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パニック障害の記憶#4

死を意識した瞬間

古い記憶を遡ろう。

10年以上前の事になる。

パニック障害「最強」が発症した時まで遡ろう。

今では、症状が軽くなりつつある。

noteという朝活を始めたおかげなのだろうか?

文字による出力。

SNSでの社会との繋がり。

この影響が大きいだろう。

社会的な生き物と言われる人間である。

分離不安が一番危ない。

社会や家族との繋がりの中で生きている。

他人がいてこそ『個人』が成り立つと思っている。

たった一人の無人島に行ったとしよう。

そこで、ダイアモンドモンドを見つけても他人が居なければ意味がない。

「綺麗だね」

「素敵ですね」

と言ってくれる他人がいてこそ、ダイアモンドの輝きが増す。

プレゼントして喜んでもらうと更に輝きが増す。

そういうものだと認識している。

最悪の記憶

あれは、帰宅のついでに協力会社に製品を自車で持ちこもうとした運転中である。

PM10:30

目的地まで30分はかかるだろう。

その途中である。

身体に変な違和感が走る。

動悸から始まり、窒息しそうになる。

危機を感じたので路肩に車を駐車した。

しばらくしても、治らないどころから足の先端から冷たくなっていく。

徐々に上半身まで冷たくなっていく。

痙攣が始まる。

意識も低下していく。

『死』を完全に意識した。

家族の事、特に子供にしてやれなかったことが走馬灯のように頭をよぎる。

もっと、遊んでやればよかったと思ったものである。

電話をかけれたので救急車をとりあえず呼んだ。

更に母親に電話をした。

よくつながったものである。

実は、当時母親もうつ病であった。

今は、回復期ではあるが、僕の結婚式に来れないほどである。

母親も来てくれた。

あまり、今の現状に母は驚いていた感じはない。

うつ病になると、感情が貧しくなるのだろう。

実際に、今の僕は感情が少し欠落している。

薬の影響もあるのだろう。

笑う事が少なくなったものである。

今は、他人のnoteの記事を読み、記事やコメントなどで笑う事になりつつある。

noteを始めて良かったことである。

話を現場に戻すとしよう。

救急車が来てくれた。

来てくれたが、案外病院が見つからないものである。

受け入れ先が見つかるまで30分は経過しただろう。

不思議なもので、救急車の中で脈を調べてもらっても異常がないものである。

身体の反応とは一致しない。

身体は、呼吸困難と麻痺する一方である。

隊員が「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。

僕は「死にたくないです」と素直にいった。

そうして病院に搬送された。

どこにも異常はないみたいである。

身体の症状はなんなんだろう。

3時間後ー

普通の状態に身体が戻った。

そして、次の日、というか3時間後、母親に車で送ってもらい会社に行った。

社会人としての自分の使命を果たすために。

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