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面倒くさがりの自分がヨガや瞑想がつづけるワケ。(1506文字)



  先月から4年ぶりに外に働き始めたわたし。
そして出鼻を挫かれるように、働きだして初めての週にきまった夫の日本滞在うちきり。
それに伴い余儀なくされた、早々の仕事退職。


  退職日がきまってからというもの、無意識のうちに仕事に対する意気込みが薄れてしまっていたのか、上司からの怒涛の叱咤が続き、35歳毎日べそをかきかき家路につく日々。
「これじゃあだめだ。あとさきのことは考えず、一日一日のことだけを考えよう」と、再び本腰をいれて仕事に励むようになったのが一週間前。
 

声をかけられるまで退勤時間を忘れて没頭するほど、髪もぼさぼさになるほど夢中になっている。


すると…


人格否定されそうなほど叱られていた上司が一転。
俄然褒めてくれるようになった。
やることなすこと否定されていたのとはうってかわって、簡単なことでも評価してくれる。
そしたらば、泣きべそをかき帰路に就いていた目の前の灰色コンクリート排気ガスくさい道が、どこかハッピーな旅行先の散歩道に様変わりしたかのように、こころも足取りもうそのように軽い。


わ~い♪る~ん♪スキップスキップ~


ってなんでやね~ん。怒られたり褒められたり、人からの評価に一喜一憂するのん、しんどいわっ!


女心と秋の空。
分からぬは夏の日和と人心。
真偽もわからぬ泡沫に対して右往左往するのはもう堪忍しておくれ。

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 元来自分は争いを避けたいがため、ひとの要望や意見を優先する傾向にあった。
「自分がどうしたいか」「自分はどう思っているか」なんていう自分の意見や意思には重きをおいてこなかった。


優先するのは、

「あの人がこうしてほしいといったから」
「自分はいまこうするべきだから」


こんな風に人の意見や要求を軸に行動を決めることは、優しさでも優柔不断でもなく、ただ自分で責任をとりたくないだけの怠惰だったのかもしれない。
小さなころ、叱られるのが怖くて、自分の判断基準が親にあったところから変わっていなかったのかもしれない。


もちろん、人の話や意見に耳をふさいでいるのでは、ただの独りよがりやわからず屋の頑固者。
人の話にまっすぐに耳をかしても、自分の軸があれば自分の意見も流されず消さずにもっておくことができるだろう。


 ヨガや瞑想、育児、転勤先で出会う人や家族との交流で自分なりに支柱を構築してきた。特に中国のひとたちとのふれあいでの気づきは目から鱗の連続。

そしてフニャフニャの軸を「や~い」揺さぶられるようなこともときどき起こってきたが、そのたびに少しずつ成長してきた自分を感じることができている。



 何年かまえから時々行う瞑想「*マインドフルネス」


「いまの自分」その内側に主観をいれずただ全集中をむけていく瞑想法であり、わたしにはぴったし。
瞑想した後味は最高にして爽快。

*mindfulとは、いまこのときに注意をむけている状態の形容詞。mindfulnessはその名詞形。


 ヨガにしてもまた同様で、「ただ気持ちがいいから」とノンビリのびのびと続けてい行っているのだけれど、気が付くと体と心をじっくり観察する習慣や、太りにくいからだがいつのまにか手に入っていたという棚ぼた的なおまけつき。




台風去った朝。
支柱に頼ることなく、夏中健やかに咲き続けていたひまわりちゃんがぽきっと折れていた。
ネットで調べてみると、添木をし、折れた箇所をテープで補強すれば復活することも多いという。
生きているものの再生力は、案外旺盛なのかもしれない。


というわけで、わたしがnoteにつづる文章も誰にどう需要があるかはわからないけれど、自分が書きたいのだから書くことにしています。

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息子はひとりでの留守番時間も、なんなく楽しく過ごしているよう。




いただいたご厚意は、今後の執筆の原動力にさせていただきます。 これからも楽しんでいただける記事を執筆できるよう 精進していきます。 今後とも応援宜しくお願い申し上げます。