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「ともだち」や「しんゆう」って?転勤族の子どもとして育つ息子に伝えたこと。(1744文字)



「わたし」
わたしは誰だろう?
あかちゃんからみると「おねえちゃん」
お兄ちゃんからみると「いもうと」
お父さんやお母さんからみると「むすめ」
犬からみれば「にんげん」
わたしは「わたし」
だけど、こんなにもいっぱいの呼び名がある。

1981年発行の絵本「わたし」文:谷川俊太郎 絵:長新太



36歳高橋綾子にも、たくさんの私がいる。


おねえちゃん
おばちゃん
生徒
お客さん
お母さん
奥さん
大阪人
HONEY
BABY
マダ~ム
小姐
阿姨
姐姐
女士


いろんな私がいることは、自分の引き出しが増えること。
引き出しも多ければ、自分が活動するフィールドもたくさんあると、なおさら多面的に自分が広がっていく。

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息子が初めて日本で小学生になり、はや6か月。
普段の様子をみていると、それなりに学校で楽しくやっているであろうことが目に浮かぶ。
 それでもどこか息子はときどき気にかかっているよう。

どこからが「ともだち」で、どこからが「しんゆう」なんだろう?
ぼくにもいつかしんゆうってできるのかなぁ。
いつか、「ふたりはともだち(*)」のかえるくんとがまくんのような感じの友達ができたらいいな。
お母さんは子供のころどうだった?


(*)アーノルド・ローベル「ふたりはともだち」1970年初版発行


そう聞かれ、自身のことを振り返る。


家族よりも友達を求めていた時期がわりとあったし、そんなころには「親友」や「友達」がたくさんいたなぁ。
今はだれかと密に連絡をとったり、たくさん時間を過ごしたりすることは求めていないけれど、
大切なひとたちとは不思議なタイミングでつながれて、勇気や元気、笑いをくれる。
思えばこの何年かでも交友関係にずいぶん変化があったなぁ。



すぅ~っと遠い目になって、そのまま眠りこけそうになるところを食い止め、真剣な面持ちで私の返答を待つ息子に向き直る。


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滋賀、静岡、大阪、上海、大阪。すでにうまれて8年で5か所目の住まい。
落ち着いて定住するのは、いつになるかもわからない。

そんな環境に育つ息子に、このとき伝えた自分なりにひねりだした返答はこうだった。

・「親友」はつくるというより、気がつけばそうなっているもの
・たとえ親友ができなくても、大丈夫。友達や仲間、気軽に挨拶や言葉をかわせるひとがいれば寂しくないこと
・友達や仲間は同じ目的や目標をもつなかでできやすいこと
・「友達」や「親友」は自分がそう感じていれば、それでいいこと


 沢山の「わたし」のようにいろんな自分がいて、かつ自分が活動するフィールドもたくさんあると、狭い視野にとらわれることな世界が広がっていくだろう。
「友達」や「親友」にこだわらず、誰とでも心を開き、笑顔を交えられるときっといつでも楽しくすごせるだろう。


そしてそんな心も持ち方は、環境の変化が多いほうが芽生えやすいというものかもしれない。


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本流の他に支流を何本も持っておく。
溜めずに流す。


こんな風に経済活動が川の流れのように例えられることがある。
清流のように淀みなく、溜めることなく巡らせる。
家族、友達、袖振り合った人。
きっと交友関係も、詰まりや淀みがなければ循環よくさらさらと巡っていく。


上海へたつ夫を見送りに空港へいくと、以前JALのカウンターでお世話になった職員さんにばったりお会いした。
久しぶりの再会にお互い興奮し、再会をよろこび、話が弾んだ。


さらさらさらと水が流れていった。



子供と「何か」について話すとき、まるで自分と自分が対話しているかのように感じることがある。
子供に話しかけながらも、「いまの自分がどう考えているか」が、俄然くっきりはっきり理解できるから。


絶対的に正解の答えなんてきっとないのだろうけれど、
そのときの自分なりの解釈を伝えられたらいいな。
そして、いまのように風通しのよい親子関係が続くといいな。


親子も、家族も、「一緒に幸せに暮らす」という目標のもとであつまる友達であり仲間。
そんな仲間の一人は無事に上海での隔離生活2日目に突入。

夫から毎日やってくる、三度三度の食事写真。
 独特の香りがある中国のお米がギューギューに詰まったお弁当を、おもいうかべ、文句も言わずもぐもぐ咀嚼しているであろう夫。


離れていても身近に感じるよ。

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