだった。

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 実家から離れて暮らしてゆくうち、自分のいまの家族と過ごすことが心地よくなっていくのは必然かもしれない。
そして、物理的に離れるほどに、実家の両親への理解が深まっていった。

近すぎると見えないことも、離れているからこそ分かることがある。
そして、年齢を重ね、親になってみてわかることがあった。
 年々自分の中にあった父や母へのイメージは全く別のものになっていく。
母からきく父の愚痴も、まるで自分のことを言われているように感じ、父が自分と同質であったような感覚になっていった。



 居酒屋で、分厚くてまるっこい手でジョッキをつかみ、何杯目かの99円の薄いハイボールを飲み干す父。たばこを吸いに店の外に出た。

なかなか戻ってこないと思ったら、若い男性をニコニコ顔で連れて戻ってきた。
喫煙所でなかよくなり、連れてきたらしい。
「娘ですわ」
いきなり若い男性を連れてきて、紹介されても困る。お互いに困る。
それでも父は嬉しそうに赤い顔で笑う。

「そっか。娘と飲みに来たのが嬉しかったんだ」


一見謎の行動も、その意味が一拍おいて伝わってきた。


店を出てからもスーパーに寄って、食べ物を買って持たせようとする姿は、「男として」でも、「お父さんとして」でもなく、心配性で情にもろいおばちゃんだった。どうやら性別転換したようだ。
いや、ずっとそんな部分もあったのかもしれない。



「初めてやなぁこんな風に二人で飲みにいくの!」嬉々として私が言うと、「何回もいったことあるやんか、小さい時に」朴訥に、照れた様子で答える父。
 小さなころ母が不在の日は、父好みの、カウンターや床が油ぎった中華料理屋でチャーハンやラーメンを食べ、赤ちょうちんの居酒屋に連れられては、つまみをおかずに白ご飯を食べていた。子ども好みの店や、おしゃれな店は言った記憶がない。
それにしてもそんなのは、さし飲みではない。

それは、「娘を居酒屋に連れていき、飯を食わせる」ということ。
もしかすると、父にとっては今も同じ感覚なのかもしれないな。

別れ際はむくむくのあったかい手とハイタッチして手を振った。


 親も60代。
これからも離れて暮らすことのほうが多くなるのなら、あとどれくらい会えるのかもわからない。
だったら笑い顔や一緒に笑った思い出を沢山脳裏に焼き付けておきたい。幸いにも父を思い浮かべると、怖い顔ではなく、朗らかに笑う顔が見える。

 

 夫は帰国のたび実家にかえり、物の整理や片付け、生前に話しておける老後のことを両親と話し合っている。
「限られた日本滞在だからこそ」これはのんびり夫婦のおしりに火をつけてくれる、通底の思いなのかもしれない。


それぞれ実家の家族とすごしたあと夫と合流。
正座をしながらアイロンをかける夫の膝に飛込み、横になる。

気持ちいいな~ 安心するな~ 嬉しいな~
男性の方がもしかしたら母性があるのかも。

そんなことを考えながら高くてもじゃもじゃの膝でくつろぐ。
リラックスする自分の喉から、ゴロゴロという音が聞こえてくる。


私はずっと父が大好きだった。







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