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のんきな自分が初めての裁判傍聴で感じたこと。~7.24一部追記~(1650文字)


 

緊張しながら足を踏み入れる地方裁判所。
軽いセキュリティをくぐり、開廷表を見て本日審理予定の事件と部屋番号、時間を確認。意外とすんなり入ることができて驚く。


   刑事裁判。緊迫した法廷。事件の概要をしり、やるせなさとともに感じた意外な感想は、「学校みたい」だった。
  裁判官が穏やかな口調で行う冒頭の人定質問や、黙秘権告知なんて、まるで校長先生と規則違反した生徒そのものだった。
 

情状酌量により、執行猶予判決を言い渡すときの裁判官は、校長が生徒を諭すように優しく、深くうなだれ反省する被告は、どうしたって校則違反した生徒だった。
弁護士や検察官は冷静に意見する優等生。傍聴人は、その他ギャラリー。


 日本にある法律は、現行2,280(*1)。政令、勅令、府令、規則等を含めると法令の数は合わせて10,000近くある。
これだけあれば、誰しも何かしらのルールを破っている可能性がある。

 最高裁の統計によると、日本の全裁判所があつかった事件数は、平成30年で累計3,622,502(*2)。刑事事件だけでみると、被告人の数937,191人。同じく平成30年の刑法犯の認知件数は817,338件(*3)。日本中で毎日事件がおき、判決が下っている。
「悪い人」側にいってしまうのは、なにかトンデモナイこと以外、ちょっとした線をこえるだけ。そんな気がしてしまう。


(*1)参考資料~ウィキペディア「法令」
(*2)参考資料~裁判所データブック2019
(*3)参考資料~法務省・犯罪白書令和元年版

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古代中国から伝わる陰陽思想を表す大極図。陽に陰があり、陰に陽がある。
一見すると両極端な性質は、表裏一体であるということを表している。
陽がつよかったり、陰がつよかったり、どちらかに偏ることはあっても、万物は両方があるためなりたっているという考えを意味する。
人間もきっと、善人と悪人にくっきり分かれてはいない。

昔々あるところに、良いお爺さんと悪いおじいさんがいました。


お話しだからこその設定だろう。もちろん凶悪な犯罪や不可解でサイコパス的な犯罪においては、こんなのんきなこと言っていられないだろう。


 そもそもそんな残忍な事件は、年中脳内にひまわりが咲いている自分の頭では処理しきれない。
裁判所から帰ってきて、朝からずっとスカートが裏表逆で、「トップバリュー 綿100% M 」のでっかいタグを一日中、人さまの目にさらして歩くような自分には到底理解できない。


 裁判においてはその他ギャラリーにすぎない傍聴人。場合によっては被告もその家族も他人に姿をさらしたくはないだろう。
 けれども裁判が密室で内密に行われずに、「公開」で行われるということには大切な意味がある。

公開することで、公平、公正な司法の維持につながる。公開裁判はそれを行うことも受ける権利も、一部例外をのぞき憲法において(37条と82条)保障されている。過去の悲しい出来事や今も公開裁判が行われていない国もあると思うと、これはありがたい。



今回、傍聴を体験したことは司法を身近に感じられる機会となった。
恥ずかしながら憲法だって初めてちゃんと目を通した。
夏休みにはいったら、小学生の息子をつれてまた行こう。

昨日お友達とモメた彼は、今日は朝からお友達に謝罪文を書きましたとさ。

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~7.24追記~
 

 2016年「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」が成立し、2019年改正法が施行。この法改正により、逮捕、勾留下における取り調べの可視化(録音、録画)を義務付けられることになった(301条)。

  これまでの取り調べは、外部から遮断された状態で行う「密室」という性質上、自白の強要、虚偽の自白調書や供述調書作成、証拠改ざん、ねつ造、脅迫等、違法で不当な取り調べの温床になっていたという。
 現段階では、対象となる事件は限定的であるし、例外事由も多々あるようだけれど、この制度が成立、施行されるまでには沢山の人たちの想像を絶する努力があったのだろうと思うと、どうしても胸をうたれる。


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